長崎五社御朱印めぐり

長崎三社は、長崎県長崎県に鎮座する有力な神社三社の総称で、諏訪神社(上西山町)、伊勢宮神社(伊勢町)、松森天満宮(上西山町)のこと。この三社に、中川八幡神社(中川)、水神神社(本河内)の二社を加えたものを長崎五社という。

鎮西大社と称えられ、地元では”おすわさん”と親しまれる総氏神様。
創建は1625年。当時はキリスト教が広まり他教を排斥したため、市内の社寺は破壊されることが多く、肥前唐津の青木賢清が長崎奉行・長谷川権六に願い出て造営したものです。
1632年には、青木が初代宮司になり、1634年から祭礼を行うようになりました。

現在まで続く秋季大祭「長崎くんち」は、毎年10月7~9日に行われる豪華絢爛でエキゾチックなお祭りで、奉納踊りは国の重要無形民俗文化財に指定されています。

菅原道真を祀る天満宮で、江戸時代より学問の神様として長崎の人々に親しまれてきました。
1625年に今博多町に創建し、1656年に諏訪神社の跡地である現在の地へ移されました。
「松森」の社名は、当時ここに3本の松の木が生えていて、3つの木をあわせると森の字になることから命名されたと言われています。

中川八幡神社は、正保3年(1647年)、幕府の命でキリシタンの弾圧のために長崎に滞在していた豊後府内領主・日根野吉明が風頭山の麓の晧台寺敷地に自国の柞原八幡宮を勧請した。
一説には鎮座地は聖福寺の敷地内とも。寛政元年(1789年)に現在地に遷座。歴代の奉行の尊信は厚く、長崎唯一、最古の八幡神社である。境内には、長崎奉行が寄進した石燈篭や当時の寺社奉行が寄進した御手水が現存している。

水神神社は、寛永年間、出来大工町に祠を建立。その後の明暦年間に炉粕町に移転、元禄7年、社殿を建立。元文4年、水源の涵養と河海の災害とを祓う趣旨で社地を八幡町に社殿を移転。大正9年11月、社地周辺に人家が密集し神域として不適当となり水道の水源である現在地に移転しました。御祭神は彌都波能賣大神。女性の神様です。

伊勢宮神社単に伊勢宮(伊勢の宮)とも。御祭神は天照皇大神、豊受姫大神、素戔男大神。諏訪神社、松森天満宮とともに、長崎三社の一社である。寛永6年天台宗修験の南岳存祐が長崎の繁栄、天下泰平、諸人安全の祈願のために、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)長官である檜垣常晨の許状を得て、現在地に皇大神宮(内宮)の御分霊を勧請、奉斎したのが創祀。寛永16年(1639年)には幕府と伊勢神宮に再度請いて、外宮の御分霊を併せて奉斎し、この年に長崎奉行をはじめ、市民からの寄付により、社殿を造営し、現社号を定めた。

今回の『長崎五社御朱印めぐり』の動画です。拡大表示でのご視聴は映像が粗くなりますので、Youtubeからのご視聴をお勧めします。https://youtu.be/jle7Ps_lbz0