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西国三十三霊場の最近のブログ記事

参拝日:2010年8月29日(日) 同行三人
第二十八番札所 成相山 成相寺
御 詠 歌
波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立
御本尊
聖観世音菩薩
宗 派
真言宗
開 基
真応上人
開創年
慶雲元(704)年
所在地
京都府宮津市成相寺339   TEL:0772-27-0018
拝観料
500円
 URL





撮影:Canon PowerShot SX200 IS

西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊


しばらくおまちください

◆成相山 成相寺 
成相寺は天橋立を望む成相山の中腹にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場でした。日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。その中で文武天皇の勅願所として慶雲元(704)年に真応上人が創建したと伝えられています。悲話を伝える撞かずの鐘、奇怪な話の底なし池、美人観音として名高い聖観世音菩薩などがあり、しゃくなげの名所でもあります。 本寺は「身代り観音」「撞かずの鐘」などの伝説で知られています。車道もありますが、ケーブルカーと登山バスを乗り継いでお参りされるのも楽しいでしょう。どちらも天橋立を眺めながら上がれます。西国札所最北端のお寺で、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る雪の天橋立も格別です。

・由来
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。 すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた鹿が倒れているのに気付がつきました。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。 やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居ました。 それを知らされた僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。
成相寺ホームページより引用

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参拝日:2010年8月16日(火) 同行二人
第二十六番札所 法華山 一乗寺
御 詠 歌
春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
御本尊
聖観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
法道仙人
開創年
白雉元(660)年
所在地
兵庫県加西市坂本町821-17   TEL:0790-48-2006(本坊)
拝観料
400円





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 お盆休みの最終日、特に予定もないので、久々に西国三十三所にお参りに行くことにした。

 訪れたのは、兵庫県加西市にある、第26番札所 法華山 一乗寺。天台宗のお寺で御本尊は『聖観世音菩薩』である。

今回は車で現地へ。300円の駐車料金を払って、一乗寺の駐車場に停める。

 一乗寺には山門がない。境内入口から金堂(本堂)まで長い石段が続いている。途中左手に1174年完成の三重塔がある。この三重塔は国宝に指定されている。三重塔は本堂から眺めると良いだろう。

 本堂でお参り、御朱印をいただいた後、奥の院・賽の河原と回った。

◆法華山 一乗寺 
 寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
 一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。
 法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀?8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。
 創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。
 一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。

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参拝日:2010年5月4日(火) 同行五人
第七番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺)
御 詠 歌
けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
御本尊
如意輪観世音菩薩
宗 派
真言宗豊山派
開 基
義淵僧正
開創年
天智天皇2年(663年)
所在地
奈良県高市郡明日香村岡806   TEL:0744-54-2007
拝観料
300円
 URL






西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 壷阪寺のお参りを済ませ、飛鳥の岡寺に参拝。坂乃茶屋で昼食(坂乃茶屋定食 山菜にゅーめん・ぜんまいご飯・山ふき煮付け)をいただいた。この後、長谷寺へ行く予定であったが、時間の関係で断念。飛鳥の石舞台古墳と橿原神宮に寄って帰路についた。

◆東光山 岡寺(龍蓋寺) 
岡寺は奈良県明日香村の東、岡山の中腹に位置しています。真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。また日本最初やくよけ霊場としても知られています。

『岡寺』という名は地名に因る名で正式には、

山号は東光山(とうこうさん)
院号は真珠院(しんじゅいん)
法名は龍蓋寺(りゅうがいじ)

となり『東光山 真珠院 龍蓋寺』となります。しかし古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめて呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれております。

この『龍蓋寺』という名は、この地を荒らし農民を苦しめていた龍を義淵僧正がその法力をもって封じ込めたことからその名が付いたといわれております。まさに''龍''に''蓋''をする。というわけです。岡寺に現在まで続く「やくよけ」信仰の所以のひとつとも言われております。

