大原城跡(兵庫県三田市)
兵庫県三田市の大原城跡へ行ってきた。以前から気になり行きたいと思ってたのですが、地元ということもあり、いつでも行けると先延ばしになっていました。(何度もすぐ横の道を通っていたにも関わらず・・・です。)
アクセスは国道176号線の大原交差点を東へ入る。200mほど道なりに進むと左手に「←姫宮神社(姫山神社)」の案内板があるので、そこを左折してすぐ左手の林道突き当りが姫宮神社(大原城本丸跡)です。
大原城は、大原上野守宗隆の居城で、天正年間に荒木村重に滅ぼされたと伝わっています。
武庫川東岸の小丘陵上(標高165m・比高10m)に築かれ、主郭に鎮座する姫山神社の参拝道を登ります。大原城の縄張りは主郭と堀切を隔てて築かれる二の丸。主郭の東側に二段の腰曲輪を形成する縄張りです。本丸と二の丸間の堀切は姫山神社参道の鳥居の手前左側にその遺構があります。現在は本丸・二の丸両側が竹藪で覆われ風情が感じられます。
現在、大原城が位置する丘陵の周囲は畑地や住宅になっていますが、周囲は水堀によって囲まれていたと伝えられます。
■姫宮神社(姫山神社)
姫宮神社創建の由来については、次のような民話が伝えられています。
鎌倉時代に大原城を築城、大原大歳神社を創建したと伝えられる大原上野守宗隆には美しい姫がいました。
姫は、三田川(現武庫川)の対岸の貴志の豪族、貴志五郎四郎の息子にたくさんの嫁入り道具と田地一町五反歩を持参して嫁ぎました。
若夫婦は仲睦まじく、両家の付き合いも円満でしたが、訳あって姫は大原に帰ることになりました。
父も戦で亡くし、悲しみに沈む姫は、青原寺の住職に勧められ、大般若経六百巻を書写しました。それが青原寺に残る市指定文化財の大般若経と伝えられています。
姫がなくなられた後、大原城にお社を建て姫の霊をなぐさめました。そこが「姫山神社」として、悲哀の姫を偲ぶ村人により守られています。お正月の参拝や夏秋の祭事の神楽等は、氏神である大歳神社よりも先に行います。(現地説明板転記)
-
前の記事
篠山城(日本百名城 兵庫県丹波篠山市) 2024.10.06
-
次の記事
記事がありません
コメントを書く