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ハイキングの最近のブログ記事

登頂日
2008年12月27日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 宝塚・武田尾

JR生瀬駅⇒(20分)⇒武庫川渓谷(廃線跡)入口⇒(10分)⇒北山第一トンネル⇒(15分)⇒北山第二トンネル⇒(20分)⇒第二武庫川橋梁⇒(13分)⇒親水広場⇒(12分)⇒馳渡山取り付き⇒(19分)⇒馳渡山山頂⇒(15分)⇒馳渡山取り付き⇒(4分)⇒JR武田尾駅









 JR生瀬駅を出発し武田尾方面へと進むと、福知山線の高架をくぐり、国道176号線に出る。左折し国道沿いの歩道を歩くのだが、この歩道が非常に狭い。場所によっては人がすれ違うのも大変なほどである。

 対向車線側にあるガソリンスタンドを過ぎたあたりに、歩道左斜面に踏み跡がある箇所がある。ここが廃線間もないころは、この場所が廃線跡への入口だったとのことである。踏み跡を登るとすぐに廃線跡である。ここからわずかではあるが廃線跡を辿ることができるが、すぐ先で工事を行っているので、国道へと戻ることとなる。 

 工事現場の横を通り過ぎるが、この工事現場の箇所が一昔前までの廃線跡への入口であり。2年前に訪れた時にはJR西日本の警告板もこの場所にあった。現在の廃線跡への入口は中国自動車道の高架の少し先で国道から離れ右前方へと道が下っている箇所である。国道沿いの「木の元地蔵尊霊場」の看板を目印にすると良い。

 いよいよ廃線跡を歩くことになる。最初の橋梁すぐ手前にJR西日本の警告板が新しく立てられている。橋梁を渡ってすぐの所に、信号装置かと思われるものが残っている。武庫川渓谷を眺めながら枕木の残る廃線敷きを進んでいくと、前方に最初のトンネルが見えてくる。北山第一トンネルである。

 北山第一トンネルの手前に鉄の扉で覆われた箇所がある。鉄の扉の隙間から、中を垣間見ることができるが、ここは掘りかけのトンネルである。また、ちょうどその扉の対岸の岩場に鉄骨製の足場が組まれている。よく見ると足場から上へと梯子が架けられているのがわかる。何の為に架けられたのであろうか。北山第一トンネルを抜けてすぐに武庫川沿いを少し戻った所にも掘りかけのトンネルがある。ここは柵や扉などもなく、中に入ることもできる。このように掘りかけのトンネルがあることからも、当時の工事が困難を極めたことが推測できる。

 北山第一トンネルの右側(武庫川沿い)が広く開いており、武庫川沿いをトンネルを抜けずに進むことができる。阪鶴鉄道開通時に通された線路跡であり、国鉄買収後に何らかの理由により、トンネルが掘られた。

 北山第一トンネルを過ぎて進んでいくと、先週リタイアに追い込まれた、北山第二トンネル。今日は、このトンネルを無事に通過、先に進むことができた。バラス石を踏む音がトンネル内に反響する中、足を止めると水の流れる音が聞こえてくる。しばらく進み、立ち止まると流れの音は、さっきより大きくなっている。静かに進んでいくとトンネルの側壁の隙間から水が流れ出ているのを発見。

 北山第二トンネルを過ぎると、コンクリート製の小トンネルがある。これは滝よけとのことである。この先の3つ目のトンネルである、溝滝尾トンネルを抜けると、おおきなトラス橋が架かっている。これが第二武庫川橋梁である。第二武庫川橋梁の本線部はフェンスがあり通行不可なので本線横の保線通路を渡る。本線部は枕木が並んでいるだけで危険です。フェンスを乗越え本線上を歩いたとWEBに自慢げに書いている人がいる。こういうマナーを守れないハイカーが事故を起こすことにより、ハイキング道としての利用を黙認しているJR西日本も全面立入禁止にせざるおえなくなるのである。愚痴はさておき、第二武庫川橋梁を渡るとすぐに長尾第一トンネルに入る。長尾第一トンネルを抜けると今までとは違い、武庫川の右岸を歩いているのに初めて気づく人が多いのではないだろうか。第二武庫川橋梁は、その名の通り武庫川を渡る為に架けられた橋梁であり、第二武庫川橋梁を境に廃線跡は武庫川の左岸から右岸へと移るのである。

