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ふるさと兵庫100山の最近のブログ記事

おらが茶屋の独特カレーと須磨アルプス

登頂日
2009年7月5日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー3名

須磨浦公園⇒鉢伏山⇒旗振山⇒鉄拐山⇒おらが茶屋⇒栂尾山⇒横尾山⇒須磨アルプス馬の背⇒東山⇒妙法寺駅







 囲炉裏村の仲間3名とおらが茶屋の独特カレーを食べに行くことにした。山陽須磨浦公園駅にAM8:30集合である。ネットで路線検索を行いAM8:22に須磨浦公園に着く、交通費最安ルートを選択。JR尼崎駅で神戸線快速に乗換なのだが、時間になっても電車が来ない。何故?電車の時間を間違えたかと思っていたら。「新大阪、大阪間で線路に人が立ち入った為・・・」もっと早く案内放送を入れたらどうなんだ。しかしJR西日本の事故等による列車遅れの案内はいいかげんだ。駅に停まったまま動かない時など、列車内とホームで放送している、遅れの原因や時間などが食い違っていることはザラである。「順次運転を再開しております。」の案内から10分位して、「運転再開の見込みはたっておりません。」なんてこともあった。

 JRに対するグチばっか書いてても仕方がない。要するに電車が遅れたのだ。遅れは6分。須磨でのJRから山陽電鉄への乗換時間が6分。要するに集合時間に遅刻してしまうということだ。とりあえずメールで遅れることを連絡。須磨に着いた時には、遅れを3分まで縮めていたが、精算や山陽須磨までの移動を考えると3分では無理。山陽須磨駅前の信号待ちの間に電車は出発してしまった。

 須磨浦公園に到着し、遅刻のお詫びをしてから早々に出発。昨年の六甲全山縦走大会以来の道を登る。には通らない鉢伏山を経由して旗振山へ登る。ここまで登ってくれば、おらが茶屋まではキツイ登りはほとんどない。これまた六甲全縦時には登らない鉄拐山に寄ることにした。六甲全縦時は鉄拐山の山頂をまいていくので、ここが少し登りになる程度だ。

 スタートから1時間強でおらが茶屋に到着。みんなで独特カレーを食べる。久々の独特カレー、やっぱ美味しいっす。みんなも満足してくれたようだが、ボリュームたっぷりなので、女性陣には量が多かったようだ。

 食事後、おらが茶屋の屋上展望台で、この後どこに行くかを相談し、とりあえず須磨アルプスを抜け東山まで行って決めることにして出発。

 高倉団地へ下り、団地内を通り抜けると栂尾の400段階段である。毎度のことだが、この階段を下から見上げると登るのが嫌になってしまう。特に夏は、陽射しを遮る樹木もなく、直射日光をモロに浴びながらの登りだ。汗をダラダラ流しながら、ゆっくりと登る。栂尾山頂の展望台まで登り切るとほっと一息である。

 横尾山を過ぎると足元には岩場が露出し始め、須磨アルプスの核心部である馬の背である。ここでバンダナショットを撮影。馬の背を過ぎ、ひと登りすると東山である。

 東山で凍らせてきたパッションフルーツとみかんの缶詰を食べる。フルーツの缶詰を凍らせたのは初めてだったが、シロップがシャーベット状になっており、火照って身体を潤すには最高であった。

 東山から妙法寺駅まで下り、地下鉄で板宿へ移動。時間が早く居酒屋が開いてないので、カラオケボックスでビールと唄を楽しみお開きとなった。

◆参加メンバー:順不同◆
りっこさん・ようこちゃん・pekoちゃん・大将 (以上4名) 
登頂日
2009年4月12日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー12名

新三田駅⇒有馬富士⇒武庫川桜づつみ回廊⇒三田駅⇒キリンビアパーク神戸⇒三田駅








 前日の『カタクリ詣で』に続き好天に恵まれた。JR新三田駅を9:30に出発し有馬富士へと向かう。国道を渡りしばらく行くと舗装道から地道に変わり、緩やかに登っていくと兵庫県立有馬富士公園に入り、福島大池の西側に出る。

 公園内の遊歩道を福島大池南岸に沿って進む。福島大池越しに眺める有馬富士は、いつ見ても優雅で素晴らしい姿である。福島大池の東端を回りこみ有馬富士登山道へと入り、芝生広場、頂上広場と過ぎ『わんぱく砦』と名付けられた急な岩場を登りきると山頂である。

 低山であり、登っている時間も短いのだが、昨日同様の暑さの為、参加のみなさんも少し疲れぎみ。少し長めに休憩を取り、登りとは別の福島大池西側へ下るルートで下山。

 福島大池沿いの『かやぶき民家』で、熱いお茶をいただき小休憩。福島大池西岸からは、往路で歩いて来たルートを戻る。

 JRの高架を抜け武庫川堤防へとあがると『ふるさと桜づつみ回廊』だ。桜回廊を三田駅方面へ歩いていく。途中の「ふるさと桜づつみ回廊」の石碑があるところで昼食をとった。

