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参拝日:2010年5月4日(火)
第七番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺)
御 詠 歌
けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
御本尊
如意輪観世音菩薩
宗 派
真言宗豊山派
開 基
義淵僧正
開創年
天智天皇2年(663年)
所在地
奈良県高市郡明日香村岡806   TEL:0744-54-2007
拝観料
300円
 URL






西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 壷阪寺のお参りを済ませ、飛鳥の岡寺に参拝。坂乃茶屋で昼食(坂乃茶屋定食 山菜にゅーめん・ぜんまいご飯・山ふき煮付け)をいただいた。この後、長谷寺へ行く予定であったが、時間の関係で断念。飛鳥の石舞台古墳と橿原神宮に寄って帰路についた。

◆東光山 岡寺(龍蓋寺) 
岡寺は奈良県明日香村の東、岡山の中腹に位置しています。真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。また日本最初やくよけ霊場としても知られています。

『岡寺』という名は地名に因る名で正式には、

山号は東光山(とうこうさん)
院号は真珠院(しんじゅいん)
法名は龍蓋寺(りゅうがいじ)

となり『東光山 真珠院 龍蓋寺』となります。しかし古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめて呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれております。

この『龍蓋寺』という名は、この地を荒らし農民を苦しめていた龍を義淵僧正がその法力をもって封じ込めたことからその名が付いたといわれております。まさに''龍''に''蓋''をする。というわけです。岡寺に現在まで続く「やくよけ」信仰の所以のひとつとも言われております。

その龍を封じ込めたとされる池、「龍蓋池」が本堂の前にあります。昔から池の中にある「蓋」である石を揺らすと雨が降るという言い伝えが残っております。

寺伝によるとおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されたとなっています。義淵僧正とは伝説にみちた人で、生年不詳(??728)。
大和国高市郡に子供に恵まれない夫婦がおり、彼等は日々観音様に子が授かるよう祈りを捧げていました。そんなある日の夜突然子供の泣き声がして、夫婦が表に出てみると柴垣の上に白い布に包まれた赤子がおり、中に連れて入ると馥郁たる香りが家の中にみちた。というのが義淵僧正の出生伝説。その後この夫婦に養育され、ついで観音様の申し子として天智天皇に引き取られ、岡宮で草壁皇子とともに育てられました。後に義淵僧正はこの地を与えられ、龍蓋寺を建立されました。現在岡寺は真言宗豊山派に属しておりますが、開祖義淵僧正はわが国法相宗の祖であり、その門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基、その他にもおよそ奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けたといわれています。

岡寺が義淵僧正によって創建せられたという最も古い文献は、醍醐寺本『諸寺縁起集』に収める「龍門寺縁起」(*龍門寺・・吉野郡にあったお寺)に、龍蓋・龍門 両寺は義淵僧正が国家隆泰、藤氏栄昌のために建立するところであると記されています。また「龍蓋寺」という寺名は天平勝宝三年(751)の正倉院文書で初めて出てきますが、これ以前の天平十二年(740)七月八日付けの正倉院文書の中でも龍蓋寺所蔵と書かれた仏典があると記されています。

義淵僧正は法相宗の祖でありましたから岡寺もその系統のお寺で江戸時代までは興福寺の末寺であり、興福寺から別当(住職)を選出しており、室町時代には興福寺別当が岡寺別当を兼務しておりました。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり今日に至っています。同じ西国札所の興福寺・長谷寺とは昔から深いかかわり合いがあるお寺です。
岡寺公式ホームページより抜粋

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参拝日:2010年5月4日(火)
第六番札所 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)
御 詠 歌
岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん
御本尊
十一面千手千眼観世音菩薩
宗 派
真言宗
開 基
弁基上人
開創年
大宝3年 (703年)
所在地
奈良県高市郡高取町壷阪3番地   TEL:0744-52-2016
拝観料
600円
 URL






西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 久々に西国三十三所に巡拝である。山仲間で小生と同じく西国三十三所を巡拝している仲間に誘われて、奈良の観音霊場壷阪寺と岡寺の二寺院を近鉄の「飛鳥めぐりフリーきっぷ バスセットコース」を使ってお参りしてきた。

◆壷阪山 南法華寺(壷阪寺) 
南に桜の名所吉野山を控え北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ。
真言宗の寺。西国三十三所観音霊場の第六番札所。 本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として全国各地から毎日多くの参拝者が訪れる。

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。

平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。

近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。

明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)
壷阪寺公式ホームページより抜粋

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登頂日
2010年5月2日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー5名

グリーンエコー笠形駐車場⇒登山口⇒笠形山山頂⇒笠の丸展望台⇒滝見台⇒扁妙の滝⇒オウネンの滝⇒子育て地蔵⇒グリーンエコー笠形駐車場









 「播磨富士」と呼ばれる山は三山ある。高御位山(たかみくらやま)、明神山、そして今回登ってきた笠形山である。三山とも「ふるさと兵庫50山(100山)」に選定されている山である。高御位山と明神山は、既に登っているので、今回の笠形山で「播磨富士」完全制覇である。(そんな大袈裟なものではないが・・・)

 グリーンエコー笠形山の駐車場に集合し、グリーンエコー笠形山コースを登る。施設内のホワイトコテージは、ゴールデンウィークということもあり賑わっている。ホワイトコテージにはそれぞれ花の名前が付けられており、マーガレットの横から登山道に入る。

