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March 2009アーカイブ

登頂日
2009年3月28日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 西宮・宝塚
昭文社 山と高原地図 六甲・摩耶 2008年版

阪急芦屋川駅⇒(58分)⇒鷹尾山⇒(39分)⇒雨ヶ峠⇒(12分)⇒本庄橋跡⇒(39分)⇒一軒茶屋⇒(6分)⇒六甲山最高峰⇒(14分)⇒東六甲縦走路分岐⇒(38分)⇒船坂峠⇒(22分)⇒大平山〔昼食〕⇒(59分)⇒塩尾寺⇒(30分)⇒湯本台⇒(7分)⇒JR宝塚駅








 AM6:07に阪急芦屋川駅をスタート。久しぶりに早朝スタートの山登りである。早朝からスタートし昼過ぎには自宅に帰るパターンが多かったのだが、囲炉裏村オフ会参加が多くなってきたので、最近は早朝から登ることが少なくなっている。

 芦屋川沿いの桜がちらほらと開き始めている。木にもよるのだが、中には六部程度咲いている木もある。花を眺めたり、写真を撮ったりしながら春の余韻を楽しむ。

 芦屋の住宅地を高座の滝へ向かい、途中で右へ折れ鷹尾山方面へ道を取る。やがて住宅地が途切れ山道へと入る。鷹尾山は地元では城山として親しまれてきた山城跡であり、展望も良いので毎日登山で登っておられる市民の方も多いようだ。

 鷹尾山からはいくつかのアップダウンを繰り返し進んでいくと荒地山の岩場に出る。岩場をしばらくいくと、今回の核心部である「岩梯子」と「七右衛門くら(山かんむりに品)」である。荒地山には六甲の神が住んでおられ、六甲山で悪事を働くと荒地山に迷い込み神罰が下るとの言い伝えがあるので、見に覚えがある方は、荒地山には近寄らないことをお勧めする。

 岩梯子上部にある七右衛門くらの穴くぐりは人一人がやっと通れる岩のトンネルである。ここはザックをおろさなければ通過できない。ザックを先に前方に押しやり、無事通過。私の体型で通れなかったらとか、途中で挟まりぬけなくなったらどうしようと考えていたが問題なかった。メタボ体型が激しい方は、このコースは避けられたほうが無難かも・・・。

 穴をくぐって、岩場の上に立ち振り返ると、眼下に大阪湾を一望できる最高の景色が広がっている。

 岩場を過ぎて平坦な道をしばらく進むと荒地山の山頂である。山頂は雑木林に囲まれた木陰の小広場となっているので休憩や食事を取るのに適している。が、次の休憩場所は雨ヶ峠と決めてあったので、写真だけ撮ってそのまま通過。

 荒地山通過後は風吹岩方面から登ってくる魚屋道に合流。芦屋カントリークラブを抜け、雨ヶ峠へ。雨ヶ峠からは本庄橋跡を経て七曲りの急登を六甲山最高峰へと登った。最高峰からは東六甲縦走路で宝塚に戻った。この辺りは何度も通っている道なので詳細は割愛させていただく。

 いつものように、ブログ記事を記載してきたが、最後に今日は無茶苦茶しんどかった。特に体調が思わしくなかったわけではないのだが・・・。歩き始めた頃は、いつもと変わりなかったのだが。荒地山あたりから、体が重く足も上がらない。最高峰への七曲りの急登はバテバテのヘロヘロ状態。最高峰での休憩で少し落ち着いたのだが、東六甲に入り船坂峠手前あたりから足が思うように進まなくなる。もしかして、シャリバテかなと思ったりもする。大平山に着いたら昼食だ。飯食ったら回復するかもと考えていたのですが、昼食後も、さほど変わらず何とか宝塚に帰り着いた。何が原因なのだろうか・・・。荒地山に近づいた為に神罰がくだったのだろうか。そういえば、見に覚えが・・・(ウソです)