その龍を封じ込めたとされる池、「龍蓋池」が本堂の前にあります。昔から池の中にある「蓋」である石を揺らすと雨が降るという言い伝えが残っております。

寺伝によるとおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されたとなっています。義淵僧正とは伝説にみちた人で、生年不詳(??728)。
大和国高市郡に子供に恵まれない夫婦がおり、彼等は日々観音様に子が授かるよう祈りを捧げていました。そんなある日の夜突然子供の泣き声がして、夫婦が表に出てみると柴垣の上に白い布に包まれた赤子がおり、中に連れて入ると馥郁たる香りが家の中にみちた。というのが義淵僧正の出生伝説。その後この夫婦に養育され、ついで観音様の申し子として天智天皇に引き取られ、岡宮で草壁皇子とともに育てられました。後に義淵僧正はこの地を与えられ、龍蓋寺を建立されました。現在岡寺は真言宗豊山派に属しておりますが、開祖義淵僧正はわが国法相宗の祖であり、その門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基、その他にもおよそ奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けたといわれています。

岡寺が義淵僧正によって創建せられたという最も古い文献は、醍醐寺本『諸寺縁起集』に収める「龍門寺縁起」(*龍門寺・・吉野郡にあったお寺)に、龍蓋・龍門 両寺は義淵僧正が国家隆泰、藤氏栄昌のために建立するところであると記されています。また「龍蓋寺」という寺名は天平勝宝三年(751)の正倉院文書で初めて出てきますが、これ以前の天平十二年(740)七月八日付けの正倉院文書の中でも龍蓋寺所蔵と書かれた仏典があると記されています。

義淵僧正は法相宗の祖でありましたから岡寺もその系統のお寺で江戸時代までは興福寺の末寺であり、興福寺から別当(住職)を選出しており、室町時代には興福寺別当が岡寺別当を兼務しておりました。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり今日に至っています。同じ西国札所の興福寺・長谷寺とは昔から深いかかわり合いがあるお寺です。
岡寺公式ホームページより抜粋

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参拝日:2010年5月4日(火) 同行五人
第六番札所 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)
御 詠 歌
岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん
御本尊
十一面千手千眼観世音菩薩
宗 派
真言宗
開 基
弁基上人
開創年
大宝3年 (703年)
所在地
奈良県高市郡高取町壷阪3番地   TEL:0744-52-2016
拝観料
600円
 URL






西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 久々に西国三十三所に巡拝である。山仲間で小生と同じく西国三十三所を巡拝している仲間に誘われて、奈良の観音霊場壷阪寺と岡寺の二寺院を近鉄の「飛鳥めぐりフリーきっぷ バスセットコース」を使ってお参りしてきた。

◆壷阪山 南法華寺(壷阪寺) 
南に桜の名所吉野山を控え北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ。
真言宗の寺。西国三十三所観音霊場の第六番札所。 本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として全国各地から毎日多くの参拝者が訪れる。

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。

平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。

近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。

明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)
壷阪寺公式ホームページより抜粋

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参拝日:2010年1月24日(日)
第八番札所 豊山 長谷寺
御 詠 歌
いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川
御本尊
十一面観世音菩薩
宗 派
真言宗豊山派(総本山)
開 基
徳道上人
開創年
朱鳥元年(686年)
所在地
奈良県桜井市初瀬731-1   TEL:0744-47-7001
拝観料
500円
 URL


西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆豊山 長谷寺
 当山は山号を豊山( ぶさん )と称し、寺号を長谷寺( はせでら )と言い、正式には豊山神楽院長谷寺と申します。

 「こもりくの泊瀬山」と万葉集にうたわれていますように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬(はつせ)など美しい名でよばれていたので、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも言われていました。

 朱鳥( あかみどり )元年(686)道明(どうみょう)上人は、天武天皇のおんために銅板法華説相図( 千仏多宝仏塔 )を西の岡に安置、のち神亀四年( 727 )徳道(とくどう)上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました。

 上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山を三十三所の根本霊場と呼ぶいわれであります。

 現在の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。
(長谷寺ホームページより引用)
参拝日:2010年1月24日(日)
番外札所 豊山 法起院
御 詠 歌
極楽は よそにはあらじ 我が心 おなじ蓮の へだてやはある
御本尊
徳道上人像
宗 派
真言宗豊山派
開 基
徳道上人
開創年
天平7年 (735年)
所在地
奈良県桜井市初瀬776   TEL:0744-47-8052
拝観料
無料
 URL