 昼食後は、少し風も出てきたので気持ちよく歩くことができ、時々吹く強い風に舞う桜吹雪がとても綺麗。ここ1週間、暖かいっていうより暑い日が続いた関係で、見ごろは少し過ぎたかなってのが残念だったが、十分に桜回廊を満喫できた。

 三田駅からは、ラガーバス(キリンラガー缶ビール型の無料送迎バス)でキリンビアパーク神戸へ移動し、ビール・発泡酒の原料をはじめ、仕込工程、パッケージング工程など、ビール・発泡酒ができるまでの工程を、ツアーガイドのお嬢さんに説明をしていただく。あいにく日曜日なので生産ラインは動いておらず一部映像での案内であった。

 約40分の工場見学の後、いよいよ待ちに待ったできたてビール試飲である。一番搾りとラガービールを美味しくいただいた。試飲後ガイドツアーのお嬢さんと一緒にバンダナショットを撮り、お土産コーナーを見てから、ラガーバスで三田駅へ戻りひとまず解散だが、宝塚の珉珉でアワアワをすることになり、参加者全員JRで大阪方面へ。

 アワアワ参加者10名は宝塚で下車し珉珉へと向かったが、珉珉前のエスカレーターの壁際に置かれているザックの数が半端ではない。案の定、店内は満席で待っている人もいる。これはダメだということで、居酒屋の魚民に場所を変更。楽しいアワアワの一時を過ごしお開きとなりました。


◆参加メンバー:順不同◆
空っ風さん・どんかっちょ!さん・ようちゃん・むかごさん・マユさん・.ヒデさん・プライムさん・.近江住宅さん・船橋 太郎さん・ようこちゃん・りっこさん・smochさん・大将(リーダー)(以上13名)
登頂日
2009年3月7日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー25名









 こまくささんの花旅で、スプリング・エフェメラルを求め丹波の金山へ行ってきた。 今回は10時にJR篠山口駅集合。JR組は9:42篠山口着の列車に乗ってくる。その列車に新三田から乗車した。

 篠山口で数台の車に分乗し登山口のある追手地区へ移動。金山に登る前にスプリング・エフェメラルを見に行く。節分草・セリバオウレン・キクザキイチゲ・アズマイチゲとかわいい花を見物。イチゲ類の花が開ききってなかったのがちょっと残念。追手神社に移動すると沢山のユキワリイチゲが咲いていた。追手神社には、千年モミ・夫婦イチョウと大木もある。千年モミは胸高幹周が7.8mもあるそうだ。

 登山口横の空地に戻り、軽くストレッチを行い金山に登る。金山の山頂手前に「鬼の架橋」がある。二つの巨岩の間に大きな岩がかかっていて、鬼がかけたという伝説がある一大奇観である。ここで休憩、鬼の架橋の上に登ったり、下の断崖を覗いた、写真を撮ったりて過ごす。

 バンダナショットを撮った後、山頂へ向け出発。といっても、鬼の架橋は山頂直下なのですぐに山頂である。山頂は金山城本丸跡で広場になっている。山頂でお待ちかねのランチタイム。大きなブルーシートを広げて鍋の準備開始。みんなのザックからいろんな食材が山のように出てくる。26人と人数も多いので、3つの鍋で満杯の鍋である。鍋のほかに天ぷらもご馳走していただいた。アルコールもビール、日本酒、焼酎と盛りだくさん。私が持参した2リットルの日本酒パックも皆さんに飲んでいただき無事完飲。楽しく、美味しいランチタイムを過ごすことができた。食事後は一気に片付け、山頂でのバンダナショットを撮影してから下山した。

 下山後こまくささんから今後の花旅の予定を聞いて解散。それぞれ行きに乗ってきた車でJR篠山口まで送っていただいた。篠山口同じ三田在住のSUMIEさんに新三田まで送っていただいた。

◆スプリング・エフェメラル
 スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

◆金山城
 天正3年(1575)頃より丹波侵攻をはじめた明智光秀は、連合した丹波勢の抵抗にてこずる。八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するため、天正7年(1779)両城の中間点である金山山頂に城を築く。金山城は本曲輪(本丸)・腰曲輪・二の曲輪・出曲輪・馬場・帯曲輪を構えた堅固な城郭で、光秀の丹波攻略最大の拠点であった。

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん・だっちゃん・SUMIEさん・たけちゃん・モリボウ・濱やん・越路さん・チョリオさん・くろげんさん・うねさん・シャラさん・禿羊さん・おまわりさん・夢子さん・はちどりさん・りっこさん・SAMさん・ハリさん・磯やん・ようこちゃん・はやぽん・ゲキさん・K太くん・たかちゃん・まこらさん・大将 (以上26名)
登頂日
2008年12月29日(月)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 武田尾

