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August 2010アーカイブ

参拝日:2010年8月29日(日) 
第二十九番札所 青葉山 松尾寺
御 詠 歌
そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに まつのおでら
御本尊
馬頭観世音菩薩
宗 派
真言宗醍醐派
開 基
威光上人
開創年
和銅元(708)年
所在地
京都府舞鶴市松尾532   TEL:0773-62-2900
拝観料
無料
 URL



撮影:Canon PowerShot SX200 IS

西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆青葉山 松尾寺 
 松尾寺が、その中腹に位する青葉山(六九九米)は、福井縣から望見すれば、東西に並び立つ双峰が一つに重なり、その秀麗なさまは「若狭富士」と呼称されている。

 富士なくば 富士とやいわん 若狭なる
  青葉の山の 雪のあけぼの
   御陽成天皇皇子・八条王子
 
 この山は死火山で、昔火焔を吹き上げ、噴流は直下の日本海に注いで凄絶な水煙をあげていたものと思われる。この厳しい表情をたゝえた険峻な山は、早くから修験道修行の場となっていた。
 時に慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果 せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(708年)と伝えられる。
 爾来、今日まで千三百年を経ているが、その間、元永二年(1119年)には、鳥羽天皇の行幸があり、寺領四千石を給い、寺坊は六十五を数えて繁榮した。当地方唯一の国宝の仏画も、美福門院の念持仏であったといわれる。
 その後、度重なる火災にあったが、その都度、細川幽斉や京極家によって復興され、現代の本堂は、牧野英成により享保十五年(1730年)に修築された。
 当寺は、西国第二十九番札所で、本尊馬頭観世音は、三十三霊場中唯一の観音像であり、農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には競馬に因む信仰を広くあつめている。
松尾寺ホームページより引用

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参拝日:2010年8月29日(日) 
第二十八番札所 成相山 成相寺
御 詠 歌
波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立
御本尊
聖観世音菩薩
宗 派
真言宗
開 基
真応上人
開創年
慶雲元(704)年
所在地
京都府宮津市成相寺339   TEL:0772-27-0018
拝観料
500円
 URL





撮影:Canon PowerShot SX200 IS

西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆成相山 成相寺 
成相寺は天橋立を望む成相山の中腹にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場でした。日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。その中で文武天皇の勅願所として慶雲元(704)年に真応上人が創建したと伝えられています。悲話を伝える撞かずの鐘、奇怪な話の底なし池、美人観音として名高い聖観世音菩薩などがあり、しゃくなげの名所でもあります。 本寺は「身代り観音」「撞かずの鐘」などの伝説で知られています。車道もありますが、ケーブルカーと登山バスを乗り継いでお参りされるのも楽しいでしょう。どちらも天橋立を眺めながら上がれます。西国札所最北端のお寺で、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る雪の天橋立も格別です。

・由来
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。 すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた鹿が倒れているのに気付がつきました。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。 やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居ました。 それを知らされた僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。
成相寺ホームページより引用

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登頂日
2010年8月21日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー2名

本荘地区⇒サギ草自生地⇒東屋⇒炭焼き窯⇒西光寺山⇒金鶏山西光寺跡⇒東屋⇒本荘地区






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 今年も西光寺山(712.9m)に行ってきた。このクソ暑い時期に低山である西光寺山に行く目的はサギ草観賞である。

 本荘公民館で同行の二人と合流。お墓の駐車場に移動。ここから出発である。林道を進んでいくとサギ草自生地だ。小さくてかわいい花が咲いていた。三人思い思いにサギ草観賞&写真撮影。サギ草を存分に堪能し西光寺山へ向かう。

 サギ草自生地からさらに林道終点まで進む。ここから山道に入っていく。1時間もあれば十分登れる山なのだが、なんせ暑い。身体中から汗が噴き出してくる。まめに水分補給をしながら、ゆっくりと登る。

  山頂が近づいてくると、山頂からオカリナ(だと思う)の音色が聞こえてくる。曲はジブリ映画『天空の城ラピュタ』 のテーマソング「空から降ってきた少女」だ。決して上手とは言えないが、疲れが癒される感じである。

 そのうちオカリナは聞こえなくなった。稜線に登り詰めたところで、一人の男性ハイカーが下ってきた。この男性がオカリナの主だったのではないかと思う。稜線まで出ると山頂までは200mほど、前方に東屋が見えてくれば山頂はすぐそこだ。

 東屋の先に祠が有り、祠の後ろに三等三角点がある。山頂の東屋でゆっくりと休憩をとる。

 下山は、金鶏山西光寺跡を経由の谷筋を下る。ガレ状態で歩きにくいことこの上ない。その昔、金鶏山西光寺があったころの参道にしては荒れすぎ。参道は他にあったのかもしれない。杉の植林地を抜けると往路に歩いた林道に合流。

