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日本100名城の最近のブログ記事


自宅に居ても暑いので、峠の茶屋『一軒家』にお茶しにきました。心地よい風で同じ三田市内と思えない涼しさです。


県道49号線沿いの峠にある、わらび餅と茶そばが有名なお店。このブログでも紹介した花しょうぶ園・花のじゅうたんのすぐ近くになります。


わらび餅と冷たいお抹茶をいただいてから、永澤寺(ようたくじ)・篠山城址とドライブです。

走行日
2016年7月18日(月)
天 候
晴れ
同行者
単独





週末モーニングライドは、お盆明けのサギ草ライド企画下見で篠山市今田町から篠山城へと走ってきた。

真夏のくそ暑い時期にこのコースはちょっと長すぎかな・・・ってことでボツ。また別ルートを考えなければ。 



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行った日
2016年3月11日(金)-13日(日)





 

またまた九州旅行。
今回は、熊本と長崎に行くことにした。やはり、おいらにとって長崎は絶対に外せない場所である。

早朝に自宅を出発し新大阪駅へ向かう。新大阪からは、九州新幹線で熊本まで2時間半の行程である。

熊本駅から市電(路面電車)で市内中心部へ移動。学生時代に長崎のユースホステルでヘルパーをしてるころに知り合った友人と十数年ぶりに再会。残念ながら友人は仕事とのことでランチを共にする。

ランチ後は友と別れ、熊本城・水前寺成趣園と観光。熊本を訪れるのは30年ぶりくらいになると思うが、熊本城に関しては、前回訪問時の印象が残っており、場内の石垣など懐かしく見学した。一方水前寺成趣園も過去に訪れたはずなのだが、こちらは全く記憶に残ってないような状況であった。

久しぶりの熊本を満喫した半日であった。



翌日の朝一番の高速バスで熊本を発ち長崎へと向かう。長崎駅前で降車。友人が駅まで来てくれてたので、駅前から西坂公園(二十六聖人殉教地)を経て、想い出がいっぱい詰まった長崎南方苑ユースホステル跡地まで歩いて登る。一年ぶりに登る南方苑YHへの続く長い坂道を歩いていると長崎での、そして長崎南方苑ユースホステルでの沢山の想い出が頭の中を流れていく。

今回の昼食は、創業大正14(1925)年、九州最古の喫茶店『ツル茶ん』のトルコライス。トルコライスとは、洋食屋さんの定番メニューである「スパゲッティナポリタン・とんかつ・ピラフ・カレー」がひとつのお皿に盛られたもの。みんなが大好きなものが一度に食べられるワンプレート料理。

夕方にもう一人の友人と合流し、稲佐山に夜景を見に行く。長崎稲佐山の夜景は、皆さんご存知の通り日本三大夜景・新世界三大夜景の一つである。稲佐山から眺める港町長崎の夜景は、大地に色とりどりの宝石を散りばめたような美しさがある。長崎に行かれた際には、是非行っていただきたい場所のひとつである。

長崎二日目は、朝の7時過ぎからお昼まで友とカラオケという、長崎まで来て何やってんだと普通の人なら絶対やらないパターンを過ごし長崎を後にした。




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2016年の初ライドで篠山城跡へ

走行日
2016年1月1日(金)
天 候
晴れ
同行者
単独




 
 

今年の初ライドは、青野ダムから篠山へのライド。県道309号・72号・12号と走り篠山市街に入り、日本100名城のひとつである篠山城跡まで走る。篠山城大書院付近を散策した。

帰路は国道173号・176号を経て、四ツ辻交差点から県道309号に入り青野ダムへと戻った。 



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行った日
2015年10月21日(水)


 

平成の大修理を終えた、漆喰の白さが眩しい世界文化遺産『姫路城』に久しぶりに登城してきた。何度来ても素晴らしい城だ。

平日だというのに、大勢の観光客で賑わっていた。平成の大修理前のそれなりの人が観光に訪れていた頃の方が、ゆっくりと見て回ることができ良かったな?。

■姫路城
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝五城」や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。

姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。

江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられた。

昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。昭和の大修理を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。





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散策日
2011年4月17日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


篠山城に桜を求めて行ってきた。

篠山なら、まだ大丈夫かと思ってたのだが・・・
すでに遅く終わりかけだった。

でも、天気も良かったし、充分に綺麗な桜を観る事ができた。

◆篠山城跡(日本100名城)
 篠山城は、慶長14年(1609)征夷大将軍となった徳川家康が、近畿・中国・四国の十五ヶ国、二十大名に夫役を命じ築城した天下普請の城である。天下普請の城郭には、他に、二条城・丹波亀山城・膳所城・彦根城・名古屋城・駿府城・越後高田城・江戸城)などがある。
 普請奉行には池田輝政、縄張り奉行には藤堂高虎を任命し、京都から山陰、山陽へ通じる要衝の地を守る為、城主には家康の庶子である、松平康重が置かれた。
 篠山城は比高15メートルの小山を利用した平山城で、縄張り形式は方形で、天守台・殿守丸・二の丸が梯郭式で、それを囲む三の丸は輪郭式である。三の丸の濠は東西南北約400メートル、幅が約40メートル。三の丸の大手・東・南の三門は土橋で外濠を渡り、そこに角馬出しがついていた。とくに南馬出しは土塁で現在もよく残っている。

・篠山城本丸跡
 築城当初は現在の二の丸が本丸、現在の本丸は南東の隅に、天守台が造られたことから、特に殿守丸と呼ばれていました。
 天守台の大きさは東西約十九メートル、南北約二十メートル、約三百八十?の広さがあります。天守台石垣は本丸内側からの高さ、約四メートル、外側の南と東側犬走りからの高さ約十七メートルで、篠山城で最も高い石垣です。 天守閣は築城の時に建築が中止され、代わって天守台南東隅に二間四方(四メートル四方)の一重の隅櫓が建てられました。

 本丸の周囲は天守台と南西隅・北西隅・北東隅の三ヶ所に二重の隅櫓を建て、間を多聞櫓でつないで内部を囲んでいました。二の丸には大書院をはじめとする御殿が建てられたのに対して、本丸には御殿等の建物はなかったようです。
本丸内の北側中央にある一の井戸は岩盤を掘り抜いたもので、深さ約十六メートル(内水深八メートル)で、掘るのに二年もかかったと伝えられています。

・大書院跡
 篠山城大書院は二の丸跡に所在した城主居館の中で、とくに歴代城主による公式行事に使用された場所で、正規の書院造の建物となっていました。
この建物は慶長十四年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西二十八メートル、南北二十六メートルの篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。
 廃城後もこれだけ残されましたが、昭和十九年の失火により失われました。その後、焼失から五十六年たった平成十二年三月大書院の威容が大書院跡地に蘇りました。
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大阪街中ぶらり花見ハイク

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歩行日
2011年4月9日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏メンバー2名

JR玉造駅⇒聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会⇒難波宮史跡公園⇒大阪城公園⇒毛梅桜之宮公園






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 村のWさん、pさんと大阪街中花見ハイクに行ってた。

 11時に大阪環状線玉造駅集合。聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会から難波宮史跡公園を経て大阪城公園へ。

 雨が上がり、午後から天気が回復ということもあり、大阪城公園は多くの人で賑わっている。天守閣前の売店で花見寿司とを買ってランチタイム。

 昼食後は、大阪城桃園で桃の花を堪能し大川沿いへと出る。大川沿いの桜並木も見事。多くの花見客で賑わっている。このあたりで陽射しが出てきて一気に暖かくというより暑くなってきた。

 毛馬桜之宮公園で川沿いから離れコンビニへ。ビール・焼酎・つまみを調達して再び毛馬桜之宮公園へ戻り、桜の木の下で小宴会。途中で仕事途中のSさんも加わりワイワイと楽しい一時。

