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旅行・観光・散策の最近のブログ記事

走行日
2016年10月22日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独



 

 
 

地元三田市の名所「花のじゅうたん」まで自転車で行ってきた。

約5000平方mの畑に見事な1億輪のシバザクラ大群落がみられる。北海道以外では唯一のシバザクラ専門園。地面を全く見せないほど咲き詰めることから「花のじゅうたん」と名付けられている。

地元ライドでよく通る場所にあるのだが、園内に入ったのは二十数年ぶりだ。シーズンには多くの人が訪れ、車も多くなるので、まだ客足が少ない早朝に走ってきた。 ここのところ、自宅のリフォームなどの関係で、自転車に乗れてなかったので、久々のアップダウンがきついルートはさすがに疲れてしまった。自宅近辺まで戻ったころには、信じられないくらいのトロトロ走行になってしまっていた。あー情けない・・・。

「花のじゅうたん」といえば、はじめて印刷屋に依頼したアマチュア無線のQSLカードに写真を使ったことを思い出した。その画像もアップしておこう。




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いった日
2016年12月10日(土)



 

初孫が生まれたら誕生祝に花文字を贈ろうと思ってました。最初はネットで注文しようと思っていたのですが、神戸南京町に「小雪華」という花文字を書いていただける「小雪華」というとこがあるのをみつけたので、そこに行ってみることに。

「小雪華」は、朝11時オープンなので、その前におっさん一人で王子動物園に行ってきました。




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和歌山でBBQ

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行った日
2016年9月22日(木)




職場の課のメンバーで和歌山へ行き、バーベキューをしてきました。




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行った日
2016年3月11日(金)-13日(日)





 

またまた九州旅行。
今回は、熊本と長崎に行くことにした。やはり、おいらにとって長崎は絶対に外せない場所である。

早朝に自宅を出発し新大阪駅へ向かう。新大阪からは、九州新幹線で熊本まで2時間半の行程である。

熊本駅から市電(路面電車)で市内中心部へ移動。学生時代に長崎のユースホステルでヘルパーをしてるころに知り合った友人と十数年ぶりに再会。残念ながら友人は仕事とのことでランチを共にする。

ランチ後は友と別れ、熊本城・水前寺成趣園と観光。熊本を訪れるのは30年ぶりくらいになると思うが、熊本城に関しては、前回訪問時の印象が残っており、場内の石垣など懐かしく見学した。一方水前寺成趣園も過去に訪れたはずなのだが、こちらは全く記憶に残ってないような状況であった。

久しぶりの熊本を満喫した半日であった。



翌日の朝一番の高速バスで熊本を発ち長崎へと向かう。長崎駅前で降車。友人が駅まで来てくれてたので、駅前から西坂公園(二十六聖人殉教地)を経て、想い出がいっぱい詰まった長崎南方苑ユースホステル跡地まで歩いて登る。一年ぶりに登る南方苑YHへの続く長い坂道を歩いていると長崎での、そして長崎南方苑ユースホステルでの沢山の想い出が頭の中を流れていく。

今回の昼食は、創業大正14(1925)年、九州最古の喫茶店『ツル茶ん』のトルコライス。トルコライスとは、洋食屋さんの定番メニューである「スパゲッティナポリタン・とんかつ・ピラフ・カレー」がひとつのお皿に盛られたもの。みんなが大好きなものが一度に食べられるワンプレート料理。

夕方にもう一人の友人と合流し、稲佐山に夜景を見に行く。長崎稲佐山の夜景は、皆さんご存知の通り日本三大夜景・新世界三大夜景の一つである。稲佐山から眺める港町長崎の夜景は、大地に色とりどりの宝石を散りばめたような美しさがある。長崎に行かれた際には、是非行っていただきたい場所のひとつである。

長崎二日目は、朝の7時過ぎからお昼まで友とカラオケという、長崎まで来て何やってんだと普通の人なら絶対やらないパターンを過ごし長崎を後にした。




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行った日
2015年10月21日(水)


 

平成の大修理を終えた、漆喰の白さが眩しい世界文化遺産『姫路城』に久しぶりに登城してきた。何度来ても素晴らしい城だ。

平日だというのに、大勢の観光客で賑わっていた。平成の大修理前のそれなりの人が観光に訪れていた頃の方が、ゆっくりと見て回ることができ良かったな?。

■姫路城
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝五城」や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。

姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。

江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられた。

昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。昭和の大修理を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。





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