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July 9, 2009アーカイブ

参拝日:2009年7月9日(木)
第二十二番札所 補陀洛山 総持寺
御 詠 歌
おしなべて おいてもわかきも総持寺の 仏の誓ひ頼まぬはなし
御本尊
千手観世音菩薩
宗 派
真言宗高野山派
開 基
中納言藤原山蔭
開創年
仁和2年 (886年)
所在地
大阪府茨木市総持寺1-6   TEL:072-622-3209
拝観料
入山無料
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西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 総持寺も先にお参りした葛井寺同様、駅から近く、阪急総持寺駅から5分ほどで到着。総持寺は以前JRの「駅からはじまるハイキング」で一度訪れている。

  お参りの後、納経所にて御朱印をいただく。納経所はエアコンの効いた建物内だったので、しばらく涼ませていただいた。

◆補陀洛山 総持寺
 補陀洛山 總持寺(ふだらくさん そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院で西国三十三箇所第22番。本尊は千手観音。

 承和年間(834-847年)、高房が任地の太宰府に向かう途中、息子の政朝が川に落ちてしまったが、翌朝、政朝が大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。この亀は高房が前日に漁師から買い取り、川に放した亀であった。

 喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。数十年後、『高房卿の求めに応じて海を渡す』と刻まれた香木が流れ着いたが、この時、高房は既に亡くなっていた。

 中納言になっていた政朝は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかったので、長谷寺に行き観音に祈ったところ、童子が現れた。童子はこの香木を材とし、亀に乗った千手観音を刻んだという。

 仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
参拝日:2009年7月9日(木)
第五番札所 紫雲山 葛井寺
御詠歌
参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに 紫の雲
御本尊
十一面千手千眼観世音菩薩
宗 派
真言宗御室派
開 基
行基
開創年
神亀2年 (725年)
所在地
大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21   TEL:072-938-0005
拝観料
入山無料
御本尊開扉日(毎月18日)のみ300円





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 葛井寺は街中にあるのでほとんど歩くことなく参拝可能。藤井寺というと遠いイメージがあったのだが、近鉄大阪阿倍野橋(天王寺)から、準急で10分ちょっとで到着。

 駅前の商店街を抜けると左手が葛井寺である。お参りを済ませ、御朱印をいただき第二十二番札所の総持寺へと向かう。

◆紫雲山 葛井寺
 葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三箇所第五番札所。

 寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。

 中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。

 永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

 当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。

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