【篠山城跡 春の探訪】藤堂高虎が築いた城に桜舞う
◆桜が満開!春爛漫の篠山城へ
ぽかぽか陽気の春の日、満開の桜に誘われて、兵庫県丹波篠山市の篠山城を訪れました。ちょうど桜が見頃との情報を得て、これは行かねばとバイクを走らせて到着。青空に映えるピンクの花々、そして歴史ある石垣や建物とのコントラストに心を奪われる、まさに絶景の一日でした。


◆城跡を彩る桜と石垣の美しさ
篠山城の見どころの一つは、なんといってもその美しい石垣と広い内堀。城跡一帯には約1,000本の桜が植えられており、春になるとそれが一斉に咲き誇ります。とくに大書院跡から二の丸跡にかけての広場は圧巻で、石垣越しに見る桜の風景は、まるで時代を超えた絵巻のようでした。
お堀に映る逆さ桜、石段を登る途中に振り返る桜並木など、どこを切り取ってもフォトジェニック。平日にもかかわらず、多くの観光客やカメラ愛好家が訪れていて、それぞれの春を楽しんでいる様子でした。


◆徳川家康の命で築かれた篠山城
篠山城は、1609年に徳川家康が豊臣氏の抑えとして築かせたお城で、築城を担当したのは名将・藤堂高虎。大坂と山陰・山陽を結ぶ要衝に位置しており、軍事的にも重要な場所でした。天守は元々造られておらず、大書院を中心とした政治・行政の拠点として機能していたそうです。
現在は、大書院が木造で復元されており、立派な門構えと内部の見事な造作が当時の風格を伝えています。畳の香りと木のぬくもりに包まれながら、しばしの静けさを楽しみました。


◆珍しい防御施設「馬出(うまだし)」を歩く
篠山城のもうひとつの特徴が、「馬出」と呼ばれる防御施設の存在です。馬出とは、城の出入り口前に設けられた独立した区画のことで、敵の侵入を防ぐためのクッションのような構造。篠山城では東馬出と西馬出が整備されており、城郭ファンにも人気のスポットです。
特に東馬出は石垣がよく残っており、その複雑な造りからは、築城の技術と戦略的な意図がひしひしと伝わってきます。桜に包まれながら、こうした構造をじっくり歩いて観察できるのも、この季節ならではの楽しみでした。


■徳川天下普請の篠山城とは?
篠山城(ささやまじょう)は、徳川家康の命により1609年(慶長14年)、天下普請によって築かれた近世城郭です。場所は丹波国(現在の兵庫県丹波篠山市)。大坂の豊臣氏を包囲・牽制する目的のもと、家康が大坂包囲網の要として選んだのがこの篠山の地でした。
この築城には、西国大名12家が動員される大規模な「天下普請」が行われました。築城総奉行には、築城の名手として知られる藤堂高虎が任命され、工事はわずか半年という驚異的なスピードで完成します。なお、普請には加藤嘉明、黒田長政、蜂須賀家政など、実力ある外様大名が参加しており、徳川政権の威信と統制力を見せつける意味も含まれていました。
構造は、周囲を堀と高石垣に囲まれた平山城で、天守こそ築かれませんでしたが、政治・軍事の中核となる大書院が設けられました。現在の大書院は2000年に木造で復元され、格式ある書院造の内部は往時の武家文化を今に伝えています。
また、篠山城には「馬出(うまだし)」と呼ばれる防御施設が東西に配置されているのも特徴です。これは本丸の出入口前に小さな曲輪(くるわ)を配置し、敵の侵入経路を制限・複雑化させる高度な防御機構で、藤堂高虎らしい築城技術がうかがえる部分でもあります。
篠山城の築城は、単なる一城の建設ではなく、大坂の豊臣勢力を牽制するための戦略的・政治的プロジェクトであり、徳川幕府が全国支配体制を確立していく過程で重要な一歩となりました。今も城跡や大書院、城下町の町割りが残り、近世城郭の歴史的価値を現代に伝えています。
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