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城・城跡の最近のブログ記事

登頂日
2013年9月15日(日)
天 候
曇り
同行者
単独

三田市立高平ふるさと交流センター⇒観福寺⇒とりで広場(堂山)⇒奥山⇒薬師堂⇒みずべ広場⇒三田市立高平ふるさと交流センター





 

台風接近で朝から雨が降り続いている。愛犬の散歩に行き、娘を駅まで車で送って自宅に戻る頃には、雨が小降りになったきた。しばらくすると雨があがり、空も若干明るくなってきたので地元三田の里山歩きに行くことにする。

行き先は、昨日歩いたナナマツの森と同じ高平地区にある観福の森から三等三角点の奥山に登ることにする。いつ雨が降り出すかもわからないので、今日は自転車ではなくエンジン付きのバイクで現地へ向う。

三田市立高平ふるさと交流センターにバイクを停めさせていただく。この施設の裏手一帯が観福の森となっており、施設内の案内標識に従い進むと体育館の脇にフェンスの扉がある。ここから観福の森に入ることができるようだ。扉に近づいてみるとフェンスの扉は南京錠で施錠されており入ることができない。仕方がないので、ネットで下調べしておいた観福寺へ移動。観音福寺境内奥から観福の森に入る。観福寺から堂山頂上にかけて33体の観音石仏が並ぶ「三十三所詣で」のコースを登る。

整備された遊歩道を登って行くと東屋が見えてくる。この東屋がある場所が堂山の山頂となり、観福の森では「とりで広場」と名付けられている。その名が示すとおり、室町時代の後期に山頂から中腹にかけて砦が築かれていたそうだ。

ここからは高平地区の象徴とも言える大船山とその麓に広がる田園風景を眺めることができる。Youtubeで公開されている、三田市のPR動画「週末、三田で山ガール【三田市CM3】」の最後に映し出される眺めは、この場所からの眺望である。

「とりで広場」から方面に遊歩道を進んで行くと鞍部の分岐がある。遊歩道は麓方面に下るのだが、ここから遊歩道を離れ直進する。わずかな踏み跡と境界杭をたよりに進んでいく。ピークを一つ越えて下ったところの鞍部から山頂まで急な登りが続く。山頂まで境界杭があるので、それを頼りに登って行くと迷うことはない。

点名非相山の三等三角点が置かれた標高446.81mの山頂は、雑木にに囲まれ展望はない。しばらく休憩して下山にかかる。足元に気を付けながら急勾配を鞍部まで下る。ここから往路から離れ西に一気に下ると5分程で、観福の森の薬師堂に下り立つ。薬師堂から標識に従い遊歩道をみずべ広場に戻る。「みずば広場」は、三田市立高平ふるさと交流センターのすぐ裏手に位置するが施錠されたフェンスに阻まれ、直接戻ることが出来ないので北側から迂回して正面入り口から三田市立高平ふるさと交流センターに戻る。

三田市立高平ふるさと交流センターの駐輪場で帰り支度をしていると雨がポツポツと降り出し、あっという間に本降りとなってきた。レインウェアを着用し帰路につく。歩いている途中に降り出さなくてラッキーであった。






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登頂日
2013年1月6日(日)
天 候
曇り
同行者
囲炉裏メンバー27名

薬草薬樹公園⇒狹宮神社⇒蛇山(岩尾城跡)⇒和田小学校⇒薬草薬樹公園






今年最初のはんなりオフに参加。はんなりオフでは、毎年1月に干支の山を企画してくれる。蛇の名が付く山というと「蛇谷」大半の人がそうおもっていたようだが、その予想を覆し丹波の「蛇山」であった。「蛇山」は兵庫県山南町にある城山で岩尾城跡である。三田に住んでいるおいらも聞いたことがなかった山である。

はんなりオフはmさん&Rさんのお二人が主催で今回93回目を迎える。ここ1年家庭事情でお休みされていたRさんが復帰されたことも書いておかなければならない。久しぶりにmさん&Rさんが揃ったはんなりである。

