新選組のふるさと日野へ

新選組副長・土方歳三が生まれた地は武蔵多摩郡日野郷石田村。六番隊隊長・井上源三郎は日野宿北原、近藤勇、沖田総司らが剣術の腕を磨き、新選組に大きく関係することとなった天然理心流佐藤道場は日野宿問屋(日野本郷名主)・佐藤彦五郎が自宅に開いた道場でした。

ということで、東京都日野市は、まさに新選組のふるさと。新選組に魅せられて40年以上、京都の新選組関連史跡は何度も訪れており、新選組にかかわりが深い会津若松にも足を運んだことはあるのですが、日野だけは行ったことがなかったのです。

東京出張に絡め、やっと行くことができました。

土方歳三の菩提寺である、関東三大不動尊の一つ高幡不動尊へ。
殉節両雄之碑(故幕府新選隊士 近藤昌宜・土方義豊碑)や土方歳三銅像がある。

■殉節両雄之碑

明治政府は戊辰戦争に関係した東軍の戦死者の墓碑の建立や供養を禁止しました。この禁が解けた明治九年に元隊士・永倉新八が中心になって板橋刑場の側に近藤・土方ら新選組隊士の供養墓が建立されました。

同じ年に日野でも高幡山前住賢雅和上や日野宿の佐藤彦五郎を中心に「近藤・土方の忠節を顕彰する碑」を高幡山境内に建てることが計画されました。

しかしその内容が当時賊軍扱いされていた両士の顕彰碑だったために碑が完成しても建立の許可が得られず、実際に建てられたのは明治21年です。

最後の将軍徳川慶喜は、歳三の「唯死あるのみ。即ち寛典に処すとも吾何の面目あって、また昌宜と地下にまみえんや!」との文言のある碑文を読み、無言のまま落涙したと言われています。

高幡不動尊から歩いて40分くらいだったかな。土方歳三墓所のある石田寺へ。土方家のお墓がたくさんありました。この地域は土方姓が多いのでしょう。そんなに広いお寺でじゃないのですが、私が境内を散策している間にも数組の方が、土方歳三のお墓にお参りされておりました。

石田寺から多摩モノレール万願寺駅を目指します。駅に向かう前にモノレールが通っている道路を渡り少し進むと歳三の生家 土方歳三資料館があります。残念ながら休館。

多摩モノレールとJRを乗り継いで日野へ。

日曜ということもあり多くの新選組ファンが訪れてました。アニメや漫画の関係でしょうか、最近は若い女性の姿を多く見かけます。昔は歴史好きな人が多かったですね。これも時代の流れでしょうか。

日野では、まず、天然理心流の奉納額がある日野八坂神社へ。奉納額には近藤勇、沖田総司、井上源三郎、佐藤彦五郎の名が記されています。(土方歳三は正式入門が翌年のため、奉納額には名前はありません)その後、井上源三郎資料館、佐藤彦五郎資料館、日野宿本陣と巡り帰阪。今回は時間の都合上ゆっくり回れなかったので、次回はゆっくりと日野を楽しめるようにしたいと思います。