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囲炉裏村の最近のブログ記事

登頂日
2011年4月3日(日)
天 候
雪/曇り
同行者
囲炉裏村メンバー26名+1名(Rさん)

近鉄壺阪山駅⇒土佐街道⇒壺阪寺⇒五百羅漢⇒高取山(高取城跡)⇒砂防公園⇒夢創館(土佐町)⇒近鉄壺阪山駅








 はんなりオフで壺坂寺から日本三大山城のひとつ高取城跡に行ってきた。

 近鉄壺阪山駅に集合。出発を待っていると雨がポツポツと落ちてきた。この雨がみぞれっぽくなって、やがて雪に・・・って4月だぞっ!

 駅から土佐街道を歩く。土佐街道には昔の面影を残した屋敷などが残っている。奈良なのになんで土佐かいどうかっていうと、六世紀のはじめ頃に大和朝廷の都造りの労役に土佐から召しだされた者が任務を終えて帰郷しようとしたが朝廷からの援助がなく帰郷できず住み着いたので土佐町と呼ばれるようになり、その土佐町の街道を土佐街道と呼ぶそうな。

 土佐街道を抜け、山道に入り登りきると西国三十三所第六番札所の南法華寺、通称壺坂寺に出る。ここで30分ほど時間を取り、希望者は壺坂寺を拝観。おいらは昨年お参りしてご朱印もいただいているので今回はパス。拝観者を待っている間、あいかわらず雪が降り続く中、Oさん差し入れのだんご庄のお団子をいただく。ここのお団子はいつ食べても美味しい。Oさんありがとう。

 壺坂寺から五百羅漢を巡って高取山(高取城跡)へ。

 高取城は、国内最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられている名城なのだ。元和の一国一城令が発せられたときも重要な山城として破却を免れ、明治20年ごろまで天守閣も残されていたそうだ。現在も石垣や石塁が残されている。

 天守台で昼食。ラーメンにしようかと思っていたが、コンロと鍋を持ってくるのが面倒だったので普通のお弁当にしたが、雪が降るほどの寒さ、やっぱラーメンにすべきだった。冷え切った手作り弁当(誰の手作りって? もちろん私です)と冷えたビール。身体の芯まで冷えてしまいそうだ。デザートには女性陣差し入れのケーキをいただいた。美味しかったっす、ありがとうございました。

 石垣の前でバンダナショットを撮影して下山。下界へ下ったところにある砂防公園は紅白の桃が満開。ここで最後の休憩。

 砂防公園から駅に向かって歩き始めると前方から骨折でリハビリ休養中のRさんが歩いてくるではないか。ストックをつきながらではあるが元気に歩いておられる姿を見て一安心。早く良くなってはんなりに復帰してくださることを望みます。

 土佐街道にある「夢創館」前で解散。希望者は夢創館に立ち寄り、往時の高取城の様子をCGで再現したビデオを見せていただいてから駅へと戻る。

 電車で阿部野橋まで戻りアワアワに参加してから帰路についた。
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登頂日
2011年2月12日(土)
天 候
狐の嫁入り
同行者
囲炉裏村メンバー8名

阪神魚財⇒浜福鶴⇒櫻正宗⇒菊正宗⇒白鶴酒造⇒灘泉⇒泉酒造⇒酒心館⇒甲南漬 武庫の郷








 今年もhtyan主催の『灘五郷ほろ酔いウォーク』に参加させてもらった。

 午前11時に阪神魚崎駅に集合。まずは浜福鶴に。ここでは、今年も名物杜氏である米治さんの説明と「さけ造りうた」(蔵人たちが作業をリズミカルに進める為にうたわれた歌)を聞くことができた。説明の後は、お待ちかねの試飲タイム。今年も大吟醸・にごり・ゆずのリキュールなどなどたくさんいただいた。

 浜福鶴の後、桜正宗を見学してから川沿いの東屋で昼食。

 昼食後、菊正宗、白鶴と見学。特に白鶴酒造の等身大人形を使った酒造り工程の展示はすばらしい。一見の価値あり。

 その後、ちょこっと灘泉、泉酒造に立ち寄り、酒蔵の最後は酒心館。この酒心館は、酒造りに関する資料や展示はほとんどないが、数種類の試飲ができる。またお土産物の種類が豊富。