JR道場駅⇒(24分)⇒千苅橋⇒(51分)⇒大岩岳⇒(42分)⇒千苅橋⇒(28分)⇒光明寺⇒(30分)⇒展望台⇒(15分)⇒鏑射寺⇒(20分)⇒JR道場駅








 JR道場駅から東へ向け出発。最初の踏切を渡り、川沿いに舗装路を歩いていくと、レトロな雰囲気の千苅貯水場の正門が前方に見えてくる。舗装道路は正門の中へと続くが、門は閉ざされており貯水場敷地内に入ることはできない。右に回りフェンスと波豆川の間を歩くことになる。しばらく進むと正面に高さ約42mの石積みの干苅ダムが現れる。堰堤手前の干苅橋を対岸に渡り川沿いに150mほど戻った左側が大岩岳への取り付きだ。

 水路の右側のフェンス沿いを登ると流れの穏やかな谷川となる。やがて谷川と離れ雑木林の坂道を登っていくと木々の間から眼下に湖面を望むことができる。軽いアップダウンを繰り返し進んでいくと視界が開けた広場に出る。眼下に悠々と水を湛えた美しい湖面が飛び込んでくる。ここから尾根伝いに大岩岳を目指す。急登を登りきったピークを越え進んでいくと、やがて前方に大岩岳が見える。ここから一気に急登を登りきると大岩岳山頂である。

 山頂には二等三角点があり、六甲山系から能勢の山々、地元三田の羽束山、有馬富士、大船山、山裾に広がる湖面と360度の大パノラマが広がっている。 山頂で眺望を観ながらの珈琲タイムを楽しんだ後ピストンで干苅橋まで下山。

 干苅橋を渡り大堰堤左側の階段を貯水池へと上る。湖岸の道を進み、フェンスが切れると湖と離れ谷筋に入る。谷筋を登って行くと前方に砂防堰堤が現れる。左側から堰堤を越えるとゴルフ場のフェンストンネルとトンネルを通り抜けて進んでいく。この辺りは道が悪くぬかるんでいて、足首辺りまで泥に潜ってしまう所もあるので注意して歩こう。飛び石の有る箇所は飛び石の上を歩いたほうが無難である。また、2つ目のトンネルはやや長めで暗く足元が見えにくくなる。ライトが無くても歩けないことは無いが準備しておいたほうが無難である。

 ゴルフ場を過ぎると光明寺墓園に出る。墓園の舗装路を進むと左手に鏑射寺(かぶらいじ)への道標がある。道標に従い左へ行くと再び山道に入る。登りきったところからゴルフ場沿いにアップダウンを繰り返し進んでいく。やがて鏑射寺と展望台分岐箇所に到達する。展望台は分岐からすぐである。

 展望台で小休憩の後、分岐まで戻り鏑射寺方面へ向かう。目の前に急登が見えてくると山道も終わりが近い。その急登を登りきると車道に出る。車道を左に取ると朱塗りの三重塔がそびえる鏑射寺である。朱塗りの三重塔の右手を登って行くと鏑射大権現の朱塗りの鳥居が見えてくる。鏑射大権現の左奥に鏑射山の三等三角点(点名:黒岩)がある。鏑射寺から車道を20分ほど下っていけばJR道場駅に帰り着く。

◆獨鈷山 鏑射寺(とっこさん かぶらいじ)
兵庫県神戸市北区にある真言宗の仏教寺院。通称、甘楽寺(かぐら-)。本尊は大日如来。581年聖徳太子による開基。境内の池には大賀一郎が縄文遺跡で発見した古代のハス(大賀ハス)が育てられている。

◆獨鈷山鏑射寺略縁起
  当山は、神体山として数千年の歴史を有し、神秀倉(かみほぐら)・甘楽山(かぐらやま)・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されておりました。
 聖徳太子は、ご生母の里にある此の山が大層お気に召し、伽藍を建て仏教弘通(ぐつう)の道場として鏑矢(かぶらや)を奉納、鏑射寺と命名されました。
  その後、弘法大師は境内に独鈷水の井戸を掘られ、百丈岩には穿仏(せんぶつ)岩にご足跡を残しておられます。 また、北条時頼や太閤秀吉三度の参詣の事跡等々がありますが、南北朝時代と江戸時代に戦火と山火事にあい、文久二年(1862年)の勇阿上人による再建を待ちました。
 明治6年、三田九鬼藩の天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、その後廃寺となりました。
 時を経ること約百年、昭和30年秋に久邇宮朝融(くにのみやあさあきら)王殿下が、道なき所を攀(よ)じ登り、生い茂る草をかき分けてご参拝になり、鏑射寺の再建と国家国民の安寧をお祈りになられました。
 昭和34年9月、現山主中村公隆師が入山、祈願に入りました。 同41年に護摩堂(不動明王)が、48年には三重塔(虚空蔵菩薩)、続いて53年函館の地に別院(不動明王等)が建立されました。
 逐次旧寺領の買い戻しも進み、平成4年に大日如来・愛染明王を奉迎して本堂の落慶入仏法要が厳修され、同6年に弁天堂の落慶を見ました。
 前記諸尊の他に、十一面観世音菩薩(飛鳥仏)、聖徳太子、弘法大師、毘沙門天がお祀りされています。
登頂日
2008年10月13日(月)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 木津