西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆豊山 法起院
 徳道上人は斉明天皇の御宇二年(西暦六五六年)、播麿の国矢田部の里で誕生なさいました。 その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛は 梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人達は目を見張ったそうです。 成長されるにしたがって読書を好み、手に筆を持つことを無上の楽しみとし、神童との噂の中で 連日精進をお重ねになりました。しかし、突然起こった不幸は上人の父を奪い、そして数年の後には母も 不帰の客となったのです。

 仏の道を極めることこそ人間に生まれた最高の道であり、 亡き父母の菩提を弔うことが今の自分にとっては、真実の報恩であろうと大悟徹底された上人は、当時我が国随一の大名僧であった大和長谷寺の道明大徳との間に師弟の契りをお結びになりました。 約十年間の修行の後、智道兼備の名僧となられた上人は、大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院を建立されました。その中でも大和の長谷寺では本尊大観音を御造立されました。

 前記の養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。

 二百七十年後の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。
(法起院ホームページより引用)
参拝日:2009年11月21日(土) 同行二人
第二十三番札所 應頂山 勝尾寺
御 詠 歌
重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ
御本尊
十一面千手観音菩薩
宗 派
真言宗高野山派
開 基
開成皇子
開創年
神亀4年(727年)
所在地
大阪府箕面市粟生間谷2914-1   TEL:072-721-7010
拝観料
400円
 URL

阪急箕面駅⇒箕面公園(大滝)⇒箕面ビジターセンター⇒〔自然研究路4号線〕⇒勝尾寺⇒〔東海自然歩道〕⇒箕面ビジターセンター⇒箕面公園⇒阪急箕面駅







西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 夏のアルプス、秋の六甲全山縦走大会などなどで、西国三十三霊場巡礼に行けてなかった。六甲全縦も終わったことだし、久しぶりに巡礼に行くことにする。どうせ行くのなら、この季節なので紅葉が有名な勝尾寺に紅葉ハイクを兼ねて行くことにした。

 コースは交通費が一番安い阪急箕面からのピストンに決めた。箕面公園も紅葉の人気スポットなので、人で賑わう前の早朝から歩き出すことにする。ということで、阪急箕面駅をAM6:50にスタート。観光道の滝道を大滝目指して登っていく。上から下りてくる地元の人に多くであった。箕面でも毎日登山の風習があるのだろう。さすがに一般観光客的な人とすれ違うことはない。

 瀧安寺あたりから紅葉が目に付きだす。野口英世像への登り口付近は、紅や黄色に染まった木々と常緑樹と調和の取れたコントラストがとても綺麗だ。大滝には早朝にもかかわらず、それなりの人がいた。地元の人とアマチュアカメラマンがほとんどだ。滝の周りは紅葉がすくなく残念だ。

 大滝から少し戻り車道へと上がる。ここから箕面ビジターセンターまで車道を歩く。ビジターセンターの敷地内に入り駐車場手前右側にある階段を登ったところで道が左右に分岐しており、左側が東海自然歩道、右が自然観測路4号線である。往路は後者を取ることにする。比較的緩やかな、整備された道が続いている。自然観測路ということで所々に樹木や生き物の説明板が立てられている。

 自然観測路を進んでいくと直進する道と右に下る道の分岐が出てきた。地図で見てきたイメージ的には直進なのだが、道標には右へ下る方向に「勝尾寺」と記されている。地図を出してみるのも面倒なので、道標に従うことにして右に道を取ると丸太階段を一気に下っていく。結局車道まで下ってしまった。車道との出会い地点に設置されていた案内板を見るとやはり直進でも良かったようだ。下ってきた行程を考えると登り返す気にもならないので、そのまま車道を歩き勝尾寺に到着。

 勝尾寺の参拝入り口は、ご立派な近代風建物である。建物正面の入口と表示のある自動ドアから広々とした明るい雰囲気の建物に入ると受付があり、ここで拝観料を払う。建物内は休憩所とみやげ物売り場になっている。地下駐車場まであるというからすごい。お寺というより観光施設って感じである。観光収益を思いっきり重視した寺院という印象である。

