モンスターカレンダー

« December 2010 »
12345678910111213141516171819202122232425262728293031

December 2010アーカイブ

登頂日
2010年12月26日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー6名

三宮⇒神戸北野天満神社⇒大龍寺⇒再度山⇒修法ケ原⇒猩々池⇒ビーナスブリッジ⇒諏訪山公園⇒三宮駅








囲炉裏村の低山オフで再度山へ今年最後の山行に行ってきた。

午前10時に三宮を出発。北野坂を登り北野異人館へ。異人館に来るのは何十年ぶりだろうか。あまりにも昔過ぎて思い出せない。風見鶏の館の横にある北野天満神社の石段を登り境内にあがると、眼下に風見鶏の館や神戸の街を展望できる。

うろこの家の裏を通り、山道へと入っていく。やや斜度のキツイ登りを大龍寺へ向け、一時間ほど登っていくと善助茶屋跡に到着。毎日登山の発祥の地で、毎日登ったことを記するサイン帳が置かれた。現在は、約10cmほど盛土をされた茶屋跡が残っているのみで『毎日登山発祥の地』の石碑が建てられている。毎日登山は明治の終わりごろ、神戸に住んでいたE・H・ドーンを中心とする外国人たちによって始められ、現在でも六甲山系の多くの山々で、多くの人が早朝登山を楽んでいる。

善助茶屋跡から大龍寺はすぐ。大龍寺の境内に登り、本堂前の小屋で昼食。Aさんが温かいぜんざいを差し入れてくれた。寒い中、冷えた身体が温まり、とても美味しくいただいた。

昼食後、本堂の横手から再度山(470m)に登る。数枚の登頂プレートがぶら下がっているだけの眺望も何もない山頂である。六甲全山縦走大会の練習や本番、それ以外の山行でもこのあたりを歩くことは多いが、山頂まで足を伸ばしたのは、今回が2度目。大龍寺の本堂まであがったのも3度目くらいではないかと思う。

山頂でバンダナショットを撮り、修法ヶ原へと向かう。六甲山の樹木の乱伐が続いた結果、六甲山は明治中期までハゲ山だったことは広く知られている。多くの植林により、現在は緑豊かな六甲山となっている。その最初の植林がこの修法ヶ原から始まったそうだ。修法ヶ原池のほとりには、それを記念し『六甲山植林発祥の地碑』が建てられている。

修法ヶ原から大龍寺まで戻り、大師道で猩々池を経て、途中ビーナスブリッジに寄って諏訪山公園に下山。明治初期にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で行ったことから「金星台」とも呼ばれており、それを記念する碑や今年の大河ドラマ「龍馬伝」でもおなじみの勝海舟が創った神戸海軍塾の碑が建っている。

高台の金星台から下ると下界だ。北野通りまで戻り、うろこの家製作の「サンタ48」を見学してから三宮駅へと戻り、阪急の高架下の居酒屋でアワアワタイム。その後3名でお好み焼き屋での二次会の後帰路に着いた。

小生にとって本年の納山となった再度山にご一緒いただいた皆様及び今年一年、山にご一緒いただいた皆様、色々とお世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
ランキング参加中!ポチッっとお願いします。⇒
にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ

三田歴史ウォーク

| コメント(0)
歩行日
2010年12月23日(木)
天 候
曇り
同行者
単独行

三田市役所⇒小寺泰次郎生誕地⇒川本幸民生誕地⇒九鬼隆一生誕地⇒三田カトリック教会⇒鈴木清生誕地⇒元良裕次郎生誕地⇒三田英蘭塾跡⇒さんだ歴史資料収蔵センター(金心寺跡)⇒白洲退蔵生誕地⇒心月院(九鬼家菩提寺・白洲次郎墓所)⇒三田天満神社(天神公園)⇒三田城跡(川本幸民顕彰碑・藩校造士館跡)⇒旧九鬼家住宅⇒三田市役所






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 12月4日に書寫山に登って以来、山に登ってない。こんなことではダメだってことで、山ではないが、地元三田の街の史跡と歴史人物を訪ねてぶらぶらと歩いてきた。

 室町時代に播磨国守護だった赤松則村の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城。その後、赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると、信長の家臣の山崎堅家が近江国から入封し三田藩が成立。

