【鬼ノ城】古代山城を歩く!空と山と伝説に包まれた絶景ハイキング

岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)に行ってきました!
「城」といっても戦国時代の天守や石垣のあるお城ではなく、ここはなんと7世紀頃に築かれた古代山城
。全国でも数少ない“古代の防衛拠点”が、今もその姿を残しています。山の上に広がる城跡と、そこから望む大パノラマは、まさに天空の異世界!

◆ まずはビジターセンターで予習!

山のふもとにある「鬼城山ビジターセンター」で、まずは鬼ノ城の歴史や構造をお勉強。ここはもともと、白村江の戦い(663年)で唐・新羅に敗れた後、大和朝廷が築いた防衛ラインのひとつとされています。

発掘調査によって、土塁や石垣、城門、排水施設などが明らかになってきており、一部は忠実に復元されています。古代山城って実在するんだ…という驚きとロマンが止まりません。

◆ 西門から城跡ハイクへ!古代ロマンと絶景を同時に楽しむ

今回は、一番フォトスポットとして人気の西門ルートを選択。整備された山道を登っていくと、**復元された巨大な西門と土塁、城壁がどーん!と現れます。まるでドラマやアニメの世界に入り込んだような光景に、テンション急上昇。

さらに歩を進めると、360度のパノラマ風景が目の前に広がります。眼下に広がる吉備平野、遠くには瀬戸内海。標高は400mほどとそれほど高くないのに、この開放感は格別!

◆ 鬼ノ城の名前の由来は“温羅伝説”

この地には、「温羅(うら)という鬼が住みつき、吉備津彦命(きびつひこのみこと)に退治された」という古代の伝説が残っています。つまり、ここ鬼ノ城こそが、桃太郎の原型になった物語の舞台とも言われているのです。

伝説と史実が交錯するこの不思議な空間には、時代の境界がふっと溶けるような感覚があります。

◆ 古代山城・鬼ノ城は、歴史×自然×冒険が融合する特別な場所

ふだん見るお城とはまったく違うタイプの「城跡」ですが、歴史の原点にふれるような不思議な魅力が鬼ノ城にはありました。山歩きが好きな人にも、歴史にちょっと興味がある人にも、自信を持っておすすめできるスポットです。

次は季節を変えて、紅葉の時期や春の山桜も楽しんでみたい!

■ 鬼ノ城(きのじょう)――古代日本の防衛最前線に築かれた幻の山城

岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)は、標高約400メートルの鬼城山(きのじょうざん)山頂付近に築かれた、7世紀後半ごろの古代山城です。文献にその名が一切登場しないため、かつては伝説の城とも言われていましたが、1970年代以降の発掘調査によって実在が明らかになり、現在では国の史跡に指定されています。

築かれた背景には、663年の白村江の戦いで日本が唐・新羅連合軍に敗れたことがあります。この敗戦を受け、日本は外敵の侵入を想定し、防衛体制の強化を図りました。鬼ノ城はその一環として築かれたと考えられており、大和朝廷が国家的事業として建設した山城の一つと見なされています。朝鮮半島の築城技術を取り入れた「朝鮮式山城」の様式が用いられていることも大きな特徴です。

城は尾根に沿って全長約2.8kmの城壁がめぐらされており、石垣や土塁、四つの門(東・西・南・北門)、角楼、排水施設などの遺構が確認されています。なかでも復元された西門は見ごたえがあり、吉備平野を背景に堂々と構える姿は圧巻です。現在は西門から周囲をぐるりと回るハイキングコースが整備されており、歴史と自然を同時に楽しめる場所として親しまれています。

鬼ノ城という名称は、古代吉備地方に伝わる温羅(うら)伝説に由来しています。温羅は異国から来た鬼のような存在で、この地に城を築いて住みつき、吉備津彦命に討たれたとされます。この伝承は、後に桃太郎の物語の原型になったとも言われており、鬼ノ城は歴史と神話が交差する舞台でもあります。

現地には鬼城山ビジターセンターがあり、復元模型や解説映像などで城の構造や歴史を学ぶことができます。登山口から西門までは徒歩で約15〜20分、全体をゆっくり巡っても1.5〜2時間ほど。晴れた日には瀬戸内海や遠く中国山地まで一望でき、自然の美しさと古代のロマンを肌で感じることができます。

派手な天守や石垣はありませんが、鬼ノ城は歩いてこそその魅力が伝わる場所です。山の空気と静けさに包まれながら、1400年前の日本の防衛意識と建築技術に思いを馳せる、そんな特別な時間を過ごせる貴重な史跡です。