◆荒地山 七右衛門くら
 芦屋と神戸の境にある荒地山は、石宝殿にまつられている六甲山の山の神のすまいだといわれていた。だから六甲の山中で悪事をはたらくと、この荒地山にまよいこんで神罰をうけるのだといわれてきたのである。
 むかし、ふもとの芦屋村に七右衛門という若者がいた。彼には身よりがなかったが、正直な働き者なので、村人に愛されて成長した。そのうち七右衛門には、一人の兄のように慕う友人ができた。ところが、あるとき、その友は七右衛門をうらぎった後、姿を消してしまったのである。絶望した七右衛門は、それからすさんだ生活を送るようになった。仕事もしなくなり、遊びほうける七右衛門を村人もしだいにかえりみなくなった。
 ある日、六甲の山をこえる旅人が、命からがらふもとの村へ逃げ下りてきた。息せき切った旅人は「山中で、追いはぎに会った」と語ったのである。村人は旅人のいうその賊の姿の話をきいて、
「それは七右衛門だ」と思った。その時にはすでに七右衛門の姿も村から消えてしまっていた。
「山中で悪事を働いたために、神かくしに会ったに違いない。きっと荒地山だ」
 いい伝えを信じて荒地山へ登った村人は山中でも、とりわけ、るいるいとけわしい岩場の下で、頭をくだかれて死んいる七右衛門をみいだしたのである。


◆本日の昼食◆
中華そば(生そばとヒガシマルラーメンスープ)
もやしと焼いた鶏肉(昨日の夕食の残り)を一緒に煮込み、ショルダーベーコンとゆでたまごをトッピング。ねぎがあったら色合い的にもよかったのにな・・・。
登頂日
2009年3月20日(金)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー14名

阪急池田駅⇒池田城公園跡⇒五月平高原コース入口⇒日の丸展望台⇒望海亭跡⇒五月山動物園⇒松楓台(野外宴会)⇒阪急池田駅








 45リットルのバックパックが一杯になる程の荷物を持って自宅を出発。「どこに行かれるのですか?」と近所の人に聞かれたら嫌だなーと思いながらバス停に向かったが、幸いなことに近所の人と出会わずにすんだ。さすがに「五月山」とは答えにくい。

 五月山は標高315mほどで、阪急池田駅から1時間も歩けば山頂という低山である。しかもハイキングコースが整備され、幼稚園や小学校の遠足で登る山である。 何でそんなに荷物が多いかと言うと、五月山に登った後に、下山地近くの公園で野外宴会をするのだ。

 バックパックの中身を紹介してみよう。日本酒3リットルパック、500mlペットボトル3本(麦焼酎・そば焼酎・烏龍茶)、ビール350ml缶2本、餃子60個、牛味付焼肉1kg、鍋、フライパン、コンロ、ガス2本、食器、マグカップ・・・。要するに宴会グッズが満載されているのである。

 午前9時半過ぎに阪急池田駅を出発。まず向かったのは、五月山山麓の池田城跡公園である。天守風の建造物があるが、これは天守閣を復元したものではなく、城跡としてイメージを演出させる模擬施設の魯風展望休憩舎である。展望休憩舎で本日の参加者の簡単な自己紹介を行い、しばらく公園内自由散策時間とした。展望所に登ったり、庭園を散策したりと思い思いに楽しむ。

 池田城跡公園を後にし、五月平高原コースの入口へ。ここからハイキングコースとなる。このコースは、他のコースに比べ山頂の日の丸展望台までの距離は短いが、その分一気に登るコースである。五月平展望所経由で、約40分で山頂に到着。日の丸展望台をバックにバンダナショットを撮影。日の丸展望台後方にある三角点にタッチした後、日の丸展望台に登り、眺望を楽しむ。

 山頂からは、自然とのふれあいコース・望海亭コースで、野外宴会場所である松楓台へ下る。途中に吊橋がある。そんなに長い吊橋ではなく、また渡らなくても横に道がある吊橋だ。せっかくだからという事で、大半の参加者が吊橋を渡る。この吊橋は、高さも長さもないが、足元の丸太が不安定なのと、朝まで降っていた雨ですべりやすくなっているのに加え、数名が渡ることによる揺れで、それなりにスリリングだったのではないだろうか。私は写真を撮る為に渡らなかったが、以前、雨で濡れた状態の時に渡った時に滑ると感じた経験がある。

 松楓台でブルーシートを敷き、場所を確保してから五月山動物園を見学に行く。池田市がオーストラリアのタスマニア州ローンセストン市と姉妹都市ということがあり、ウォンバットをはじめとした有袋動物が多い。入場無料の動物園としては、まずまずではないだろうか。

 動物園見物の後、いよいよ野外宴会である。参加者が持ち寄った食材で、カレー鍋・寄せ鍋・焼き餃子・焼肉に加え、めざしやスナック菓子、お汁粉、羊羹、各種フルーツと盛り沢山である。アルコールもビール、ワイン、ウイスキー、日本酒、焼酎、梅酒と種類豊富。お酒の合間にいただいた、薫り高い珈琲も最高。

