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October 23, 2011アーカイブ

参拝日:2011年10月23日(日)
第一番札所 那智山 青岸渡寺
御 詠 歌
補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
御本尊
如意輪観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
裸形上人
開創年
仁徳天皇御代(313-399)
所在地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地 0735-55-0001
拝観料
無料
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 紀伊半島に大きな被害をもたらした台風12号の影響で延期になっていた青岸渡寺へ行ってきた。ご存知の通り青岸渡寺は那智勝浦にあるお寺。同じ近畿の和歌山県であるが、えらく遠いのである。交通費もバカにならないので青岸渡寺だけは、安くて行けるバスツアーで行くことにした。

 今回は阪急交通社のバスツアーで朝・昼・夕と三食付で3,980円のツアー。西国三十三所ツアーの第一回ということで多くの旅行会社が客寄せの為に格安で催行している。

 本来は阪和道で田辺まで行き国道311号・168号を通り新宮に抜け那智勝浦の予定であったが、前日の大雨で国道311号が土砂崩れで通行止め。したがって海岸線沿いの国道42号線で那智勝浦へ。少し遠回りにはなるが景色を楽しむことができた。


 国道から那智川沿いの那智山道路に入ると景色は一変。台風12号による被害の大きさに驚きが隠せない。走るバスの中からの何枚か写真におさめてみた。一日も早い復興を願います。

 出発から5時間半の長旅で青岸渡寺に到着。参道に入ったところで集合写真を撮った後は各自で本堂へあがる。お参りをすませ後朱印をいただく。バスツアーの場合は、添乗員がご朱印を代行でもらってくれるのだが、ご朱印は自分でいただくものという気持ちが強いので、あえて添乗員にはお願いせず自らいただくことにしたのだ。この辺は気持ちの問題かな・・・。


 青岸渡寺と隣接する那智大社も見学。写真でわかるとおり土砂が流れ込んだ拝殿付近は立ち入り禁止となっており、現在も土砂の搬出作業が行われていた。

 今回の青岸渡寺で三十一ヶ寺納めることができた。残すところあと二ヶ寺。年内満願を目指す。


西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊
◆札所データ
 補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」と御詠歌で親しまれている西国第一番の札所であります。当山の縁起に開基は仁徳帝の頃(4世紀)。印度天竺の僧、裸形(らぎょう)上人が那智大滝において修行を積みその暁に滝壷で24cmの観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。

 その後、200年推古天皇の頃、大和の生佛上人が来山し、前述の話を聞き一丈(3m)の如意輪観世音を彫み、裸形上人が感得した24cmの観音菩薩を胸佛に納め勅願所として正式に本堂が建立されたのです。

 平安朝中期から鎌倉時代には、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰がさかんになり、この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝されましたので、西国第一番札所となりました。

 現在の本堂は織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築をとどめ南紀唯一の古い国指定の重要文化財建造物で、この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さとおなじであるといわれています。

 青岸渡寺尊勝院は、中世以降は天皇、皇族の熊野詣での宿泊所にあてられていました。不開門は同院の入り口にある唐破風の四脚門で有名。なお、大正7年に那智の滝参道口・沽池と呼ばれるところから発掘された、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る貴重な那智経塚出土品のうち、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、また藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が国指定重文になっています。境内からは那智の滝、那智原始林、太平洋の眺めもよく、南北朝時代の重文・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘があります。
(西国三十三所巡礼の旅より引用)

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