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August 29, 2009アーカイブ

登頂日
2009年8月29日(土)
天 候
曇り
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 谷川

西光寺池(本荘地区)⇒(15分)⇒東屋⇒(43分)⇒西光寺山山頂⇒(18分)⇒金鶏山西光寺跡⇒(32分)⇒東屋⇒(3分)⇒サギソウ自生地⇒(6分)⇒西光寺池(本荘地区)








 サギソウを求めて西光寺山に行ってきた。自宅を早朝6時に出発。三田方面から県道141号線を北上、本荘交差点を越えて400m程で左手にある公民館の手前の道を左折。道なりに進むと墓地がある。ここから地道の林道になる。林道を少し入ったところにある西光寺池手前にある駐車スペースにバイクを停め準備をしていると、地元の老人が通りかかる。「釣り?」と問いかけられ、「いえ、西光寺山に登ります。」と答えると「そりゃ、たいへんやなー。三田から来はったんかいな。三田はどちら?」などと会話を交わす。この周辺の地主の方で、朝食後に登山口手前の東屋まで散歩するのが日課になっているそうだ。

 東屋まで老人と一緒に行くことにして歩いていると「サギソウ見たことある?せっかく来たんやからサギソウ見て行き。」とサギソウ自生地に入る。このサギソウ自生地も老人の所有地だそうだ。サギソウ観賞が目的だったのが、老人と一緒だったので写真は下山後に撮影することにして先に進む。

 東屋の手前に「寺坂登山道」の標識があり左斜め前方に踏み跡がある。老人が話によると、寺坂登山道を登ると寺跡があり、このあたりで迷いやすく、間違った踏み跡を登ると、とんでもないところに行ってしまうので登りではなく下りに辿ったほうが良いとのこと。ここは地主さんの指示に従ったほうが賢明なのでそのまま林道を進む。

 東屋で老人と別れ林道をしばらく進むと林道は終点を向かえ山道に入る。山道を登りだすとすぐに水場があり、その先左手に立派な炭焼き窯がある。炭焼き釜を通り過ぎると細い急登の連続となる。道の両脇に生い茂る草木を掻き分けながら登って行くのだが、葉っぱの雨滴でシャツもズボンもビショビショだ。蒸し暑いので合羽を着る気にもならず我慢して登る。

 大きな岩がでてくれば山頂は間近。やがて目の前が開け東屋が目に入る。山頂に到着である。東屋の中を通り抜けたところに祠がありその奥に三角点がある。山の眺望図が設置してあるがガスがかかり展望はゼロである。東屋でコーヒータイム後下山する。

 山頂から200m程を戻ると分岐がある。左方向(登ってきた道)には「今田本荘バス停」とあるが直進方向への案内はない。ここを直進方向に進んでいく。緩やかな道を下っていく。分岐から15分ほどで開けた場所に下り立つ。金鶏山西光寺跡である。木に「金鶏山西光寺」「寺屋敷跡」などのブリキ看板が取り付けてある。地主の老人が言ってたように迷いやすそうな地形である。寺跡から沢沿いを下っていくと所々にテープのマーキングを発見。とりあえず道は間違っていないようだ。

 西光寺跡から30分ほどで緩やかな植林帯に入る。草むらに転がっている「本堂跡山頂至る」のボロ標識を通り過ぎるとやがて行きに通ってきた林道に合流。サギソウ自生地に立ち寄り、写真を撮ってから帰路に着いた。

サギソウ(さぎそう)
【鷺草 学名:Habenaria radiata (Thunb.) Spreng.】
 ラン科の多年草。地中に球根をつくって冬を越し、春に発芽する。葉は細く、茎を抱くようにして5-7枚互生する。7-8月、花茎を20-30センチメートルに伸ばし、径約3センチメートルの花を2、3個開く。萼片(がくへん)3枚は緑色で小さいが、花弁3枚は白色で目だつ。ことに唇弁は大形で周辺が細かく裂け、後方には長い距(きょ)がある。この花形がサギの飛び立つ姿にみえるとして、サギソウの名がついた。日当りのよい湿原の草間に生え、群生することもある。東北地方南部から九州に分布する。
西光寺の金の鶏伝説(民話)
 昔、西光寺山の頂上に、修行を積んだ 偉いお上人様が粗末な庵に住み、村人 達に功徳を施していました。
 お上人様が毎朝熱心に、立派な木箱にお祈りしているので、村人達が不思議に思って尋ねると、お上人様は「箱の中には村が飢饉や疫病に襲われた時に救って くれるものが入っている。そんな事が起きないように祈っているのだが、中を見ると悪い心を起こす者が出てくるので、決して見てはならない」と言われた。
 見るなと言われると見たくなるのが人情で、ある日お上人様が不在の時、村の若い者が箱の中を見ると、金無垢の鶏がまばゆい光を放っていた、この事が村人の噂になり、通りがかりの旅人が耳にして、お上人様が寝静まった夜、庵に忍び込んで箱を開けたところ、昼をも欺く稲光と雷鳴が轟き、旅人は深い谷間に転げ落ちた。
 2・3日後、お上人様が山から降り、村人達に 「自分の言いつけに背いた者があった。私はまた修行の旅に出るが、宝物はこの山に残して行く。みんなが力を合わせて働けば、宝物は役立つ時が来るだろう」と言って旅立った。
 その後この山の上に立派なお寺が建立され、「金鶏山西光寺」と名付けられました。 今でも山の別名を「金鶏山」と言い、それ以来地元では、お正月が明けると西光寺の 何処かで金の鶏が金色の光を放っていると言われる。

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