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城・城跡の最近のブログ記事

行った日
2015年10月21日(水)


 

平成の大修理を終えた、漆喰の白さが眩しい世界文化遺産『姫路城』に久しぶりに登城してきた。何度来ても素晴らしい城だ。

平日だというのに、大勢の観光客で賑わっていた。平成の大修理前のそれなりの人が観光に訪れていた頃の方が、ゆっくりと見て回ることができ良かったな?。

■姫路城
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝五城」や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。

姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。

江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられた。

昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。昭和の大修理を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。





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走行日
2014年7 月26日(土)
天 候
ピーカン
同行者
単独






 
 

武庫川サイクリングロードがあるのは以前から知っていた。そのサイクリングロードは、武庫川と仁川との合流点を起点とし鳴尾浜まで約7.1kmの自転車専用道だ。この7.1kmを走るために、わざわざ西宮市まで出て行くのもどうかなと思っていた。

インターネットで兵庫県のサイクリングロードを調べていると宝塚から武庫川の右岸河川敷に自転車道があり、そのまま武庫川サイクリングロードに接続しているようだ。要するに宝塚から鳴尾浜まで一般道を一切使わない自転車道が続いているのだ。

それなら走りに行くかってことで、今回行ってきた。宝塚までどうやって行こうかと考えたが、遠回りするのならルートは複数あるが、最短で行こうと思うとR176を通ることになる。このルートは道が狭く交通量も多い。ましてや大型車が多いので、快適に走ることはできない。ならば、軟弱チャリダーには、もってこいの宝塚まで輪行があるではないか。通勤定期があるので交通費もかからない。

自宅から新三田駅までチャリを走らせ、駅前で輪行袋に収納。電車移動で宝塚へ。宝塚から武庫川沿いを南下。新宝塚大橋の手前で武庫川河川敷へと下りる。ここから鳴尾浜まで、車や信号を気にすることなく走ることができる。道幅は広く、ジョギングやウォーキングをしてる人がいても気にならない。

やがて仁川との合流点を過ぎると武庫川サイクリングロードに入る。武庫川サイクリングに入ると道幅は狭くなり対面通行の自転車専用道となる。並走する形で歩行者用の道があるので、道幅が狭まっても、さほど気にはならない。松林の中を快適にチャリを走らせる。

武庫川サイクリングロードの終点を通り過ぎ、引き返す。最初に上にあがれるところから河川敷を離れ、一般道を阪神鳴尾浜球場、甲子園球場と周ってから、R43を尼崎に向けて走る。

北側の阪神尼崎駅を通り過ぎてすぐの開明小学校の塀沿いに「尼崎城址」の碑がポツンと建っている。碑を写真におさめ、開明小学校の北西に位置する尼崎城址公園へ。さほど広い公園ではないが、石垣と土塀が模擬復元されており、公園内にある尼崎中央図書館も石垣と土塀で囲われ城址らしさをアピールしている。

尼崎城址公園から北上し、弥生時代全期間に渡る集落遺跡である田能資料館へ。木棺や甕棺など多くの墳墓が発掘された遺跡である。資料館には、出土した棺や甕、石器などが展示されており、屋外には住居や高床式倉庫が復元されている。

田能資料館を後にし伊丹スカイパークへ。大阪国際空港の西側に面する大型の公園で、旅客機の離着陸を目の前で見ることができる。

この後、JR中山寺か宝塚まで戻る予定であったが、あまりに暑いので「今日は、このへんで勘弁しといたろう」と軟弱ぶりを発揮し、JR伊丹から輪行で三田へと戻った。





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走行日
2014年7 月21日(月)
天 候
晴れ
同行者
単独





 
 


2008年3月31日がラストランとなり廃線となった三木鉄道の廃線跡地に行ってみたいと思い立ち自転車で行ってきた。

県道18号・20号と辿って三木市街地へと入る。せっかく三木まで来たのだからと三木城跡に立ち寄ってみる。三木城は三木合戦(三木の干殺し)で有名な城である。三木城の主郭跡は上の丸公園として整備されており、本丸跡(天守台)には「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された三木合戦時の城主別所長治公辞世の歌碑が建ってる。

