はじめて行ったのが昭和57年の春、それから何度も訪れている長崎の街。学生時代に長崎市内の某ユースホステルでヘルパーをしていたこともあり、長崎市内であれば、大概のところは知っているつもりである。
そんな中一度も行ったことがなかったのが軍艦島(端島)である。昭和49年に閉山となり無人島と化し、上陸が禁止されていたのだ。平成21年に一部のエリアに限り上陸が許可されたのだが、上陸する機会がなかなかなく今まで行けずにいたのだが、今回軍艦島上陸クルーズを利用し上陸してきた。
■軍艦島(端島)
小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に達し、島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。 端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山、島は無人となりました。
平成21(2009)年4月には一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が軍艦島上陸ツアーに参加して、軍艦島を訪れています。 上陸ツアーでは、主力坑だった第2竪坑跡や、端島炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、大正5(1916)年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを見学通路からご覧いただけます。
平成27(2015)年7月5日世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ?製鉄・製鋼、造船、石炭産業?」として正式登録されました。(長崎旅ネットより引用)