 ワイワイ、ガヤガヤの宴会を盛り上げてくれたのが、気分最高潮に達したプライムさんの考えてきてくれたゲームと歌。美味しく食べ、飲み。楽しく話し、遊び、笑った、あっという間の4時間の宴会であった。

 参加者の皆さんも楽しんでいただけたようなので、主催者の私としては、ほっと一安心。参加者の数名からは、宴会オフの定期開催の要望もあがっていた。要望に答え、また開催したいとは思うが開催場所を探さなければならない。野外宴会オフに適したところがあれば教えていただければ幸いである。

◆池田城の歴史 (池田市観光協会HPより転載)
 池田城は室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯を支配していた地方豪族・池田氏の居城です。池田氏の祖先は明らかではありませんが、鎌倉時代の13世紀末頃から文書に見られるようになります。池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大、当時の権力者であった摂津守護・細川氏の家臣として、摂津の豪族の中で有力な位置を占めていました。
 当時の池田は、京都・能勢地方・西宮とを結ぶ交通の要衝地で、街道沿いに家が建ち、「市」が立ち始めるようになったのが町の始まりと考えられ、また、これに伴い池田城が築城されたと推定されます。  15世紀末から16世紀初め頃、池田氏の招きで、当代きっての連歌師・牡丹花肖柏をはじめ、多くの文人達が池田を訪れ、池田の文化形成に大きな影響を与えました。
 しかし、栄華を誇った池田氏も、戦国時代末期の永禄11年(1568)、織田信長の摂津入国で降伏、城主・池田勝正をはじめ池田氏は、信長の家臣に組み込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて、旧家臣の荒木村重が池田城を支配。村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。
  
◆五月山動物園 (池田市観光協会HPより転載)
 1957年(昭和32)4月に開園した五月山動物園ですが、今ではオーストラリアからやってきた有袋動物ウォンバットが、その代名詞とも言える存在となりました。
 ウォンバットは、友好姉妹都市提携を結ぶオーストラリア・タスマニア州ローンセストン市から、提携25周年を記念して1990年5月1日に3頭やってきました。'92・'93と相次いで2世が誕生しましたが、ウォンバットの繁殖は大変難しいとされていましたので、その誕生は注目(繁殖賞受賞)されました。
 五月山動物園には、そんなかわいい動物達を見ようと、年間20万人余りの入場者で賑わっています。また、動物達に触ることのできる「ふれあい動物園」も大好評です。

◆参加メンバー:順不同◆
たろうさん・りっこさん・ようこちゃん・サンペイさん・ノンさん・むかごさん・papaさん・YASSAN・きょろちゃん・O型さん・単独行さん・プライムさん・山雀さん・大将(以上14名)
登頂日
2009年3月14日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 三田・藍本

JR新三田駅⇒(26分)⇒福島大池西側⇒(19分)⇒有馬富士登山口⇒(8分)⇒有馬富士山頂⇒(28分)⇒福島大池東側⇒(15分)⇒有馬富士公園パークセンター⇒(17分)⇒新三田⇒(50分)⇒JR三田駅








 朝から降り続いていた雨がやんだので、散歩がてらに有馬富士に登ってきた。いつものように新三田駅までバイクで行き、そこから歩く、いつもと同じコースで有馬富士山頂へ登った。

 どうでもいいことだが、山頂表示のプレートが新設されていた。前回登頂時まではプレートが三角点標石に立てかけてあったのだが、新設のプレートは三角点から少しはなれた場所に設置されている。 山頂で小休憩の後、これまたいつもと同じコースで下山。

 新三田まで戻った後、武庫川の堤防沿いの遊歩道を通り三田駅まで歩いた。この武庫川沿いの遊歩道は「ふるさと 桜づつみ回廊」と呼ばれ、桜並木となっている。が、当然のことながら今の時期に桜の花が咲いているわけはない。どうせ歩くのなら桜の時期だろうと思われる方もおられるかと思うが、実は次回主催しようと思っている囲炉裏村のオフ会の下見を兼ねて歩いて来たのである。

 次回のオフ会の予定は、桜の時期に有馬富士に登り、桜並木を通りJR三田駅まで歩き、三田駅から送迎バスでキリンビアパーク神戸に工場見学&試飲というコースを考えている。キリンビアパーク神戸の工場見学の予約も10名で既に取ってある。問題は10名も集まるかどうかだが・・・。

 下見の今日はビアパークはなし。送迎バス乗り場を確認して、三田から新三田まで電車で戻り家路に着いた。
登頂日
2009年3月8日(日)
天 候
曇り
同行者
単独行

