囲炉裏村の低山オフで再度山へ今年最後の山行に行ってきた。
午前10時に三宮を出発。北野坂を登り北野異人館へ。異人館に来るのは何十年ぶりだろうか。あまりにも昔過ぎて思い出せない。風見鶏の館の横にある北野天満神社の石段を登り境内にあがると、眼下に風見鶏の館や神戸の街を展望できる。
うろこの家の裏を通り、山道へと入っていく。やや斜度のキツイ登りを大龍寺へ向け、一時間ほど登っていくと善助茶屋跡に到着。毎日登山の発祥の地で、毎日登ったことを記するサイン帳が置かれた。現在は、約10cmほど盛土をされた茶屋跡が残っているのみで『毎日登山発祥の地』の石碑が建てられている。毎日登山は明治の終わりごろ、神戸に住んでいたE・H・ドーンを中心とする外国人たちによって始められ、現在でも六甲山系の多くの山々で、多くの人が早朝登山を楽んでいる。
善助茶屋跡から大龍寺はすぐ。大龍寺の境内に登り、本堂前の小屋で昼食。Aさんが温かいぜんざいを差し入れてくれた。寒い中、冷えた身体が温まり、とても美味しくいただいた。
昼食後、本堂の横手から再度山(470m)に登る。数枚の登頂プレートがぶら下がっているだけの眺望も何もない山頂である。六甲全山縦走大会の練習や本番、それ以外の山行でもこのあたりを歩くことは多いが、山頂まで足を伸ばしたのは、今回が2度目。大龍寺の本堂まであがったのも3度目くらいではないかと思う。
山頂でバンダナショットを撮り、修法ヶ原へと向かう。六甲山の樹木の乱伐が続いた結果、六甲山は明治中期までハゲ山だったことは広く知られている。多くの植林により、現在は緑豊かな六甲山となっている。その最初の植林がこの修法ヶ原から始まったそうだ。修法ヶ原池のほとりには、それを記念し『六甲山植林発祥の地碑』が建てられている。
修法ヶ原から大龍寺まで戻り、大師道で猩々池を経て、途中ビーナスブリッジに寄って諏訪山公園に下山。明治初期にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で行ったことから「金星台」とも呼ばれており、それを記念する碑や今年の大河ドラマ「龍馬伝」でもおなじみの勝海舟が創った神戸海軍塾の碑が建っている。
高台の金星台から下ると下界だ。北野通りまで戻り、うろこの家製作の「サンタ48」を見学してから三宮駅へと戻り、阪急の高架下の居酒屋でアワアワタイム。その後3名でお好み焼き屋での二次会の後帰路に着いた。
小生にとって本年の納山となった再度山にご一緒いただいた皆様及び今年一年、山にご一緒いただいた皆様、色々とお世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
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