 野外小宴会の次は、天神橋のMさんのお店でまたまた宴会。村のMUさんが合流。仕事を終えたSさんも遅れて登場。Mさんの店の常連のF嬢も加わり、賑やかな時間を過ごした。

 ご一緒いただいた皆さんありがとうございました。
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登頂日
2011年4月3日(日)
天 候
雪/曇り
同行者
囲炉裏村メンバー26名+1名(Rさん)

近鉄壺阪山駅⇒土佐街道⇒壺阪寺⇒五百羅漢⇒高取山(高取城跡)⇒砂防公園⇒夢創館(土佐町)⇒近鉄壺阪山駅








 はんなりオフで壺坂寺から日本三大山城のひとつ高取城跡に行ってきた。

 近鉄壺阪山駅に集合。出発を待っていると雨がポツポツと落ちてきた。この雨がみぞれっぽくなって、やがて雪に・・・って4月だぞっ!

 駅から土佐街道を歩く。土佐街道には昔の面影を残した屋敷などが残っている。奈良なのになんで土佐かいどうかっていうと、六世紀のはじめ頃に大和朝廷の都造りの労役に土佐から召しだされた者が任務を終えて帰郷しようとしたが朝廷からの援助がなく帰郷できず住み着いたので土佐町と呼ばれるようになり、その土佐町の街道を土佐街道と呼ぶそうな。

 土佐街道を抜け、山道に入り登りきると西国三十三所第六番札所の南法華寺、通称壺坂寺に出る。ここで30分ほど時間を取り、希望者は壺坂寺を拝観。おいらは昨年お参りしてご朱印もいただいているので今回はパス。拝観者を待っている間、あいかわらず雪が降り続く中、Oさん差し入れのだんご庄のお団子をいただく。ここのお団子はいつ食べても美味しい。Oさんありがとう。

 壺坂寺から五百羅漢を巡って高取山(高取城跡)へ。

 高取城は、国内最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられている名城なのだ。元和の一国一城令が発せられたときも重要な山城として破却を免れ、明治20年ごろまで天守閣も残されていたそうだ。現在も石垣や石塁が残されている。

 天守台で昼食。ラーメンにしようかと思っていたが、コンロと鍋を持ってくるのが面倒だったので普通のお弁当にしたが、雪が降るほどの寒さ、やっぱラーメンにすべきだった。冷え切った手作り弁当(誰の手作りって? もちろん私です)と冷えたビール。身体の芯まで冷えてしまいそうだ。デザートには女性陣差し入れのケーキをいただいた。美味しかったっす、ありがとうございました。

 石垣の前でバンダナショットを撮影して下山。下界へ下ったところにある砂防公園は紅白の桃が満開。ここで最後の休憩。

 砂防公園から駅に向かって歩き始めると前方から骨折でリハビリ休養中のRさんが歩いてくるではないか。ストックをつきながらではあるが元気に歩いておられる姿を見て一安心。早く良くなってはんなりに復帰してくださることを望みます。

 土佐街道にある「夢創館」前で解散。希望者は夢創館に立ち寄り、往時の高取城の様子をCGで再現したビデオを見せていただいてから駅へと戻る。

 電車で阿部野橋まで戻りアワアワに参加してから帰路についた。
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登頂日
2009年1月12日(月)
天 候
晴れ一時吹雪
同行者
囲炉裏村メンバー16名+村民の奥様1名