先に記した三木合戦に黒田官兵衛が参戦していたとのことの影響であろう。観光客で賑わうほどではないが、途切れることなく人が訪れ三木合戦図や三木城址説明板を取り囲んでいる。NHK大河人気恐るべしである。特に三木合戦図はじっくりと読む人が多く、人が途切れて三木合戦図前に愛車TRIACE S220を入れての写真撮影に時間を要してしまった。

■三木城
三木城は東播磨の有力戦国大名だった別所氏の居城で、15世紀後半に別所則治が建てたとされる。台地の先端に築かれた丘城で、北西は川が遮り、南と東には山上に要害等を配置し堅固な城だったという。有名になるのは城主 別所長治の時に起こった織田軍(秀吉)との三木合戦で、秀吉は周囲に数多の付城を築き三木城を包囲。毛利方からの兵糧搬入を阻害し続け、2年もの攻防の末、多くの砦を落とされ兵糧も尽きた別所氏は自害し、降伏開城となった。城は1615年の一国一城令で廃城となった。

■三木合戦(三木の干し殺し)
天下統一を目指す織田信長は、天正5年(1577)に、中国地方の戦国大名毛利輝元を打つため、羽柴秀吉を総大将に任じ播磨に進行させました。播磨の守護代である小寺氏や別所氏など有力武将は、秀吉率いる織田軍に加勢することを約しました。別所氏は、村治、安治のころより織田氏とかかわりが深く、長治の叔父重棟は既に織田方として従軍していました。毛利氏の庇護にあった前将軍義昭は、諸将に織田軍に叛き毛利氏に加勢するよう働 きかけていたため、別所長治を中心に播磨の武将は織田方に反旗を翻し、三木合戦へと発展していきました。(天正6年)

秀吉は、播磨の武将をまとめる別所氏との直接対決で、兵力が消耗することを避け、三木城を領内の播磨内陸部との連絡を絶ち孤立化させるため、三木城の北側に付城群を築き、別所氏に味方する播磨各地の城攻めを行いました。別所方は三木城に新城をあらたに築き合戦に備えていましたが、周辺の城が落とされ兵糧も十分に確保できなくなり、毛利氏、荒木村重などからの兵糧補給を頼りとしていました。荒木氏は丹生山の明要寺を経由し密かに兵糧を補給し、毛利氏は海路明石魚住から補給していました。三木城周辺での戦は、天正6年(1578)10月に平井山の合戦があったほか、天正7年2月魚住からの補給をめぐる戦いが、5月には丹生山での戦が、9月には平田での戦があったことが記録に見えます。これらの戦いは兵糧をめぐる攻防だったと思われ、戦いのたびに兵糧の搬入路を失っていきました。なかでも天正7年2月の戦いの後、織田信忠によって三木城の南側に付城が築かれ、魚住からの搬入が思うようにいかなくなり、迂回して大村坂より搬入することとなって、平田の戦へとつながっていきます。

別所方にとっては兵糧を確保する重要な戦であったのですが、そのたびに多くの武将と兵糧の搬入手段を失い、食料が尽きた城内の領民や兵は餓えに苦しみ悲惨な状況であったと云われ、城主長治は領民の命を救うため、天正8年(1580)1月、一族とともに自刃し開城しました。この合戦を別名「三木の干し殺し」と呼ばれています。


三木城を後にし、三木鉄道記念公園に向かいます。三木鉄道記念公園は、2008年4月1日に廃止(ラストランは前日の3月31日)になった三木鉄道三木線三木駅の駅舎周辺を15m移築・改築した公園である。この廃線跡を少し辿ってみることにする。旧高木駅・旧別所駅を見つけることができた。高木駅は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。東西に走る線路の北側に簡単なホームを添えただけのつくりとなっている。駅舎はなくホームの上に短い上屋があるのみだ。