 ほろ酔いウォ?クの締めは甲南漬の武庫の郷。ここで数種類のお漬物を試食。温かいお茶もいただいた。

 これにて今回のほろ酔いウォ?クは終了。各自、阪神・阪急・JRと分かれて帰路に着く。

 ほろ酔いでは満足しないおいらを含む3名で大阪に出てMさんの店でアワアワタイムに突入。

 htyanはじめ参加の皆さんありがとうございました。また来年もよろしく。
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登頂日
2011年2月6日(日)
天 候
曇り
同行者
囲炉裏村メンバー25名

有馬⇒白石谷出合⇒七曲滝⇒百間滝⇒似位滝⇒極楽茶屋⇒西お多福山⇒住吉河原⇒打越峠⇒岡本公園(梅林)








 自治会の関係でしばらくご無沙汰になっていた「はんなりオフ」に参加してきました。途中逆行参加やアワアワのみ合流はあったが、全行程参加は、昨年1月の信貴山以来かな。

 前日の赤坂山スノーシューハイク後にアワアワして、帰宅したのは午前様だったんですが、今回の集合場所が有馬温泉の阪急バスのりばなので、朝ゆっくりとすることができたのでよかったっす。我が家から有馬温泉までは1時間もかからないのだ。

 有馬温泉駅でマイミクのRちゃんと遭遇、一緒にバスのりばまで移動。するとRちゃん、ザックに荷物入りそうねと、参加者への差し入れのおやつをいきなり持たされてしまった。配った残りは持って帰ってって言葉に甘えさせてもらった。帰宅してみると、なんと未開封の一袋でした。Rちゃんありがとう。そのお土産を見て我が家の家族の一言「今日は、C社じゃないんだー」だって。

 バス組の到着を待って出発。紅葉谷から七曲滝に向かう。ここ数日暖かかったので、どうかなと思ったけど凍ってました。その後、百間滝と似位滝にも行きましたが、こちらは氷爆というには寂しい状態。

 滝巡りを終え、紅葉谷を極楽茶屋まで登り昼食。ここで朝寝坊組のMさん達と合流。前日のアワアワで遅くまでMさんの店にいたので、寝坊の原因はおいら・・・などと、ちょっぴり責任を感じたりする今日この頃であった。

 昼食後は長い長い下り。西お多福山から住吉河原・打越峠を経て岡本に下山。今回は、山登りというより山下りと表現したほうがよいのではと思うのは、おいらだけなのだろうか。

 岡本梅林で咲き始めの梅を見てから居酒屋でアワアワ。気温も高く、よく歩いたので一杯目の生ビールは一気に飲んじゃいました。居酒屋の後は、有志6名でCafe Barで二次会。 Kさんは、かなり酔ってたみたいだけど無事家にかえれたろうか。

 mさん並びに参加のみなさんありがとさんでした。久しぶりの「はんなりオフ」半はんなりだったのは、ちょっぴり寂しかったけど、楽しい一日だった。

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登頂日
2011年1月30日(日)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー25名









 Sさん主催のオフ会で高見山に行って来た。Sさんに企画段階から声をかけられ、参加の旨を伝えていたが、事情によりオフ会の掲示板には参加表明せずでの参加とさせてもらった。

 午前8時半に近鉄榛原駅に集合。結構盛況でバス組だけで19名の大所帯となった。榛原から霧氷バスで一路高見山登山口へ。

 バスを降りると、アイゼンは少し登ってからでよいと思ったが、皆が着けるという。後で一人つけるわけにも行かないので小生も装着。

 小峠までは、さほど急な登りでもなく、風もほとんどないので快適に登れる。逆に汗ばんでくるほどだ。小峠で頂上宿泊組み4名と遭遇。迎えに下りてきてくれたようだ。ただ同じく宿泊組みのKさんが体調が良くないらしく山頂の避難小屋で待機しているとのこと。心配である。小峠から大峠まで、雪の林道を歩く。