JR播州赤穂⇒(バス移動)⇒赤穂海浜公園前⇒唐船山⇒史跡赤穂城跡⇒JR播州赤穂⇒(列車移動)⇒JR寒河⇒寒河八幡宮⇒天狗山⇒お好み焼き タマちゃん⇒JR寒河








 2009年2回目の私が参加する囲炉裏村オフ会。今回のオフ会主催者は私なのである。1年程前テレビで見て岡山県日生(ひなせ)のカキオコ(牡蠣のお好み焼き)を知って以来、食べたくて食べたくて仕方がなかったのだ。家族に食べに行こうと行っても、お好み焼きを食べるのに交通費払って岡山までは行きたくないと相手にしてもらえず。友人と車で行くとなるとビールが飲めない。であれば、囲炉裏村のオフ会だってことで、青春18きっぷが使えるこの時期に兵庫県赤穂市の兵庫県一低い山と組み合わせて企画、公開オフとして参加者を募ったところ、岡山在住村民のくろげんさん&うねさんご夫妻から岡山県備前市の天狗山を案内してくれるとの申し出があり、お言葉に甘えることにした。

 題して『【青春18オフ】兵庫最低峰唐船山と天狗山&日生のカキオコ』である。大阪から播州赤穂まで新快速で約1時間40分。大阪までの移動時間を考えればそんなに参加希望者はいないだろう。まして、この日はhidetyan主催の『低山オフ 新春ほろ酔いハイク天王山』も開催される。と思っていたら、なんとなんと総勢18名の大所帯になってしまった。

 大阪駅集合組は中央コンコースに集合である。全員揃い改札に向かおうとしたところ、なんと新春ほろ酔いオフのhidetyanが大阪駅に見送りに来てくれたのである。囲炉裏村の人はほんとにいい人ばかりだ。

 午前8:00発の新快速播州赤穂行きに乗車。同じ列車に、大阪乗換え組みと神戸・姫路方面からの途中乗車組みが乗り込んでくる。全員無事に播州赤穂駅で顔を揃え、バスにて赤穂海浜公園前へ移動。バスに乗らなくても歩ける距離ではあるが、時間の関係上片道のみバスを利用。何と言っても、播州赤穂から天狗山最寄駅方面への列車が1時間1本というのがネックである。

 赤穂海浜公園でトイレ休憩&自己紹介を行い、唐船山へ向かう。海浜公園内を通り公園東側の風の門から園外に出て南下すると唐船山である。昔、日本が唐の国と往来をしてた頃、赤穂の沖で、唐船が嵐にあい沈没した上に千種川の土砂が堆積して島となり、「唐船島」となり、その後も千種川の土砂が堆積して陸続きとなったことから「唐船山」となったそうだ。

 唐船山頂上への険しく長い登山道(笑)を登りきると瀬戸内海を一望できる素晴らしい眺めが待っている。参加者も思っていた以上の眺望に満足げである。みんな山頂から思い思いに眺望をカメラに収めている。一息ついたところでバンダナショットを撮影。下りはピストンではなく縦走路(?)を通り海岸へと下った。

 唐船山下山後は、播州赤穂駅まで歩いて戻る。千種川沿いで強風と雪になり、この後どうなるかと心配したが、赤穂城跡付近まで戻った頃には天気も回復、晴れ間が戻ってきた。せっかくなので赤穂城跡内を通り本丸、大石神社、大石内蔵助邸跡の前を素通りし(時間が無いので見学できませーんっ!)大手門を通り抜け、息継ぎ井戸を横目に見ながら播州赤穂駅へと辿り着いた。

 播州赤穂駅から岡山方面への列車に乗り3つ目の寒河(そうご)で下車。乗車10分程だが降り立った地は岡山県備前市である。ここで、岡山在住のくろげんさん、うねさんと合流、お二方に標高392.3mの天狗山を案内していただくことになっている。数分遅れで岡山方面からお二人を乗せた列車が到着。改めて自己紹介を行い出発である。そうそう書き忘れたが、ゲキさんが残念ながら家庭の事情で天狗山には同行せず帰阪するとのこと。帰阪前に日生でカキオコを食べて帰るとのことだったので、ウェブからダウンロードした「カキオコマップ」を渡し列車内で別れる。