   江戸時代には、志摩国鳥羽藩(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し秀吉の九州攻めや朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名九鬼氏が移封されて三田藩主となる。その後、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。

 文部官僚の九鬼隆一、蘭学者で日本の科学の祖と呼ばれる川本公民、白州退蔵など、多くの偉大な人物を世に送り出している。興味がある方は『歩行詳細データ(ルートMAP・断面図 他)』を見ていただきたい。

 約5.5kmと短い距離ではあるが、のんびりと歴史を感じながらの散策を楽しんだ。
ランキング参加中!ポチッっとお願いします。⇒
にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ
参拝日:2010年12月4日(土) 
第二十七番札所 書寫山 圓教寺
御 詠 歌
はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
御本尊
六臂如意輪観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
性空上人
開創年
康保3(966)年
所在地
兵庫県姫路市書写2968   TEL:079-266-3327
拝観料
拝観志納金 500円
 URL







西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 山仲間の西国三十三所巡礼隊で第二十七番札所の書寫山圓教寺にお参りしてきた。圓教寺は、兵庫県姫路市にある寺院で天台宗の別格本山で、「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹とのこと。また、2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』・2003年NHK大河ドラマ『武蔵』のロケ地になったことでも有名。

 書寫山圓教寺には、六つの参道があるそうだが、今回は西から谷沿いを登る「刀出坂参道」からのお参り。ここから登ると拝観志納金五百円也を納めなくてもよいという利点がある。

 刀出天神古墳の駐車場に車を停め出発。東海自然歩道にも選定されている刀出坂を登る。樹林に覆われた刀出坂は、展望こそ全くないが、沢の流れる音を聞きながらのんびりと登っていく。1時間弱で圓教寺の奥の院横に到着。大講堂・食堂・常行堂とコの字型に立ち並んでいる「三之堂」の脇から「白山権現」への標識に従い、書寫山の山頂へ登る。白山権現のすぐ横っちょの寺院内を通る道端の一段高くなった場所が山頂。いくつかの登頂記念プレートがぶら下がっている。このプレートがなければ見逃してしまうであろう。

 山頂で、お定まりのバンダナショットを撮影。摩尼殿へ下る道は結構荒れていた。摩尼殿で御朱印を頂く。これで十四寺納めたことになる。番外札所を二寺納めているので、合計一六寺。西国三十三所は、番外三寺を含め三十六寺なので、まだ半分にも達していない。まして、近場から納めているので残っているところは遠方が多い。いつになったら満願できることやら。

 お参りをすませ、展望所まで戻ってランチタイム。昼食後ピストンで下山。途中、左に行かなければならないところを直進で下ってしまったが問題なく下山。元々は、この道が参道だったのではないだろうか。竹薮の中を通ってたどり着く住宅地の細道の状況から見ても、あまり多くのハイカーに歩いてもらいたくない感じである。東海自然歩道に指定される際に地主や住民からの要望で迂回路が設けられたのではと考えられる。(あくまでも小生の所感であって真意の程は定かではない。)

 下り立った住宅地から、駐車地点の刀出天神古墳まではすぐであった。車で次の目的地である加西市の一乗寺へ。こちらも西国三十三霊場の一つ第二十六番札所である。この一乗寺は、今年8月に納めているので、お付き合いでのお参りとなった。
ランキング参加中!ポチッっとお願いします。⇒
にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ

◆書寫山 圓教寺 
 書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は、康保3年(966年)性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた。 この山に登る者は六根を浄められるという文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のお告げがあり、上人は白山でこの六根清浄のさとりを得られた。その後、御利益を得ようと多くの人々がこの山に登った。

 花山法皇は二度も御来駕にり上人の教えを受けられた。後白河法皇も七日間、御参籠になり、後醍醐天皇は隠岐の島より御還幸の際、一泊された。 以来、多くの信仰を集め、善男善女の参詣や多くの僧侶の修行の道場として栄え、西の比叡山とも呼ばれるようになった。

 現在も、北は北海道、南は九州から、春の訪れとともに、参詣者が絶えない。 国指定重要文化財の建造物八棟、仏像八体、今もなお、昔日のおもかげを林間に輝かせている。




アーカイブ