JR谷川駅まで車で行き、電車組の到着を待ち、4人を乗せ薬草薬樹公園の駐車場に移動。ここに車を停めて出発。狹宮神社で簡単な自己紹介&初詣を済ませ、本殿の脇から登山道に入る。

標高358mとさほど高い山ではないが、比較的急なアップダウンを繰り返し登っていく。1時間半弱で山頂に到着。山頂には天守台の石垣が残っている。ここで昼食だが、天守台の上は先客が食事中であったため、他の高台部分で昼食をとる。

昼食後、バンダナショットを撮って下山。下山路は城郭部分となっており西の丸跡や井戸、曲輪跡などを通っての下りである。30分ちょっとで和田小学校裏手にでる。ここの広場で一応解散。

薬草薬樹公園まで戻り、温泉に入ったり、お土産物を見たりしてから、それぞれ帰路に着く。帰りも4人を乗せ三田へ。同乗の4人を駅前で降し、一旦帰宅し家内に駅まで送ってもらい、駅前の居酒屋でアワアワを楽しんだ。

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散策日
2011年4月17日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


篠山城に桜を求めて行ってきた。

篠山なら、まだ大丈夫かと思ってたのだが・・・
すでに遅く終わりかけだった。

でも、天気も良かったし、充分に綺麗な桜を観る事ができた。

◆篠山城跡(日本100名城)
 篠山城は、慶長14年(1609)征夷大将軍となった徳川家康が、近畿・中国・四国の十五ヶ国、二十大名に夫役を命じ築城した天下普請の城である。天下普請の城郭には、他に、二条城・丹波亀山城・膳所城・彦根城・名古屋城・駿府城・越後高田城・江戸城)などがある。
 普請奉行には池田輝政、縄張り奉行には藤堂高虎を任命し、京都から山陰、山陽へ通じる要衝の地を守る為、城主には家康の庶子である、松平康重が置かれた。
 篠山城は比高15メートルの小山を利用した平山城で、縄張り形式は方形で、天守台・殿守丸・二の丸が梯郭式で、それを囲む三の丸は輪郭式である。三の丸の濠は東西南北約400メートル、幅が約40メートル。三の丸の大手・東・南の三門は土橋で外濠を渡り、そこに角馬出しがついていた。とくに南馬出しは土塁で現在もよく残っている。

・篠山城本丸跡
 築城当初は現在の二の丸が本丸、現在の本丸は南東の隅に、天守台が造られたことから、特に殿守丸と呼ばれていました。
 天守台の大きさは東西約十九メートル、南北約二十メートル、約三百八十?の広さがあります。天守台石垣は本丸内側からの高さ、約四メートル、外側の南と東側犬走りからの高さ約十七メートルで、篠山城で最も高い石垣です。 天守閣は築城の時に建築が中止され、代わって天守台南東隅に二間四方(四メートル四方)の一重の隅櫓が建てられました。

 本丸の周囲は天守台と南西隅・北西隅・北東隅の三ヶ所に二重の隅櫓を建て、間を多聞櫓でつないで内部を囲んでいました。二の丸には大書院をはじめとする御殿が建てられたのに対して、本丸には御殿等の建物はなかったようです。
本丸内の北側中央にある一の井戸は岩盤を掘り抜いたもので、深さ約十六メートル(内水深八メートル)で、掘るのに二年もかかったと伝えられています。

・大書院跡
 篠山城大書院は二の丸跡に所在した城主居館の中で、とくに歴代城主による公式行事に使用された場所で、正規の書院造の建物となっていました。
この建物は慶長十四年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西二十八メートル、南北二十六メートルの篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。
 廃城後もこれだけ残されましたが、昭和十九年の失火により失われました。その後、焼失から五十六年たった平成十二年三月大書院の威容が大書院跡地に蘇りました。
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歩行日
2011年4月9日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏メンバー2名

JR玉造駅⇒聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会⇒難波宮史跡公園⇒大阪城公園⇒毛梅桜之宮公園






