夏のアルプス、秋の六甲全山縦走大会などなどで、西国三十三霊場巡礼に行けてなかった。六甲全縦も終わったことだし、久しぶりに巡礼に行くことにする。どうせ行くのなら、この季節なので紅葉が有名な勝尾寺に紅葉ハイクを兼ねて行くことにした。
コースは交通費が一番安い阪急箕面からのピストンに決めた。箕面公園も紅葉の人気スポットなので、人で賑わう前の早朝から歩き出すことにする。ということで、阪急箕面駅をAM6:50にスタート。観光道の滝道を大滝目指して登っていく。上から下りてくる地元の人に多くであった。箕面でも毎日登山の風習があるのだろう。さすがに一般観光客的な人とすれ違うことはない。
瀧安寺あたりから紅葉が目に付きだす。野口英世像への登り口付近は、紅や黄色に染まった木々と常緑樹と調和の取れたコントラストがとても綺麗だ。大滝には早朝にもかかわらず、それなりの人がいた。地元の人とアマチュアカメラマンがほとんどだ。滝の周りは紅葉がすくなく残念だ。
大滝から少し戻り車道へと上がる。ここから箕面ビジターセンターまで車道を歩く。ビジターセンターの敷地内に入り駐車場手前右側にある階段を登ったところで道が左右に分岐しており、左側が東海自然歩道、右が自然観測路4号線である。往路は後者を取ることにする。比較的緩やかな、整備された道が続いている。自然観測路ということで所々に樹木や生き物の説明板が立てられている。
自然観測路を進んでいくと直進する道と右に下る道の分岐が出てきた。地図で見てきたイメージ的には直進なのだが、道標には右へ下る方向に「勝尾寺」と記されている。地図を出してみるのも面倒なので、道標に従うことにして右に道を取ると丸太階段を一気に下っていく。結局車道まで下ってしまった。車道との出会い地点に設置されていた案内板を見るとやはり直進でも良かったようだ。下ってきた行程を考えると登り返す気にもならないので、そのまま車道を歩き勝尾寺に到着。
勝尾寺の参拝入り口は、ご立派な近代風建物である。建物正面の入口と表示のある自動ドアから広々とした明るい雰囲気の建物に入ると受付があり、ここで拝観料を払う。建物内は休憩所とみやげ物売り場になっている。地下駐車場まであるというからすごい。お寺というより観光施設って感じである。観光収益を思いっきり重視した寺院という印象である。
さすがに紅葉名所とあって樹木は綺麗に色付いている。また勝ち運信仰の歴史をたどっている勝尾寺は「勝ちダルマ」が有名。小さな勝ちダルマが灯篭の中や岩の上などに沢山並べられている。本堂でお参りを済ませ納経所で御朱印を頂く。
本堂の右手から二階堂への道を登っていくと二階堂の少し手前から東海自然歩道に入れる。獣よけのフェンスを潜ると山道に入るのだが、いきなりの急登が待ち構えている。この急登を登りきると東海自然歩道に合流する。
東海自然歩道を政の茶屋(箕面)方面にしばらく歩くと、勝尾寺を開いた開成皇子(光仁天皇の皇子)の墓がある。ここからしばらく丸太で作られた歩道が敷かれているが、丸太の腐食が激しく危険なため通行止め。谷側の迂回路を進む。
東海自然歩道は道幅も広く整備された道であるが、自然観測路4号線に比べるとアップダウンの繰り返しが多く疲れるが、今日の行程を考えるとこれくらいのアップダウンがないと物足りない感じではある。やがて往路に歩いた自然観測路4号線が左側5m程下に見えてくる。しばらく平行線をたどる。所々両道を行き来できる踏み跡がある。やがて自然観測路4号線と別れ車道を渡る橋を越えると再び自然観測路4号線と合流点の箕面ビジターセンターである。
箕面ビジターセンターから車道で箕面公園に戻る。車道から滝道に下り、大滝方面を除いてみるとすごい人で賑わっている。人の多い大滝に再度行く気にはならないので箕面駅へと下った。
GPSの調子が思わしくない。電源投入時に現在地を補足するのにかなり時間を要する。また滝道あたりでかなり外れたコースを記録している。一度ファームアップでもしてみるとしよう。トラックデータを修正するのも面倒なのでそのままアップしております。御了承ください。
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◆應頂山 勝尾寺
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。
伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺(かぶさんじ)など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。