 長尾第一トンネルを抜けて少しいった所の山側の石積みの壁に通路があり、ここを潜った場所は改修工事を行っていた朝鮮労働者が昭和4年の3月26日の朝、ダイナマイトが氷結して爆発しないため、たき火で暖めていたところ引火、突然爆発し、二名が死亡、三名が重軽傷を負ったという悲惨な事故が起こった場所である。ハイカーの中には、事故をを知らない人が多いからだとは思うが、この場所をトイレとして利用していると聞いたことがあるが、事故現場なのでやめておくように。

 長尾第一トンネルから先は、途中に桜の園や親水広場などもあり、宝塚市によって整備されている。この後、長尾第二第三トンネルと2つのトンネルを残すが、どちらも、さほど長くなく、足元に気を付けて歩けば照明がなくても歩行可能なほどである。程なく廃線跡(地道)は終わりを告げ、舗装道へと変わりJR武田尾駅へと向かうことになるが、実はこの舗装道も廃線跡である。現JR福知山線の高架の下を通り、武庫川沿いに道場へと続いていくのである。

 舗装道をJR武田尾駅に向かい歩いていくと。右側に古井戸がある。この古井戸のところが、馳渡山(かけわたりたま:289.4m)の取り付きである。古井戸から明確な踏み跡があるので、踏み跡に従い約20分登っていくと馳渡山の三等三角点に辿り着く。この馳渡山の下を現JR福知山線の第一武田尾トンネルが通っている。往復で40分ほどなので、廃線ハイクの後(武田尾から歩く人は前に)立ち寄ってみてはいかがだろうか。
 国鉄旧福知山線の生瀬?道場間は、武庫川渓谷沿いを走る単線・非電化区間であり、車窓からの眺めが非常に素晴らしい路線でした。 しかし、昭和61年(1986年)に宝塚?新三田間の複線化、福知山線全線電化に伴い、同年8月1日、 渓谷沿いを走る生瀬?道場間は、トンネルばかりが連続する新線に切り替えられ、 7月31日の上り最終列車をもって廃線となり、長い歴史に幕を下ろしました。
 
 また、武田尾駅は移設され、ホームが武庫川を跨ぎ、半分がトンネルの中にあるという珍しい構造の駅となっています。 現在、生瀬?武田尾間はJR西日本黙認のハイキングコースとなており、多くのハイカーが訪れています。

武庫川渓谷を走る列車

旧国鉄武田尾駅


 北山第一トンネルの生瀬側入口に、石積みの立派なトンネルと武庫川渓谷との素晴らしい調和がとれた景観を乱す兵庫登山会の立て看板がある。インターネットで検索してもヒットしない謎の兵庫登山会は、兵庫近辺の山のいたるところに、このような不要物を捲き散らかしている。早々に撤去してもらいたいものだ。
登頂日
2008年12月20日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 宝塚






 今日は囲炉裏村の忘年会があるので、近場であまり時間がかからない武庫川廃線跡を歩くことにしました。

 JR生瀬駅からスタート。天気も良いし軽快に進んでいきます。最初のトンネルに差し掛かったので、ザックからへッデン(ヘッドランプ)を取り出し装着。トンネルに入り、スイッチを入れましたが点きません。「あれっ、電池切れかな・・・」ってことで、電池を交換したのですがやはり点きません。再度別の電池に交換するもダメ。LEDなので玉切れはありえないし、これはヘッデン自体の故障のようです。こういう時に備え予備でいつもザックに入れてる帽子のツバに取り付けるタイプのLEDライトを使用することにしました。・・・とことが・・・これも点きません。ボタン電池使用で予備を持ってなかったので故障か電池切れか不明。いつもなら自宅を出る前に点灯確認をするのですが、ちょっと寝坊したのと先週の掬星台では問題なく使えてたのでチェックをしなかったのがまずかった。仕方ないので照明無しでトンネルを抜けました。