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 村のWさん、pさんと大阪街中花見ハイクに行ってた。

 11時に大阪環状線玉造駅集合。聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会から難波宮史跡公園を経て大阪城公園へ。

 雨が上がり、午後から天気が回復ということもあり、大阪城公園は多くの人で賑わっている。天守閣前の売店で花見寿司とを買ってランチタイム。

 昼食後は、大阪城桃園で桃の花を堪能し大川沿いへと出る。大川沿いの桜並木も見事。多くの花見客で賑わっている。このあたりで陽射しが出てきて一気に暖かくというより暑くなってきた。

 毛馬桜之宮公園で川沿いから離れコンビニへ。ビール・焼酎・つまみを調達して再び毛馬桜之宮公園へ戻り、桜の木の下で小宴会。途中で仕事途中のSさんも加わりワイワイと楽しい一時。

 野外小宴会の次は、天神橋のMさんのお店でまたまた宴会。村のMUさんが合流。仕事を終えたSさんも遅れて登場。Mさんの店の常連のF嬢も加わり、賑やかな時間を過ごした。

 ご一緒いただいた皆さんありがとうございました。
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登頂日
2011年4月3日(日)
天 候
雪/曇り
同行者
囲炉裏村メンバー26名+1名(Rさん)

近鉄壺阪山駅⇒土佐街道⇒壺阪寺⇒五百羅漢⇒高取山(高取城跡)⇒砂防公園⇒夢創館(土佐町)⇒近鉄壺阪山駅








 はんなりオフで壺坂寺から日本三大山城のひとつ高取城跡に行ってきた。

 近鉄壺阪山駅に集合。出発を待っていると雨がポツポツと落ちてきた。この雨がみぞれっぽくなって、やがて雪に・・・って4月だぞっ!

 駅から土佐街道を歩く。土佐街道には昔の面影を残した屋敷などが残っている。奈良なのになんで土佐かいどうかっていうと、六世紀のはじめ頃に大和朝廷の都造りの労役に土佐から召しだされた者が任務を終えて帰郷しようとしたが朝廷からの援助がなく帰郷できず住み着いたので土佐町と呼ばれるようになり、その土佐町の街道を土佐街道と呼ぶそうな。

 土佐街道を抜け、山道に入り登りきると西国三十三所第六番札所の南法華寺、通称壺坂寺に出る。ここで30分ほど時間を取り、希望者は壺坂寺を拝観。おいらは昨年お参りしてご朱印もいただいているので今回はパス。拝観者を待っている間、あいかわらず雪が降り続く中、Oさん差し入れのだんご庄のお団子をいただく。ここのお団子はいつ食べても美味しい。Oさんありがとう。

 壺坂寺から五百羅漢を巡って高取山(高取城跡)へ。

 高取城は、国内最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられている名城なのだ。元和の一国一城令が発せられたときも重要な山城として破却を免れ、明治20年ごろまで天守閣も残されていたそうだ。現在も石垣や石塁が残されている。

 天守台で昼食。ラーメンにしようかと思っていたが、コンロと鍋を持ってくるのが面倒だったので普通のお弁当にしたが、雪が降るほどの寒さ、やっぱラーメンにすべきだった。冷え切った手作り弁当(誰の手作りって? もちろん私です)と冷えたビール。身体の芯まで冷えてしまいそうだ。デザートには女性陣差し入れのケーキをいただいた。美味しかったっす、ありがとうございました。

 石垣の前でバンダナショットを撮影して下山。下界へ下ったところにある砂防公園は紅白の桃が満開。ここで最後の休憩。

 砂防公園から駅に向かって歩き始めると前方から骨折でリハビリ休養中のRさんが歩いてくるではないか。ストックをつきながらではあるが元気に歩いておられる姿を見て一安心。早く良くなってはんなりに復帰してくださることを望みます。

 土佐街道にある「夢創館」前で解散。希望者は夢創館に立ち寄り、往時の高取城の様子をCGで再現したビデオを見せていただいてから駅へと戻る。

 電車で阿部野橋まで戻りアワアワに参加してから帰路についた。
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