 合流地点から少し山側に東屋がある。ここでランチタイム。Pちゃんが準備して持ってきてくれた冷やしうどんをいただく。トッピングや薬味も色々と準備してくれている。とっても美味しくいただいた。Pさん重いのにありがとうございました。感謝感謝です。

 昼食後駐車場まで戻り、本日の山行は終了。「こんだ薬師温泉 ぬくもりの湯」で汗を流し解散となった。

 暑くてしんどかったけど、サギ草と美味しい冷やしうどんに満足の山行であった。
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参拝日:2010年8月16日(火) 同行二人
第二十六番札所 法華山 一乗寺
御 詠 歌
春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
御本尊
聖観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
法道仙人
開創年
白雉元(660)年
所在地
兵庫県加西市坂本町821-17   TEL:0790-48-2006(本坊)
拝観料
400円





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 お盆休みの最終日、特に予定もないので、久々に西国三十三所にお参りに行くことにした。

 訪れたのは、兵庫県加西市にある、第26番札所 法華山 一乗寺。天台宗のお寺で御本尊は『聖観世音菩薩』である。

今回は車で現地へ。300円の駐車料金を払って、一乗寺の駐車場に停める。

 一乗寺には山門がない。境内入口から金堂(本堂)まで長い石段が続いている。途中左手に1174年完成の三重塔がある。この三重塔は国宝に指定されている。三重塔は本堂から眺めると良いだろう。

 本堂でお参り、御朱印をいただいた後、奥の院・賽の河原と回った。

◆法華山 一乗寺 
 寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
 一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。
 法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀?8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。
 創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。
 一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。

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登頂日
2010年8月7日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏メンバー7名
地 図
地形図 1/25,000 宝塚

阪急甲陽園駅⇒神呪寺 仁王門⇒神呪寺 本堂⇒甲山⇒甲山森林公園⇒地すべり資料館⇒阪急仁川駅








 『なにわ淀川花火大会』を見に行ってきた。今年で22回目となる大阪の夏の風物詩といえるイベントである。

 今年も山仲間のSさんのご好意により、Sさん所有のマンションから花火大会見物。昨年同様、朝から山に登り、下山後、尼崎のスーパー銭湯で汗を流し、駅前のスーパーでお寿司や惣菜、ビール等のドリンク類を購入、塚本のSさんのマンションに入り、花火大会開始まで小宴会という流れである。

 昨年は、北摂大峰山から中山と距離が長めで、時間もかかり、JR塚本駅の混雑に巻き込まれ大変だったので、今年は、距離が短く、キツイ登りのない山ということで甲山(かぶとやま)に登ることにした。甲山は、お椀を伏せた形で、兵庫県西宮市のシンボルと言われている標高309mの山である。

 阪急甲陽園駅に集合し、アンネのバラの公園から甲山大師道と街中の舗装された上り坂を歩き神呪寺へ。

 神呪寺境内の展望所で休憩。展望所からは、生駒山や二上山、葛城山、金剛山と見渡すことが出来る。

 多宝塔の右側から甲山への登山道に入る。九十九折の階段道を10分程登れば山頂広場に到着する。西宮市観光協会のホームページには「頂上からの展望は阪神間でも指折りです。」と掲載されているが、雑木に覆われ展望は期待できない。三角点とケルンの設置されている場所は、陽が照り付けているので、日陰の場所で休憩。

 三角点とケルンの場所でバンダナショットを撮ってから、「甲山自然の家」方面へ下山。車道に出合えば登山道は終わりである。車道を横断した正面が「甲山森林公園」の入り口から公園内に入る。公園内のシンボルゾーンを通りレストハウスへ。レストハウスとは名ばかりで、カップ麺や清涼飲料水の自動販売機が置かれ、テーブルとベンチがあるだけである。その昔はレストハウスが営業されていたのだろうか?ここで早目の昼食タイム。

 昼食後、展望台を経て「地すべり資料館」へ下る。館内見学の予定はなかったのだが、時間に少し余裕があるので見学することにした。阪神・淡路大震災によって発生した土砂災害のうち、最も大きな被害が出たのが仁川百合野地区。地すべりの規模は、幅約100m、長さ約100mで、深さ15m、移動土塊は約10万立方メートルに達し、崩壊土砂は、二級河川仁川を埋塞するとともに、家屋13戸を押しつぶし、34名の尊い人命を奪った。「地すべり資料館」は、地すべりで土砂で埋め尽くされた場所に建てられ、阪神・淡路大震災の経験から自然の恐ろしさと土砂災害のしくみを学ぶためのビデオや写真、また、地すべり対策工事のしくみがわかるジオラマ模型などを設置されている。

