大和郡山城と大納言塚を訪ねて
――豊臣秀長という存在を想う――
奈良県大和郡山市にある大和郡山城。
幾度となく訪れている城だが、今回はあらためて城と、近くにある大納言塚をゆっくり巡った。
この城を語るとき、心に浮かぶのはやはり
豊臣秀吉の弟、豊臣秀長である。


大和郡山城の成り立ち
城の原型は筒井順慶の時代に築かれたが、
現在につながる大規模な城郭へと整備したのは、天正13年(1585)に入城した秀長である。
大和・紀伊・和泉を治める大大名として、
秀長は郡山を本拠とし、城を近世城郭へと発展させた。


転用石と「さかさ地蔵」
大和郡山城の石垣には、
石仏や五輪塔などを再利用した転用石が数多く使われている。
その中でも特に知られているのが、
天守台石垣に組み込まれた**「さかさ地蔵」**である。
地蔵尊が逆さに、あるいは横倒しの状態で石垣に取り込まれているその姿は、
初めて目にすると強い印象を残す。


戦国の築城は、時に信仰の対象であった石造物さえも
実用の資材として取り込んでいった。
急速な築城の現実、
そして天下統一へ向けた時代の緊張感が、
この一石に凝縮されているようにも思える。


同時に、後世の人々がそこに何か特別な意味を感じ、
語り継いできたこともまた事実だ。
天守台に立ち、さかさ地蔵の石を見上げると、
城が単なる軍事施設ではなく、
信仰や人々の心とも無縁ではなかったことを実感する。
天守台からの眺め
現在、天守は失われている。
しかし天守台に立てば、城域の広がりがよく分かる。
石垣の一角に埋め込まれたさかさ地蔵。
その足元から広がる景色。
秀長はここに立ち、
何を思ったのだろうか。
政権の安定か、兄を支える覚悟か、
それとも天下の行く末か。


水堀と城下町の風情
大和郡山城は、水堀の美しい城でもある。
穏やかな水面に石垣が映る姿は、
戦国の城であることを忘れさせるほど静かだ。


だが、その石垣の中には、
信仰の象徴であった石が組み込まれている。
静けさと緊張感が同居する、独特の空気がここにはある。
大納言塚 ―― 秀長、眠る
城を後にして訪れたのが、大納言塚。
ここが豊臣秀長の墓所と伝わる場所である。
華やかな兄・秀吉とは対照的に、
この塚は実に静かで控えめだ。


もし秀長が長命であったなら――
豊臣家の運命は変わっていたかもしれない。
そう語られることの多い人物。


城の石垣に刻まれた時代の激しさと、
大納言塚の静寂。
その対比が、秀長という人物像をより鮮明にしてくれる。
城と人物をあわせて歩く
城だけを見るのではなく、
その城に生きた人物の足跡をあわせて辿る。
それだけで、
風景はぐっと立体的になる。
大和郡山城と大納言塚。
そこには、天下取りの華やかさではなく、
政権を支えた者の物語がある。
石垣の隙間に刻まれた時代。
水堀に映る静かな空。
そして、大納言塚の深い静寂。
豊臣秀長という存在を想いながら、
城をあとにした。
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