 さすがに紅葉名所とあって樹木は綺麗に色付いている。また勝ち運信仰の歴史をたどっている勝尾寺は「勝ちダルマ」が有名。小さな勝ちダルマが灯篭の中や岩の上などに沢山並べられている。本堂でお参りを済ませ納経所で御朱印を頂く。

 本堂の右手から二階堂への道を登っていくと二階堂の少し手前から東海自然歩道に入れる。獣よけのフェンスを潜ると山道に入るのだが、いきなりの急登が待ち構えている。この急登を登りきると東海自然歩道に合流する。

 東海自然歩道を政の茶屋(箕面)方面にしばらく歩くと、勝尾寺を開いた開成皇子(光仁天皇の皇子)の墓がある。ここからしばらく丸太で作られた歩道が敷かれているが、丸太の腐食が激しく危険なため通行止め。谷側の迂回路を進む。

 東海自然歩道は道幅も広く整備された道であるが、自然観測路4号線に比べるとアップダウンの繰り返しが多く疲れるが、今日の行程を考えるとこれくらいのアップダウンがないと物足りない感じではある。やがて往路に歩いた自然観測路4号線が左側5m程下に見えてくる。しばらく平行線をたどる。所々両道を行き来できる踏み跡がある。やがて自然観測路4号線と別れ車道を渡る橋を越えると再び自然観測路4号線と合流点の箕面ビジターセンターである。

 箕面ビジターセンターから車道で箕面公園に戻る。車道から滝道に下り、大滝方面を除いてみるとすごい人で賑わっている。人の多い大滝に再度行く気にはならないので箕面駅へと下った。

GPSの調子が思わしくない。電源投入時に現在地を補足するのにかなり時間を要する。また滝道あたりでかなり外れたコースを記録している。一度ファームアップでもしてみるとしよう。トラックデータを修正するのも面倒なのでそのままアップしております。御了承ください。
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◆應頂山 勝尾寺 
 勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。

 伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。

 開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺(かぶさんじ)など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。

 勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。

参拝日:2009年7月20日(月)
第二十四番札所 紫雲山 中山寺
御 詠 歌
野をもすぎ 里をもゆきて中山の 寺へ参るは後の世のため
御本尊
十一面観世音菩薩
宗 派
真言宗中山派(大本山)
開 基
聖徳太子
開創年
推古天皇時代(593-628年)
所在地
兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1   TEL:0797-87-0024
拝観料
入山無料
 URL







西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 雲行きが怪しい中、武田尾駅をスタート。廃線線跡に入りトンネルを2つ通り抜けると左手が桜の園である。ここで廃線跡から別れ桜の園の桜の道を登っていく。雨がポツポツ落ちてきた。この先の東屋で、とりあえずザックカバーを付けよとしていたら雨脚が激しくなってきた。しばらく様子を見たが弱まる気配がないので、仕方なくレインウェアを着込み出発。

 桜の園から離れ、大峰山山頂に向かって登っていく。この季節にレインウェアを着ての登りは辛い。暑くて汗がダラダラ流れる。東屋から引き返せばよかったなどと軟弱な事を考えてしまう。

 汗だくになりながら大峰山山頂に到着。樹林に囲まれた山頂で展望は利かない。山頂から中山方面に下る。下り始めてすぐの三叉路は左に道を取る。しばらく進んだところの十字路(左が送電鉄塔)は直進。後は道なりに下っていくと峠風の三叉路にぶち当たる。ここは右に行き、すぐに左に入る。ちなみに右に行くと大宝塚ゴルフ場から十万辻バス停方面に出る。緩やかな道がしばらく続いた後、道は激下りとなる。最後に3mほどの岩場をくだると車道に出る。

 車道をはさんだ真向かいに門扉がある。その門扉の右側の道を入っていく。左手に砂防ダムを見ながら橋を渡ると中山連山への登りとなる。ゴルフ場の脇を通りながら登っていくと左に登っている道がある三叉路がある。中山寺奥之院直進の標識があるが、ここは左に入る。直進は、中山最高峰を捲く道なので注意。中山最高峰を踏まなくてもいいのであれば直進である。赤土の馬の背っぽいやせ尾根を過ぎると中山最高峰である。