 大峠から急な登りになるが、ゆっくりとしたペースだったので、さほど疲れることもない。この急登を登りきると山頂に到着。

 山頂は強風が吹き荒れ、無茶苦茶寒い。皆が到着するまで風を避けるため避難小屋へ移動したが満杯状態。なんとか小屋の中に入りほっと一息。本来は、この避難小屋で昼食の予定だったが、全員が入ることができないので、風がよけられる場所まで下山してから昼食にすることになった。

 山頂からKさんと別ルートで登ってきた2名が合流し一緒に下山。Kさんは小屋でゆっくりされ、体調が回復されたようで一安心。

 稜線上は風がきつく大所帯が強風を避け昼食を摂る場所がない。結局、高見杉の避難小屋まで下りての昼食となった。ここの避難小屋も全員が入ることはできなかったが、稜線上とは違い強風にさらされることがない。

 山頂でバンダナショットが撮れなかったので、高見杉の前で撮ってから温泉まで一気に下山。一汗流してバスに乗る予定だったが、入湯20分待ちとのことだったので。温泉はあきらめることになった。車組はここに停めているので、ひとまずここで解散となった。

 バス組は、バス電車と乗り継ぎ鶴橋まで戻ってアワアワタイム。遅れて車組のメンバーも自宅に車をおいてから合流。ワイワイと楽しく食べて飲んでお開きとなった。
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登頂日
2010年12月26日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー6名

三宮⇒神戸北野天満神社⇒大龍寺⇒再度山⇒修法ケ原⇒猩々池⇒ビーナスブリッジ⇒諏訪山公園⇒三宮駅








囲炉裏村の低山オフで再度山へ今年最後の山行に行ってきた。

午前10時に三宮を出発。北野坂を登り北野異人館へ。異人館に来るのは何十年ぶりだろうか。あまりにも昔過ぎて思い出せない。風見鶏の館の横にある北野天満神社の石段を登り境内にあがると、眼下に風見鶏の館や神戸の街を展望できる。

うろこの家の裏を通り、山道へと入っていく。やや斜度のキツイ登りを大龍寺へ向け、一時間ほど登っていくと善助茶屋跡に到着。毎日登山の発祥の地で、毎日登ったことを記するサイン帳が置かれた。現在は、約10cmほど盛土をされた茶屋跡が残っているのみで『毎日登山発祥の地』の石碑が建てられている。毎日登山は明治の終わりごろ、神戸に住んでいたE・H・ドーンを中心とする外国人たちによって始められ、現在でも六甲山系の多くの山々で、多くの人が早朝登山を楽んでいる。

善助茶屋跡から大龍寺はすぐ。大龍寺の境内に登り、本堂前の小屋で昼食。Aさんが温かいぜんざいを差し入れてくれた。寒い中、冷えた身体が温まり、とても美味しくいただいた。

昼食後、本堂の横手から再度山(470m)に登る。数枚の登頂プレートがぶら下がっているだけの眺望も何もない山頂である。六甲全山縦走大会の練習や本番、それ以外の山行でもこのあたりを歩くことは多いが、山頂まで足を伸ばしたのは、今回が2度目。大龍寺の本堂まであがったのも3度目くらいではないかと思う。

山頂でバンダナショットを撮り、修法ヶ原へと向かう。六甲山の樹木の乱伐が続いた結果、六甲山は明治中期までハゲ山だったことは広く知られている。多くの植林により、現在は緑豊かな六甲山となっている。その最初の植林がこの修法ヶ原から始まったそうだ。修法ヶ原池のほとりには、それを記念し『六甲山植林発祥の地碑』が建てられている。

修法ヶ原から大龍寺まで戻り、大師道で猩々池を経て、途中ビーナスブリッジに寄って諏訪山公園に下山。明治初期にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で行ったことから「金星台」とも呼ばれており、それを記念する碑や今年の大河ドラマ「龍馬伝」でもおなじみの勝海舟が創った神戸海軍塾の碑が建っている。

高台の金星台から下ると下界だ。北野通りまで戻り、うろこの家製作の「サンタ48」を見学してから三宮駅へと戻り、阪急の高架下の居酒屋でアワアワタイム。その後3名でお好み焼き屋での二次会の後帰路に着いた。

小生にとって本年の納山となった再度山にご一緒いただいた皆様及び今年一年、山にご一緒いただいた皆様、色々とお世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
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