 寒河駅からすぐの寒河八幡宮境内で昼食を取る。この神社の狛犬は石ではなく陶器製である。くろげんさんにお聞きしたところ、地元の備前焼の狛犬とのことである。陶器製の狛犬は初めて見た。また、神社とどの様な関係があるのかわからないが「南極の石」がご立派な台座の上に鎮座している。横にある解説によると、南極観測支援の砕氷艦しらせの通信士森本何某氏が昭和基地の近辺から持って帰り、寒河八幡宮に奉納したそうだ。

 昼食後、天狗山へと尾根道を登って行く、所々で後ろを振り返ると、瀬戸内海に浮かぶ島々が目に飛び込んでくる。高度を増すに従い眺めは良くなってくる。同じ瀬戸内海沿いでも六甲山とは違った景色の素晴らしさ。コースも全体的に歩きやすく、バラエティにとんだ楽しいコースである。登山開始後ゆっくりしたペースで歩き、1時間20分で四等三角点を持つ天狗山山頂に到着。ここからは、瀬戸内側だけではなく360度の大パノラマが広がっている。山頂で恒例のバンダナショットである。

 山頂からはピストンで下山するグループと三ツ池方面に回り下山するグループに分かれて行動。他のグループを待たず、下山した人から順次お好み焼きやに直行することにする。私は三ツ池経由で下山のルートを選択。下りのコースもすべり台や水の綺麗な三ツ池、谷沿いの岩盤など変化にとんだ楽しいコースであった。下りきった後は民家の立ち並ぶ道を今オフのメインイベント(?)であるカキオコを求め、タマちゃんへと急ぐ。寒河八幡宮からの合流点でピストン下山組みとタイミングよく合流。全員揃ってタマちゃんへと向かう。

 さすがに人気のカキオコである。店内外に待っている人が大勢いる。受付を済ませ、寒さの中待つこと1時間弱。やっと念願のカキオコにお目にかかることができた。今回注文したのはカキオコの丞 1,300円(日生にきたらチョット贅沢にカキを増量し極厚の鉄板で焼くとバッチリ満足:タマちゃんのメニューより引用)である。要するに上と丞を掛けてるわけね。焼きあがったカキオコは半分はソース、半分は岩塩がかけてある。ぷりっぷりっの大粒牡蠣がたっぷりのったカキオコ、ソースも岩塩も無茶苦茶美味しかった。みんなもカキオコには満足してくれたようでホッとした。これで今回のオフ会も無事終了。大阪・姫路・神戸方面組はJR寒河駅でお世話にたったくろげんさん・うねさんと別れ、播州赤穂で新快速に乗り継ぎ、山とカキオコの余韻を楽しみながら帰路に付いたのである。

※タマちゃんのカキシーズンメニュー (2008?2009年度)


◆参加メンバー:順不同◆
よしみさん、Leoさん、すみこさん、法香さん、永井潤一郎さんと奥様、空っ風さん、りっこさん、ようこちゃん、たかちゃん、ラスカルさん、寅さん、pikkuさん、SAMさん、大将
唐船山のみ参加:ゲキさん
寒河にて合流:くろげんさん、うねさん

広島行って来ましてん

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行った日
2007年5月29日(火)
天 候
晴れ
同行者
単独行






 家庭事情で岩国に向かう途中広島に立ち寄りましてん。以前4年ほど会社の転勤で住んだことがあるんですわ。せっかく立ち寄ったんで広島城と原爆ドームの写真を撮りに行きましてん。広島在住時によく行ってた釣具屋に行ってみたら撤退してました。しゃーないんで、これまた良く昼飯食ってた『蓬莱』で天津丼食ってから岩国に向かいましたんや。『蓬莱』ちゅうても関西の『551の蓬莱』とは何の関係もおまへん。以前はおっちゃんが一人で調理しとったんやけど、久々に行ったら若い兄ちゃんが作ってて味も落ちてました。昔は美味かったのにな。

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