続いて訪れたのが旧別所駅。ここも単式ホーム1面1線を有する地上駅である。東西に走る線路南側にホームが設けられ、ホームに接して古い木造駅舎が残されている。内部に待合所的な木製ベンチが設けられている。待合所の出札窓口等は板で塞がれている。駅舎入口左手に真新しく立派な「三木鉄道記念碑」が建っている。表面に「三木鉄道の歴史・沿革年表」が記されており、裏面には在りし日の三木電鉄車両走行風景が描かれている。

今回の三木鉄道廃線辿りはここまで。荒れ果てた線路跡を自転車走行するのはちょっと無理なので、次回は三木鉄道記念公園までバイクできて、徒歩で廃線跡を歩いてみたいと思う。

後は帰宅するだけだが、自宅まで約30kmの道のり、まして登りとなる。さすがに暑い陽射しのおかげで体力消耗の帰路となった。途中自動販売機で買った炭酸飲料がなんと美味しかったことか。(ワンコインで500mlのペットボトル飲料が買えるチェリオの販売機があったら、そこで休憩と決めてペダルを回してたんですよ。)

帰宅後シャワーを浴びてからの冷えたビールは最高であった。 




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登頂日
2014年3月16日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独







 
 

この季節になると毎年のように訪れている丹波の金山に今年も行ってきた。目的は金山のふもと追入地区に咲いている節分草・ユキワリイチゲ・アズマイチゲなどのスプリングエフェメラルを観ることである。

追入神社横の金山登山口にバイクを停め、まずは金山に登る。金山は明智光秀が丹波攻めの際に黒井城の荻野氏と八上城の波多野氏を分断する為に居城を置いた山で山頂は金山城の本丸跡になっている。現在遺構はほとんど残っていないが山頂からは、敵の居城である黒井城や八上城を一望することができる。

山頂直下にある鬼の架橋も一見の価値がある。鬼の架橋は二つの巨岩の上に岩が掛かっており、鬼が掛けたという言い伝えから鬼の架橋と呼ばれている。

いつもはピストンするのだが、今回は大乗寺への道を下る。はじめて歩いたが、新しく整備された道で山道というよりも林道的な道で面白みに欠ける。

下山後は追手神社でユキワリイチゲ、大山宮地区で節分草・アズマイチゲなどを鑑賞。節分草は今が盛りで可憐な花が沢山咲いていた。イチゲ類は時間が早く花が開いておらず残念であった。やはり午後でないと開ききらないのだろう。花が開くまで待つわけにもいかず残念ではあるが帰路についた。




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登城日
2013年9月22日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独






 

我が家からほど近い神戸市北区に茶臼山城跡(ちゃうすやまじょう)というのがある。以前から気になっていたので自転車にまたがり行って見ることにした。

茶臼山城跡は、兵庫県神戸市北区長尾町上津台のニュータウンの北端に位置する戦国時代の城跡である。上津城(こうづじょう)ともいう。この茶臼山城は、一般的に全国に200以上あるといわれている戦跡の茶臼山のひとつとのこと。現在の長尾町上津の茶臼山城は、地元住民の要望によって、安全な公園化を行い、展望台や顕彰碑などの整備が行われ「茶臼山城跡」を改め「高津甲公園(たかつこ)・茶臼山緑地」となっている。

茶臼山城は「一蓮坊(いちれんぼう)祐之」という土豪が指揮を執っていたが、豊臣秀吉の三木城攻めの際に、秀吉の家臣による攻撃を受け、降参することを余儀なくされた。一蓮坊祐之は、自分の自害を条件に家臣の命を救ったと伝えられている。

公園入口に駐輪し公園内へ。遊具が置かれた高津甲公園奥に階段があり、そこを登れば「茶臼山緑地」と名づけられた茶臼山城の主郭跡(南丸・本丸)となる。南丸跡は「南丸展望広場」となっているが、現状は雑木に覆われ展望広場とは程遠いものがある。南丸跡の奥に本丸跡がある。

主郭跡南側の高津甲公園から登城したが、公園入り口から本丸まで、ほんの数分で辿りついてしまう。あまりにも歩く距離が短すぎたので、北側の田園地帯に下りぐるっと周って公園入口に戻った。




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