阪急池田駅⇒(21分)⇒五月平高原コース入口⇒(21分)⇒日の丸展望台⇒(22分)⇒望海亭跡⇒(8分)⇒五月山動物園⇒(30分)⇒JR川西池田駅






 囲炉裏村のオフ会の下見で五月山に行ってきた。今度主催するオフは宴会オフである。五月山に登って、下山後に五月山ふもとで屋外宴会をするという、山登りよりも宴会にメインを置いたオフ会である。

 開催地は、何度か登ったことがある大阪府池田市の五月山に決定。五月山だと阪急池田駅からすぐだし、下山地の公園で宴会が可能だ。

 今回は山を歩くコースではなく、宴会に適した場所を探すための下見である。かといって、せっかく五月山まで行って宴会場所だけ探して帰るのもなんなので、オフ会当日歩く予定のコースを歩いて来た。

 下山地付近にはトイレがある公園が何箇所かあったので、その公園を候補地に決めた。
登頂日
2009年3月7日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー25名









 こまくささんの花旅で、スプリング・エフェメラルを求め丹波の金山へ行ってきた。 今回は10時にJR篠山口駅集合。JR組は9:42篠山口着の列車に乗ってくる。その列車に新三田から乗車した。

 篠山口で数台の車に分乗し登山口のある追手地区へ移動。金山に登る前にスプリング・エフェメラルを見に行く。節分草・セリバオウレン・キクザキイチゲ・アズマイチゲとかわいい花を見物。イチゲ類の花が開ききってなかったのがちょっと残念。追手神社に移動すると沢山のユキワリイチゲが咲いていた。追手神社には、千年モミ・夫婦イチョウと大木もある。千年モミは胸高幹周が7.8mもあるそうだ。

 登山口横の空地に戻り、軽くストレッチを行い金山に登る。金山の山頂手前に「鬼の架橋」がある。二つの巨岩の間に大きな岩がかかっていて、鬼がかけたという伝説がある一大奇観である。ここで休憩、鬼の架橋の上に登ったり、下の断崖を覗いた、写真を撮ったりて過ごす。

 バンダナショットを撮った後、山頂へ向け出発。といっても、鬼の架橋は山頂直下なのですぐに山頂である。山頂は金山城本丸跡で広場になっている。山頂でお待ちかねのランチタイム。大きなブルーシートを広げて鍋の準備開始。みんなのザックからいろんな食材が山のように出てくる。26人と人数も多いので、3つの鍋で満杯の鍋である。鍋のほかに天ぷらもご馳走していただいた。アルコールもビール、日本酒、焼酎と盛りだくさん。私が持参した2リットルの日本酒パックも皆さんに飲んでいただき無事完飲。楽しく、美味しいランチタイムを過ごすことができた。食事後は一気に片付け、山頂でのバンダナショットを撮影してから下山した。

 下山後こまくささんから今後の花旅の予定を聞いて解散。それぞれ行きに乗ってきた車でJR篠山口まで送っていただいた。篠山口同じ三田在住のSUMIEさんに新三田まで送っていただいた。

◆スプリング・エフェメラル
 スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

◆金山城
 天正3年(1575)頃より丹波侵攻をはじめた明智光秀は、連合した丹波勢の抵抗にてこずる。八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するため、天正7年(1779)両城の中間点である金山山頂に城を築く。金山城は本曲輪(本丸)・腰曲輪・二の曲輪・出曲輪・馬場・帯曲輪を構えた堅固な城郭で、光秀の丹波攻略最大の拠点であった。

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん・だっちゃん・SUMIEさん・たけちゃん・モリボウ・濱やん・越路さん・チョリオさん・くろげんさん・うねさん・シャラさん・禿羊さん・おまわりさん・夢子さん・はちどりさん・りっこさん・SAMさん・ハリさん・磯やん・ようこちゃん・はやぽん・ゲキさん・K太くん・たかちゃん・まこらさん・大将 (以上26名)
登頂日
2009年3月1日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー35名

箕面森町地区センターバス停⇒青貝山(391m)⇒天台山(640m)⇒光明山(639m)⇒能勢妙見山(660m)⇒[大堂越]⇒妙見ケーブル黒川駅前⇒能勢電鉄妙見口駅








 集合場所の千里中央駅からバスで箕面グリーンロードを通り箕面森町(みのおしんまち)地区センターへ移動。箕面グリーンロードのトンネル建設の影響で明治の森箕面国定公園の大滝への水脈が切断され、現在はポンプで水を送っているとされる道路である。

