フェリーで行く下関・門司港の旅(2日目)

2日目は下関駅周辺観光だ。まずは「大歳神社」。正面の鳥居から続く長い石段には圧倒されます。1085(寿永4)年、平家との最終決戦に臨む源義経が、平知盛が布陣する彦島の対岸有明山(現在の下関駅あたり)から平家軍に開戦の矢文を放ちました。驚いた平知盛は急遽壇ノ浦に軍船を集結させ激しい合戦となりましたが、平家は敗れこの地で滅びました。翌年1186(文治2)年、4軒の漁民が義経を畏敬して神祠を有明山に建てたのが大歳神社の始まりとのこと。

尊王攘夷の志士で、奇兵隊を創設するなど維新に貢献し、27歳で亡くなった「高杉晋作の終焉の地」に立ち寄り厳島神社に向かう。

高杉晋作の終焉の地から厳島神社へ。平家一門は安芸国厳島神社の御分霊を守護神として安徳天皇の御座船に祀っていましたが、壇ノ浦の戦いで敗れた後、神霊は磯辺に打ち上げられて放置されていました。里人に厳島の神より「早くしかるべく祀るように」との御神託があり、不思議に思った里人たちが告げられた場所に行ってみると、打ち上げられたままの神霊を発見したのです。

厳島神社から少し北へ行くと「高杉晋作療養の地」の地。住宅の間に石碑が立っている。説明板を読むと実際に療養した場所は、この地よりやや上にあったようだ。

「高杉晋作療養の地」から「桜山神社」へ。地図で見ると北北西にすぐのところだが、JRの線路があるため国道191号線まで戻ってから北上する。

櫻山神社は、高杉晋作の発議により創建された殉国の志士の神霊を祀る招魂場です。吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞などの高名な志士から名前のない者まで、身分に関係なく等しく、祀られています。この地は奇兵隊の調練場跡でもあった。

櫻山神社から下関駅へ。途中にある中国電力下関営業所敷地内(道路沿い)に白石正一郎邸跡と高杉晋作奇兵隊結成の地の二つの碑が建てられている。白石正一郎は赤間関(現在の下関)竹崎の荷受問屋小倉屋の八代目当主。国学を学び、各地の志士たちとも交流があったため尊皇攘夷の思想に傾倒し、西郷隆盛に接したことをきっかけに、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬など、400人にも及ぶ藩内外の多数の志士たちを資金面で援助していた。1863(文久3)年の白石邸における高杉晋作の奇兵隊結成にも援助し、自らも奇兵隊士となる。結成当時の奇兵隊本陣もここに置かれていたそうだ。

下関駅まで戻り今回の旅は終了。小倉までJRで出て新幹線で帰阪しました。

2日目にいただいた御朱印。