塩田八幡宮(兵庫県神戸市北区)

 息子のお宮参り、娘の七五三、孫の七五三、新車購入時の祈祷と何度もお世話になっている、兵庫県神戸市北区道場街に鎮座する塩田八幡宮。上記で訪れてはいるものの、ゆっくりと参拝したことが一度もなかったので、今回お参りに行ってきました。

 山裾の駐車場にバイクをとめ、約150段の石段を登ると本殿だ。境内には九つの摂社が祀られている。山の中腹の本殿前で後ろを振り返ると素晴らしい眺望が広がる。

 青空のもとの御所棟三間社流造の朱色御本殿は非常の美しく立派な建物です。

塩田八幡宮のご由緒

 当宮 創始不詳ではあるが 大同年間(810頃)には「大歳神社」と称し  御歳神を奉祀すると古記録に見える。


 その後 山城国(京都府八幡市)石清水八幡宮より 応神天皇・神功皇后・玉依姫命(比咩大神)の御神霊を勧請合祀され 石清水八幡宮別宮「塩田八幡神社」と称せられた。
摂津国塩田庄なるこの地は 鳥羽天皇(1103~56)のころ 后妃女房 美濃局の荘園ともなったが 保元元年(1156)以前には 石清水八幡宮への寄進により 同宮並に宿院極楽寺領荘園となり 神宮寺としての体裁を成した。


 延元元年(1336)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが 応仁の乱(1467~77)により社殿その他の建造物を焼失。


 明応8年(1499)に社殿を再興し 享禄元年(1528)には再度石清水八幡宮より御宝体を拝受 奉斎し得た。


 守護職赤松氏の尊崇は歴代篤く 戦陣に於いては常に当宮を祈願所とし 寺社領のみに留まらず 梵鐘等の寄進も得 更には徳川幕府下 明暦3年(1657)社殿再建時には三田藩主 九鬼隆昌より浄財寄進があり 九鬼家当主代々よりの奉納 寄進が続いたものである。


維新回天の業は当宮にも変革をもたらし 従前の神仏習合を改める目的の神仏分離令(1868)により神宮寺が廃される 明治5年(1872)には村社に列し 大正11年(1922)11月郷社に昇格 昭和38年(1963)社名を「塩田八幡宮」と改称して現在に至る。(塩田八幡宮ホームページより)

 御朱印をいただき帰路につきました。