香下寺登山口⇒(15分)⇒六丁峠⇒(5分)⇒甚五郎山⇒(4分)⇒六丁峠⇒(15分)⇒羽束山⇒(18分)⇒分岐鞍部⇒(10分)⇒さん志よう山〔宰相ヶ岳〕⇒(30分)⇒香下寺







 朝から秋晴れのすがすがしい天気。こんな日の朝食は山で食べよう!とういう単純な発想で簡単なサンドイッチを作り、地元三田の羽束山に向かいました。登山口のある香下寺(こうげじ)の駐車場にバイクを駐輪させてもらい出発です。羽束山は今年の元旦にご来光を拝みに登って以来久々です。どせなら、羽束三山を縦走(ってほど大袈裟なものではないですが・・・)することにしました。

 香下寺のすぐ横に羽束山登山口があり、登山者用に竹の杖が置いてあります。登山道を羽束山山頂へ向け登っていきます。15分ほどで、ほぼ中間地点になる六丁峠に到着。今年の元旦に登った時に前を行く家族連れがここを山頂と勘違いし「やっと着いた」と言って喜んでいる横を「まだ半分地点ですよ」と声を掛けて追い抜いたことが記憶に蘇ってきます。あの時の家族の落胆振りが思い出されます。六丁峠にはお地蔵さんがあり少し開けてますので休憩されている方を時々見かけます。

 六丁峠から羽束三山最初の甚五郎山へ向かいます。甚五郎山へはお地蔵さんの前を向かって右へと進みます。はっきりとした踏み跡があるので迷うことはありません。道なりに5分ほど緩やかに登っていくと甚五郎山(432m)です。山頂にはプレートが二つ揺れているだけの素朴な山頂です。残念ながら樹木に覆われ展望は望めません。

 来た道を六丁峠まで戻り羽束山山頂を目指します。六丁峠からしばらく平坦な道が続いた後、石の階段を登っていくと正面に観音堂が見えてきます。観音堂まで行かず左に石段を登ると羽束神社の横から羽束山山頂(524m)へと出ます。

 山頂広場の露岩に腰掛、珈琲を入れ持参のサンドイッチで少し遅めの朝食タイムです。少し汗ばんだ身体に爽やかな風が心地よいなか、ゆっくりと時間を掛けて朝食をいただきました。自然の中での食事ってほんと美味しいですよね。

 朝食後山頂直下の観音堂左側の道を下ります。(木器バス停の標識あり)途中ロープの張られた露岩帯や急斜面を下っていくと鞍部に到着。右に下ると木器バス停、左に下ると香下寺です。さん志よう山は直進の登りです。ここからやや急な道を10分ほど登っていくとさん志よう山(宰相ヶ岳)に到着します。さん志よう山はその昔米相場を岡山方面に伝える旗振り山だったとのことです。山頂には三等三角点(500.5m)が置かれています。三角点設置場所からは展望がききませんが、少し先が開けており景色が見えているので先に進み眺望を楽しみました。

 先ほどの鞍部まで戻って香下寺へ下る予定だったのですが、眺望を楽しむ為に進んだところの木に案内板がぶら下がっており、このまま先に進んでいくと香下寺に行けそうなので同じ道を戻るよりは別の道ってことでそのまま直進で下ることにしました。道は若干荒れており所々急斜面もありましたが先人の残したテープと踏み跡をたどれば道に迷う心配のない道です。下りきると池の横から林道に飛び出します。ここから林道を進み香下寺の墓地の上に帰り着きました。

羽束山 香下寺(はつかさん こうげじ)
  [真言宗]本尊(ほんぞん)の十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)の由来(ゆらい)に、昔、敏達天皇(びたつてんのう)の時代に仙人が現れ、境内(けいだい)の樹を指し、「この樹はお釈迦様の時代からの霊木(れいぼく)だ。この樹で本尊(ほんぞん)を刻もう。」と言い、人が見ることを禁じた上で彫刻し、彫刻後、人知れず消え失せました。仙人こそが観音様の化身だったのです。後に、この仏像が良い香(かおり)を放つことから、里の人たちはこの寺を「香下寺(かしたでら)」と呼んだといわれています。
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