 1つ目のトンネルは短く、外部の明かりがトンネル内まで少し入り込んでいたので問題なく通過できたが、次のトンネルが問題。かなり長かったような気がします。2つ目のトンネルに差し掛かり、中に入り進んでいくと徐々に暗くなり数十メートル入ったころには、真っ暗で何も見えず。少したてば目が慣れるかなと思ったのですが、それは若干でも明かりがある場合。光の全く届かない暗闇ではどうしようもありません。仕方がないので引き返しトンネルを出ました。トンネルの川岸側を捲いて行けないかなと思い少し進んでみました。行けなくはなさそうですが急斜面などちょっと危険そうだったのであきらめました。

 結局、この第2のトンネルを越すことができず、残念ながら引き返して帰ってきました。自宅に帰り着いてから、ネットでヘッデンを注文。年内にリベンジします。コースの詳細等はその時に紹介します。


 午後6時から囲炉裏村の忘年会に出席。総勢70名でワイワイガヤガヤ鍋をつっつきながら楽しい一時を過ごしました。

 助役から新年会の幹事を仰せつかってしまいました。来月は幹事頑張ります。
歩行日
2008年9月14日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独行
歩 程
約5km









 地元三田での開催と距離も短く、参加者の団体行動ではなく個人行動だったので、朝の散歩代わりに参加してきました。地元なので新たな発見があるはずもなく、淡々とコースを回って来ました。旧九鬼家住宅は何度も前を通ったことはあったのですが、住宅内に入ったことがなかったので見学しました。

 一時間ほどで1位でゴールに到着。先着300名に粗品進呈ということだったので粗品を受け取り、ダイエーで家内と待ち合わせ、買い物をしてから帰りました。

川本 幸民(かわもと こうみん) 1810-1871
 幕末・明治維新期の蘭学者。名は裕(ゆたか)、号は裕軒(ゆうけん)。三田藩侍医の川本周安の息子。江戸に出て、足立長雋、堀井信道らに蘭学を学び、物理・化学に精通。藩医となり1859年に薩摩藩校学頭・蕃書調所教授となる。多くの科学の著訳書があり、日本の科学の発展に貢献した。マッチ、銀板写真なども試作していた。また、1853年(嘉永6年)頃、日本で初めてビールを試醸した日本人とされており、キリンビールのビール5000年の旅探究プロジェクトの一環としてそのことが取り上げられ、広告などに使われた。1871年(明治4年)6月1日没。享年62。 

旧九鬼家住宅
 旧九鬼家住宅は、明治時代に建てられた建物で、1階が伝統的な民家の様式で、2階に洋風のベランダを設けた珍しい建物です。鉄道技師であった九鬼隆範が設計し、明治5年頃から8年頃にかけて建てられた擬洋風建築で、兵庫県指定の重要有形文化財に指定されています。擬洋風建築は、日本古来の建築技法や材料を用いて洋風を表現した建物です。当時の棟梁が見よう見まねで洋風建築に模していったという意味で使われています。明治に入り急激な西洋文化への接近から、建物においても洋風建築を取り入れたいという思いから、このような擬洋風建築が建てられたものと思われます。