 地すべり資料館から阪急仁川駅に戻り、阪急電車・JRと乗り継いで尼崎へ。予定時間通り13:00過ぎに尼崎に到着。尼崎駅近くのスーパー銭湯極楽湯で汗を流す。極楽湯の送迎バスで尼崎駅前まで戻り、駅前のスーパーで買出しを行い、塚本のSさんマンションへ。時間を早めたので、すんなりと塚本駅を出ることが出来た。

 花火がはじまるまで、エアコンの効いた部屋で冷たいビールで乾杯!時間があるので、マンション前の会場を少し散歩することにした。ブラブラと歩いていると、山の会のGさんご夫妻に遭遇。どこで見るか決めてないとの事だったので、お誘いして一緒に見ることにした。

 午後7時50分いよいよ花火大会が始まる。マンションのバルコニーのすぐ前が打ち上げ場所。参加者全員がバルコニーに出て花火観覧。次々と打ち上げられる様々な花火に感動。あっという間に50分の花火大会はフィナーレを迎えた。今年も最高の特等席で花火大会見学を楽しむことができました。 花火大会の模様は、説明するより見てもらったほうが・・・ってことで動画をご覧あれ。

 花火大会終了後、部屋に戻り、花火大会の余韻をあてに一杯。駅の混雑が落ち着く頃を見計らってお開きとなった。今年も素晴らしい観覧場所を提供していただいたSさんに感謝!

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登頂日
2010年7月31日(土)・8月1日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏メンバー3名
地 図
地形図 1/25,000 上高地・穂高岳・槍ヶ岳

上高地バスターミナル⇒明神⇒徳沢⇒横尾⇒槍沢ロッヂ⇒ババ平⇒殺生ヒュッテ⇒槍ヶ岳山荘⇒槍ヶ岳⇒槍ヶ岳山荘⇒殺生ヒュッテ⇒ババ平⇒槍沢ロッヂ⇒横尾⇒徳沢⇒明神⇒上高地バスターミナル










 午前4時過ぎに起床。前日の寝不足&疲労の関係で、ぐっすりと眠ることができた。日の出前だが、槍ヶ岳の姿は、くっきりと見える。山頂でご来光を拝む人達が、すでにヘッデンを点けて登り始めている。我々は、陽が昇ってからの出発。サブザックに必要な物だけ入れて槍の肩に向かう。

 槍の肩から大槍を望む。ついにこの日がこの時がやってきた、天候は上々、槍ヶ岳への第一歩を踏み出す。三点確保で登って行くが、足場や手のホールド箇所もしっかりており、さほど苦労なく登って行ける。鎖やハシゴも特に問題ない。先行している人が多いが渋滞まではならず、スムーズに登って行ける。

 最後のハシゴを登り切り槍ヶ岳山頂に到達。両足でしっかりと山頂を踏みしめる。眼前には、北アルプスの大パノラマが360度に渡り広がっている。昨年登った双六岳も見える。広がる雲海には、大槍の影が映しだされている。何とも言えない素晴らしい景色だ。北アルプスでは奥穂高岳に次ぐ標高の山だけあって、周りの山々を見下ろす感じが何とも言えず素晴らしい。

 祠の屋根に置いてある『槍ヶ岳登頂』と書かれたプレートを持って、バンダナショット&個人での記念写真を撮影。このプレート、そんなに重くなく、ごく普通の板切れって感じだが、悪天候の強風で飛ばされることはないのだろうか?とつまらないことに疑問を持ってしまうのは小生だけだろうか。

 名残惜しいが、いつまでも居るわけにも行かないので下山。槍の肩まで下り、槍ヶ岳山荘のベンチで、今、登ってきたばかりの大槍を眺めながらコーヒーブレイク。一時の感慨にふける。槍ヶ岳山荘で、バッチと登山証明書、マグカップを記念に購入、締めて1,400円也。

 殺生ヒュッテのテン場に戻りテントを撤収。朝食を摂り、出発準備を整え下山開始。往路をピストンで下山した。往路の疲れもプラスされ、結構きつい下山となったが、何とか無事に上高地に帰り着く。平湯に戻り、温泉で汗を流し、高山の自然薯料理の店で名物とろろご膳を食べ、帰阪の途についた。

▼ ご同行いただいた皆さんへ
 山を始めて2年半、昨年アルプスデビューし、3度目のアルプスで、念願の槍ヶ岳に登ることができました。これもひとえに素晴らしい仲間のおかげと感謝しています。ありがとうございました。これからもヨロシクです。

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