【神社参拝】えびす宮総本社 西宮神社(兵庫県西宮市)

西宮神社は兵庫県西宮市に鎮座する全国に約三千ある蛭子(えびす)神を祀る神社の総本社です。阪神電車西宮駅から徒歩で参拝できます。

創建の年代は定かではありませんが、その昔、鳴尾の漁師が網にかかった御神像をお告げに従いこの地に祀ったのが起源と言われており、平安時代の文献にすでに「えびす」の名が記されています。

蛭子神は海から現れたとの伝承から当初は航海や漁業の神とされており、商売繁盛にご利益のある神様となったのは七福神信仰が広まった室町時代以降のようです。江戸時代には庶民にも広く信仰されるようになり、今なお商売繁盛の神様「えべっさん」として親しまれています。

正面の通称赤門(あかもん)と呼ばれる重要文化財の表大門(おもてだいもん)は、毎年1月10日に行われる「福男選び」のスタート地点です。午前6時に表大門が開かれると同時に230m離れた本殿を目指して疾走。本殿へ早く到着した順に1番から3番までがその年の「福男」に認定されます。「福男」ですが女性でも参加できるようです。

天文三年(一五三四)の兵火により尽く焼失した境内建物も一部修復されていたようですが、慶長九年(一六〇四) から同十四年にかけて豊臣秀頼公の奉献によりこの表大門始め本殿拝殿等全て元に復したと言われています。

大練塀が最初に建てられた年代についての文献は残っていませんが、昭和二十五年の大修理の際、築土の中から宗銭三枚、元銭一枚が発見され、これによって室町時代に建造されたものと推定されます。全長二四七メートルの土塀で、その堅牢な構造から国の重要文化財に指定され、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀と称されています。

表大門の外、東南の角には寛政十一年(一七九九)の年号の入った常夜燈型の珍しい道標があります。西国街道・山陽道の要衝であった証として「西宮大神宮 左 京都大坂 道」「右 兵庫はり満 道」とあります(西宮市文化財)。

赤門を入ると眼前に松林が広がります。現在の境内が中世は浜辺近く、廣田神社の浜南宮であった事を偲ばせる姿です。正月十日えびすの開門神事に一番福を目指し男たちが走る参道、ここを少し奥に進むと、左手に南門が見え、その先に国道四十三号線が高架橋と共に見えます。南門の手前は境内末社・沖恵美酒(おきえびす)神社です。参道は右に折れるが、左には今でも廣田(ひろた)神社の管轄の南宮(なんぐう)神社が、廣田さんを向いて鎮座しています。

〆柱をくぐり進むと鳥居の向うに新しい祈祷殿、そして社務所も見えてきますが、その左手前植え込みの中には銅版屋根のこじんまりした「六英堂(ろくえいどう)」が見えている。これは、東京丸の内にあった明治の元勲・岩倉具視公の私邸の離れと言われており、昭和五十一年から縁あってこちらに移築されたものであります。明治十六年、岩倉公が病臥中、明治天皇の行幸のあった部屋と伝えられています。

手水舎(てみずや)で口を漱ぎ振り向くと、三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿の屋根が望まれます。江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、えびすの杜を背景に佇んでいます。

平成二十三年は、昭和三十六年の戦災復興から五十年の年にあたりますので、五十年毎の式年造替という嘉例に従いこれを記念し祈祷殿の新築、神池の改修を行い、本殿、拝殿の改修を行いました。。

本殿、拝殿の手前、社務所、授与所は阪神大震災後再建された建物ですが、中には「えびす信仰資料展示室」があり、全国から集まったえびす様の像や御神影、土鈴などがどなたでもご覧いただけるようになっています。授与所では御札・御神影・御守り・福銭・絵馬・御神像や、おみくじなどが授与されています。

社務所の向え側、池の端に「御戎之鐘」が保存されています。豊臣秀頼公の発願による御社殿再興の翌年、即ち慶長十五年三月付の銘が有る事から、秀頼公の奉納になるものと思われます。天和四年(一六八四)の「西宮社旧記」には「志ゆろうたう(鐘楼堂)」の記載があり、実際に使われていた事を窺わせます。

参照・抜粋:西宮神社公式サイト