要害山城|武田信玄を育んだ“甲府の山城”

東京出張の翌日を利用し、甲府に残る三城――要害山城・武田氏館・甲府城を巡る攻城旅へ。
その第一歩となったのが、武田信玄の原点ともいえる 要害山城 でした。
静かな朝の山道を登りながら、戦国の気配を色濃く残すこの名城の魅力を改めて感じることになりました。

■要害山城とは

山梨県甲府市の北側、急峻な山腹に築かれた要害山城。
武田信虎が築城し、のちに甲斐の名将・武田信玄が誕生した地として知られています。
戦国期の“詰めの城”としての役割を担い、その防御構造が山中に今も鮮明に残っています。

■武田家の“守りの要”として

要害山城は、平時の居館である武田氏館の背後に位置し、有事に退避するための堅固な山城として機能しました。
本拠を守る最後の砦であり、尾根を活かした曲輪や竪堀が山全体を取り巻く戦国仕様の城郭です。

主郭周辺は特に堅く、武田家がこの城を戦略上いかに重要視していたのかが伝わります。

■信玄公ゆかりの地として

1521年、武田信玄(当時・太郎)は、この要害山城で誕生したと伝えられています。
今川軍の侵攻により緊迫した情勢の中、武田家の命運を抱えるように生まれた信玄公。
この城は、武田家にとって守り神のような存在であり、信玄の人生の始まりを象徴する場所です。

■山城歩きが楽しい、遺構豊富なフィールド

要害山城は、山城ファンを魅了する要素が詰まっています。
尾根上に連なる曲輪、切岸の鋭さ、竪堀の深さなど、戦国の築城術がそのまま残されています。

主郭跡に立つと甲府盆地が眼下に広がり、当時の武田家が眺めていた景色と重なる瞬間が訪れます。
急登ではあるものの整備されており、登山気分で楽しめる山城です。

■甲斐武田家の歴史を語る“静かな名城”

要害山城には派手な建造物はありませんが、
「信玄公誕生の地」
「武田家の防衛戦略を象徴する山城」
「遺構が良好に残る中世城郭」
という三拍子が揃った、歴史ファンにとっての宝物のような場所です。

東京出張という日常の延長から、突然戦国時代へタイムスリップしたような感覚。
甲府の三城を巡る旅のスタートに、この城を選んで正解だったと強く感じました。

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