縦走日
2008年3月20日(木)
天 候
曇り
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 堺

南海堺駅⇒(1分)⇒神明神社⇒(10分)⇒蘇鉄山⇒(10分)⇒神明神社⇒(1分)⇒南海堺駅





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 南海本線堺駅の南口を出るとすぐ前方右手に神明神社の幟が目に付く。この神明神社が日本一低い一等三角点の山である蘇鉄山への登山口である。登山口から山頂へ向けスタート。登山道は舗装道。南西方向に歩を進めると、登山道というのに信号が・・・。このポイントが蘇鉄山への最難関であるR25(国道25号線)である。このR25を渡るには交差点南の横断歩道を進むか、交差点北の小ピークへ登りつめた後下るかである。この小ピークを持つ峠を歩道橋と呼ぶアルピニストもいるようだ!難関R25を越え西に進むと大浜公園に入る。ここからは、あらかじめ一等三角点の位置を登録してきたポケナビの登場である。いたる方向に分岐があるこのような山中では非常に役にたつ代物である。ポケナビに従い進むと「そてつ山 登り口」の標識を発見。ここから山頂へ向け最後の急登をあえぎながら15秒ほど登ると、やっとのことで山頂へと到達する。一等三角点の標柱を見ると、ここまで苦労して登ってきた甲斐があったというものです。休憩の後、ピストンで神明神社へもどり、社務所にて登山認定書を発行してもらいました。
 最後に大浜公園にて道を誤ると「猿」に出合うことがあり非常時危険です。十分注意してください。

縦走日
2008年3月20日(木)
天 候
小雨後曇り
同行者
単独行
地 図
大阪五低山縦走指南書(天保山山岳会発行)

JR桃谷駅⇒(10分)⇒つるのはし跡⇒(5分)⇒岡山(御勝山) 標高14m⇒(40分)⇒茶臼山 標高26m⇒(35分)⇒聖天山 標高14m⇒(30分)⇒帝塚山 標高20m⇒(電車移動)⇒地下鉄大阪港駅⇒(7分)⇒天保山 標高4.53m⇒(7分)⇒地下鉄大阪港駅







■ 大阪五低山 ■
 その一 岡山(御勝山) 標高14m 大阪市生野区
 その二 茶臼山 標高26m 大阪市天王寺区
 その三 帝塚山 標高20m 大阪市住吉区
 その四 聖天山 標高14m 大阪市阿倍野区
 完登地 天保山 標高4.53m(日本最低峰) 大阪市港区
 大阪市内にある、国土交通省国土地理院公認の5ヶ所の山を巡る大阪五低山(大阪アルプス)縦走に挑戦して参りました。
 港区の日本一低い天保山は人工の山。生野区の岡山(御勝山)、天王寺区の茶臼山、住吉区の帝塚山の3ヶ山は古墳。聖天山は古墳跡である。
 天保山山岳会より「大阪五低山縦走指南書」を取り寄せ、巻末に付属の地形図をもとに、つるのはし跡をスタートとし岡山(御勝山)茶臼山聖天山帝塚山と南下した後、電車で大阪港に移動し日本最低峰天保山に登頂しゴールというコースの登山計画をたてました。また帝塚山と天保山の間に、これまた低山の蘇鉄山を組み込みました。⇒日本一低い一等三角点の「蘇鉄山」の記事はこちら
 スタートであるつるのはし跡は日本最古の橋といわれてます。また、ゴールの天保山の裾地が江戸時代、亀甲型をしており、亀甲橋という橋があったそうです。鶴に始まり亀に終わるこのコースは、めでたい長寿祈願のコースといえるでしょう。
 大阪五低山のうち、岡山(御勝山)と帝塚山は古墳のため立ち入ることができないので、山麓で山上を眺めることしかできません。
 私は蘇鉄山を挟んだために途中に電車移動を行いましたが、健脚な方なら全て徒歩での縦走も可能な距離です。歩くことが苦手な方は、全ての山を電車移動で縦走することも可能です。是非皆さんも機会があれば、大阪五低山(大阪アルプス)縦走にチャレンジしてみてください。
 五低山を縦走後希望者には天保山山岳会に申請すると縦走証明書を発行してもらえます。私も早速、申請しようと思っております。

※参考文献 大阪五低山縦走指南書 発行:天保山山岳会
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