モンスターカレンダー

« 2017年7月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

西国三十三所巡礼の最近のブログ記事

参拝日:2011年9月17日(土)
第十四番札所 長等山 園城寺(三井寺)
御 詠 歌
いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
御本尊
如意輪観世音菩薩
宗 派
天台寺門宗(総本山)
開 基
大友与多王
開創年
朱鳥元(686)年
所在地
滋賀県大津市園城寺町246 札所直通077-524-2416
拝観料
500円
 URL




西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
城寺の歴史をひもとくと、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまります。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。
長い歴史の上で、当寺は再三の兵火にあい焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
(西国三十三所巡礼の旅より引用)
参拝日:2011年9月17日(土)
第十三番札所 石光山 石山寺
御 詠 歌
後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山
御本尊
如意輪観世音菩薩
宗 派
東寺真言宗宗
開 基
良弁僧正
開創年
天平勝宝元(749)年
所在地
滋賀県大津市石山寺1丁目1-1 077-537-0013
拝観料
500円
 URL




西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
石山寺は千二百余年の昔、聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開基されました。
三万六千坪におよぶ広大な境内には、日本唯一の巨大な天然記念物、世界的にも珍しい硅灰石がそびえています。
本尊は縁結・安産・福徳の霊験あらたかな秘仏 如意輪観音菩薩です。また、国宝の本堂には紫式部が世界最初の長編小説『源氏物語』を執筆した「源氏の間」があります、その他、国宝の多宝塔、重要文化財の東大門、鐘桜など、奈良、平安、鎌倉時代からの文化財が多数伝えられています。
(西国三十三所巡礼の旅より引用)
参拝日:2011年9月17日(土)
第十二番札所 岩間山 正法寺(岩間寺)
御 詠 歌
みなかみは いずくなるらん 岩間寺 岸うつ波は 松風の音
御本尊
千手観世音菩薩
宗 派
真言宗
開 基
泰澄大師
開創年
養老6(722)年
所在地
滋賀県大津市石山内畑町82 077-534-2412
拝観料
300円
 URL




西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
 京都・滋賀の境にある標高443mの岩間(いわま)山頂付近にあります。奈良時代に、泰澄(たいちょう)がカツラの木で千手観音を刻み、本尊にしたのが始まりと伝えられています。室町時代に西国三十三カ所霊場の第12番札所となって以来、多くの巡礼者が参詣するようになりました。本尊の観音像は、人々を苦しみから救うために、毎晩136の地獄を巡るので全身から汗を出すといわれ、「汗かき観音」として、また「ぼけふうじ観音」としても広く慕われています。

 木立ちに囲まれ、ホトトギスの声が聞こえる境内には、本堂や大師堂などの建物が並び、本堂横にはしっとりとした独特の趣がある古池があります。この池は、「芭蕉の池」といわれ松尾芭蕉(1644-94)が「古池や蛙飛び込む水の音」という名句を詠んだといわれています。
(滋賀県観光情報より引用)
参拝日:2011年8月16日(火)
第二十一番札所 菩提山 穴太寺
御 詠 歌
かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声
御本尊
聖観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
大伴古麿
開創年
慶雲2(705)年
所在地
京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46 0771-24-0809,22-0605
拝観料
境内自由 本堂・庭園:500円



西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。

穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。
(Wikipediaより引用)
参拝日:2011年8月14日(日)
第二番札所 紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)
御 詠 歌
ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん
御本尊
十一面観世音菩薩
宗 派
救世観音宗(総本山)
開 基
為光上人
開創年
宝亀元(770)年
所在地
和歌山県和歌山市紀三井寺1201 073-444-1002
拝観料
200円
 URL





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
紀三井寺は、今からおよそ1230年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。

為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。

そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。

上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。

その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として尊這崇されました。

正式には「紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という当時の名称を知る人は少なく、全国に「紀三井寺」の名で知られていますが、この紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがありません。(紀三井寺の三井水は昭和60年3月、環境庁より日本名水百選に選ばれました)

西国三十三所観音霊場第2番目の札所である当寺は、観音信仰の隆盛に伴い、きびすを接する善男善女は数えるにいとまなく、ご宝前には日夜香煙の絶え間がありません。

特に、ご本尊・十一面観世音菩薩様は、厄除・開運・良縁成就・安産・子授けにご霊験あらたかとされ、毎月十八日の観音様ご縁日を中心に、日参、月参りの篤信者でにぎわいます。

春は、早咲きの名所として名高く、境内から景勝・和歌の浦をはじめ淡路島・四国も遠望出来る紀三井寺は観光地としても有名で、古来文人墨客にして杖引く人も多く、詩歌に、俳諧に、絵画にと、多くの筆の跡が遺されています。

紀三井寺は以前、真言宗山階派の寺院でしたが、昭和26年に独立し現在は、山内・県下あわせて十六ヶ寺の末寺を擁する救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)の総本山となっています。
(紀三井寺WEBサイトより引用)
前の5件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13

MTBlog50c3BetaInner

2017年7月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

アーカイブ

アウトドア&フィッシング ナチュラム