 登山道は急登あり、山肌をトレースしていく道あり。階段あり、沢沿いの道ありと変化に富んでいる。五合目を過ぎてから襲い掛かってくる丸太階段はちょっとばかり疲れる。この階段を登りきると、どこが道やらわからないような植林帯の登りである。上を見上げると標識(六合目)が目に入ったので、標識に向かって直登する。

 登りきると八合目を過ぎるまで緩やかな道が続く。八合目を過ぎて少し登ると稜線に出る。左が山頂で右に行くと笠の丸展望台を経て市川町方面に下るようだ。

 山頂方面に進むとすぐに九合目の標識が現れる。この稜線は、人工的に入れられたであろう石が歩きにくくしている。地面の質から雨天時の泥濘を考慮して石が入れられたのかもしれない。最後の急登を登りきると360度の大パノラマが広がる笠形山山頂に到着。

 山頂にテーブルと椅子が設置された東屋がある。そこで休憩されていた方々が出発されたので、そこを昼食場所とする。荷物を置いて場所をキープ。まずは恒例のバンダナショットを撮影。

 さて、いよいよ昼食タイムである。本日の昼食のメインはバーべキュー。その他にも餃子、サラダ、山菜、たまご豆腐と盛りだくさん。ワイワイと美味しく楽しくいただかせてもらった。腹いっぱい!満腹状態である。

 昼食後、曙躑躅(あけぼのつつじ)の写真を撮ってから下山。稜線の分岐を直進し笠の丸展望台に寄ってみた。展望台と名が付いているが樹木が邪魔をしていて、お世辞にも見事な展望とはいえない。

 分岐まで戻り、往路をピストンで下る。二合目あたりの分岐を滝見台方向へ進む。100m程で滝見台に到着。ここから、落差65mの扁妙(へんみょう)の滝が一望できる。江戸時代に扁妙という僧侶がこの滝で修行をされ、死後村の人々が僧侶をしのび「扁妙の滝」と呼ぶようになったそうだ。冬の厳寒期の氷爆が有名である。

 しばらく上から扁妙の滝を眺めた後、扁妙の滝へと下り、オウネンの滝、子育て地蔵と経由してグリーンエコー笠形の駐車場へ戻った。

 好天にも恵まれ有意義な一日を過ごすことができた。今回も素晴らしい仲間に感謝である。ご同行いただいた皆さんありがとうございました。
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撮影日
2010年5月1日(土)
天 候
晴れ










 今日も先週の続きで歯医者に行ってきた。 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)mixiのマイミクのWさんが、近所を散策されの写真を撮られた日記を見て、真似っこおじさんに変身。歯医者の帰りに兵庫県立有馬富士公園での写真を撮ってきた。
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登頂日
2010年4月29日(木)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー6名

毛無山登山口(新庄町)⇒毛無山⇒白馬山⇒毛無山登山口(新庄町)






撮影:SoftBank MOBILE 934SH
※デジカメ不具合のため携帯電話で撮影


 ネットの山仲間にお誘いいただき、カタクリの花を求めて岡山県と鳥取県の県境に位置する毛無山(ケナシガセン)に行ってきた。

 自宅近くで同じ三田住民のHさんの車にピックアップしてもらう。中国自動車道安富PAで別組と合流し現地へ。到着時には、既に多くので駐車場は埋まっており、バスをチャーターしてきている団体もいる。

 整備された登山道を登っていく。Kさんと二人で先行。他のメンバーは後ろからゆっくり登ってきているようだ。途中いくつものグループを追い抜き進む。なんせ人が多い。一組のパーティーを追い抜いても、すぐ前のグループに追いついてしまう。

 休憩時間も含め約1時間半で毛無山山頂に到着。頂上に立つと前方に伯耆大山の雄大な山容が目に飛び込んでくる。感動の眺めである。

 さほど広くない山頂は多くの人で賑わっていて、山名表示のところで写真を撮るのも順番待ち状態。やっとのことでバンダナショットを撮影。

 毛無山から白馬山まで稜線を縦走。この稜線上の登山道のすぐ脇に沢山のカタクリが花を咲かせている。白いカタクリにも会えた・・・って会いに戻ったのだが。毛無山山頂からもKさんと二人先行。写真を撮りながら、白いカタクリを見逃さないように気を付けていたのだが見逃したようだ。昼食を食べた後、Kさんと二人で逆走して白カタクリを観に戻ったのだ。

 この山のカタクリは、登山道のすぐ脇に生えている。心無いハイカーに踏みつけられた花もチラホラ。また、さほど広い場所が途中に無いので、登山道脇にシートを出し食事をしているハイカーも多い。ここは花が咲いてないから大丈夫という気持ちでシートを敷いているのだろう。しかしカタクリは花を付けるまで7?8年かかる植物である。多くのカタクリが踏みつけられていると思うと悲しくなる。

 白馬山で本日2枚目のバンダナショットの撮影とコーヒータイムをとってから下山。下山もKさんと先行。休憩や昼食時の他は、Kさんと二人でずっと先行して歩いてた。たまにはこんな山行もいいかなと思っている今日この頃である。

 ただでさえ人が多い中、マナーの悪い団体がいてウンザリしたとこもあったが、天気もよく(風はきつかったが)、可憐な花達を観る事ができた有意義な一日だった。ご同行いただいた皆さんありがとうございました。
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