中山最高峰からフェンス沿いに下っていくと分岐がある。中山寺奥之院に立ち寄るのであれば右である。小生は立ち寄るので右に道を取る。やがて鳥居が見えてくると中山寺奥之院である。

 中山連山に登り始めた頃から雨も弱くなり、奥之院到着時には雨が完全にあがったのでレインウェアを脱ぐ。見も軽くなり、一気に中山寺へと下る。中山寺は西国三十三所の第二十四番霊場なのでお参りを済ませ納経所で御朱印を頂いた後、JR中山寺駅まで戻り、電車で家路に着いた。


◆紫雲山 中山寺
  北摂の地に、紫の雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるとつたえられる、わが国最初の観音霊場です。

 御本尊は十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として数多くの婦人より篤く信仰されてきました。御本尊のお姿はインドの勝鬘夫人(インド中古のアユジャ国の王妃で、仏法に帰依し、釈尊の教えをことごとく悟得された女性)が女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を彫刻されたことに故実する尊像と伝えられています。すべての人の正しい願いを聞き入れて、世の憂いや苦しみを取り除き、心の畏れるところのない境地を与えられるご本尊本来の願いを、その両御手にあらわされているのも、当山にみられる特別なお姿であり、平安初期の他に類のないすぐれた尊像のゆえんです。c
 また代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。

 草創以来、長い歴史の中で当山は多くの物語でかざられ、世に名高い謡曲「満仲」や「菅原伝授手習鑑」は、平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものです。

 満仲より8代目の多田城主は源 行綱です。彼の妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、その鐘の緒はいまでも保存されています。以来中山寺の「鐘の緒」といわれて、女性の大役である出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、数百年たえることのない日夜の祈念をいたしております。

 ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。
参拝日:2009年7月9日(木)
第二十二番札所 補陀洛山 総持寺
御 詠 歌
おしなべて おいてもわかきも総持寺の 仏の誓ひ頼まぬはなし
御本尊
千手観世音菩薩
宗 派
真言宗高野山派
開 基
中納言藤原山蔭
開創年
仁和2年 (886年)
所在地
大阪府茨木市総持寺1-6   TEL:072-622-3209
拝観料
入山無料
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西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 総持寺も先にお参りした葛井寺同様、駅から近く、阪急総持寺駅から5分ほどで到着。総持寺は以前JRの「駅からはじまるハイキング」で一度訪れている。

  お参りの後、納経所にて御朱印をいただく。納経所はエアコンの効いた建物内だったので、しばらく涼ませていただいた。

◆補陀洛山 総持寺
 補陀洛山 總持寺(ふだらくさん そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院で西国三十三箇所第22番。本尊は千手観音。

 承和年間(834-847年)、高房が任地の太宰府に向かう途中、息子の政朝が川に落ちてしまったが、翌朝、政朝が大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。この亀は高房が前日に漁師から買い取り、川に放した亀であった。

 喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。数十年後、『高房卿の求めに応じて海を渡す』と刻まれた香木が流れ着いたが、この時、高房は既に亡くなっていた。

 中納言になっていた政朝は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかったので、長谷寺に行き観音に祈ったところ、童子が現れた。童子はこの香木を材とし、亀に乗った千手観音を刻んだという。

 仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
参拝日:2009年7月9日(木)
第五番札所 紫雲山 葛井寺
御詠歌
参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに 紫の雲
御本尊
十一面千手千眼観世音菩薩
宗 派
真言宗御室派
開 基
行基
開創年
神亀2年 (725年)
所在地
大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21   TEL:072-938-0005
拝観料
入山無料
御本尊開扉日(毎月18日)のみ300円





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 葛井寺は街中にあるのでほとんど歩くことなく参拝可能。藤井寺というと遠いイメージがあったのだが、近鉄大阪阿倍野橋(天王寺)から、準急で10分ちょっとで到着。

 駅前の商店街を抜けると左手が葛井寺である。お参りを済ませ、御朱印をいただき第二十二番札所の総持寺へと向かう。

◆紫雲山 葛井寺
 葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三箇所第五番札所。

 寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。

 中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。

 永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

 当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。

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