篠山城(日本百名城 兵庫県丹波篠山市)

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 篠山城は1609(慶長14)年、徳川家康の命令により、大坂城攻略の包囲陣の一画として、「天下普請」により築かれた城だ。天下普請とは、徳川幕府が全国の諸大名を動員して行わせた土木工事のこと。築城だけではなく、街道整備や河川工事なども行われた。姫路城主の池田輝政が普請総奉行として指揮を執り、縄張奉行は築城名人として名高い藤堂高虎が担当。浅野幸長、加藤嘉明、福島正則など丹波以西の15カ国20諸国の外様大名が駆り出され、わずか1年足らずで完成した城です。

 1600(慶長5)年の関ケ原の戦い後の情勢が大きく関係している。天下普請は、築城工事にかかる人件費や滞在費などはすべて大名の負担となります。江戸幕府にとっては豊臣恩顧の西国の大名の財力を削ぐうってつけの制策だったのです。

 関ケ原の戦いに勝利した家康は、豊臣秀頼のいる大坂城を取り囲むように、主要街道沿いの城を新築・改築し、城主を取り込む「大坂包囲網」を構築していたと考えられている。山陰道が通る篠山城も「大坂包囲網」のひとつとされています。

 篠山藩の公式行事に使用された大書院が、明治維新後も取り壊しを免れたが、、1944(昭和19)年に火災により焼失。2000(平成12)年に古絵図や古写真、発掘調査の成果などをもとに復元されました。

私が初めて篠山城を訪れたときは、大書院復元前で埋門側にメインの駐車場があり、埋門か入ったと記憶している。礎石や岩が残る大きな広場っという風な感じであった。行楽時期だったので、多くの家族ずれがお弁当を広げていたことを覚えている。かなり昔の話なので記憶違いがあるかもしれない。

大書院が復元された後は何度も訪れている。自宅がお隣の三田市ということもあり、自転車、バイク、車で訪れている。最初に訪れたのは、小さかった我が子を連れてだったが、今回は最近お城や神社仏閣に興味を持ちだした孫と二人でやってきた。大書院を興味深げに見て回る孫、青山神社の鳥居を抜け参拝、天守が築かれることのなかった天守台から篠山の街を見下ろし満足したようだ。