 箕面森町地区センター前で簡単に自己紹介を行い出発。しばらく箕面森町内を歩くと、里山への登山口である。「里山周回の道」の案内板と里山の地図が設置されている。山道に入り、しばらく登っていると、前方から神出鬼没の濱やんが登場し合流。能勢電鉄のときわ台から登ってきたそうだ。里山と侮ることなかれ、結構急な登りもあるアップダウンを繰り返す変化に富んだ道である。

 山道に入って30分ほどで三等三角点の置かれている青貝山に到着。ここで、別方向から登ってくるsmochさん&jennyさんのお二人と合流予定であったが、少し遅れているとのことで、ゆっくりと先に進むことになった。途中、鉄塔下で休憩。高やんお手製のケーキをいただく。そうこうしているうちに、smochさん&jennyさんが追いついてこられた。今回の参加者全員が揃ったところで出発。

 縦走路から100mほど脇道を入った雑木林の中が天台山である。天台山にも三等三角点が置かれている。雑木に覆われているため薄暗く、展望もない。三角点や山名プレートの写真を撮るのに、デジカメのAUTOモードだとストロボ発光になるほどだ。

 天台山から縦走路に戻り、しばらく下ると車道に出る。通行量が少ない車道ということで、この車道の陽のあたっている場所でランチタイム。私の昼食は味噌煮込みうどん。前日の夕食が鍋だったので、白菜・白ねぎ・椎茸・しめじ・つみれ・うすあげ・豚肉を残しておき、鍋のつゆの残りに味噌を溶かしてテルモスに容れて持参。うどんは冷凍食品で、ビールの保冷材代わりにもなり便利である。蓮さんのたまご焼き、高やんから妙見名物で冬季限定販売のでっちようかん、山雀さん&舟橋太郎さんの香り高い珈琲、YASSANのおしること沢山の差し入れをいただく。車道脇に30数人が並んで食事をしている状況は圧巻である。通り過ぎる車の人たちも驚いたことだろう。

 昼食後、再び山道へ入り10分ほどで光明山に到着。光明山からは車道、山道と進み能勢妙見山へと入っていく。参道の鳥居を過ぎしばらく戻ると能勢妙見山境内だ。山門を潜り、信徒会館星嶺の展望所からの眺めを楽しんだ後、三角点へ向かう。日清・日露戦争での戦没者慰霊塔の彰忠碑右奥の「三角点」と書かれた大きな看板下に四等三角点がある。彰忠碑の前でバンダナショットを撮影。妙見山バス停まで下りトイレ休憩。そこにkeyさんが登場、差し入れのチョコレートをいただく。keyさんは車で登ってこられたそうだ。

 能勢妙見山からは、大堂越で妙見ケーブル黒川駅へと下り、一般道を能勢電鉄妙見口駅へと戻り解散となる。妙見口駅前のおみやげ屋で、高やんから昼食時にご馳走になったでっちようかんを家族への土産として購入。解散後は、能勢電・阪急電車と乗り継ぎ十三へ移動しアワアワに参加した。

 参加者の間で、能勢妙見山は寺院か神社かとの話題が出てたので、能勢妙見山公式ホームページよりの抜粋文章を載せておきます。

 よく尋ねられるのが、「妙見山はお寺ですか?神社ですか?」という質問です。鳥居や狛犬があったり、「妙見宮」とも呼び慣わされているところから出た疑問です。これは、鳥居の左側に『日蓮宗霊場能勢妙見山』と刻まれた石碑があることからもわかるように、日蓮宗のお寺です。お寺には普通、 ○○山○○寺という風にお寺の名称がつきますが、能勢妙見山には寺号がついていません。実はこの能勢妙見山は、ここから北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」と呼ばれています。 ※石碑に「日蓮宗霊場」とありますが、霊場とは、神聖なるところ、すなわち清らかなる聖域ということです。

◆参加メンバー:順不同◆
mayumiさん・蓮さん・高やん・空っ風さん・サンペイさん・セージさん・soulmakeさん・なためさん・ユーエスさん・おまわりさん・SUMIEさん・禿洋さん・O型さん・ひげQさん・しろさん・拓さん・ハリさん・じゅんさん・越路さん・船橋太郎さん・寅さん・YASSAN・SAMさん・山雀さん・たけちゃん・つねぼーさん・磯やん・yukisan・とっしーさん・モリボウさん・ぐーちゃん・smochさん・jennyさん・hidetyan・濱やん・大将 (以上36名)

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