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三田歴史ウォーク

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歩行日
2010年12月23日(木)
天 候
曇り
同行者
単独行

三田市役所⇒小寺泰次郎生誕地⇒川本幸民生誕地⇒九鬼隆一生誕地⇒三田カトリック教会⇒鈴木清生誕地⇒元良裕次郎生誕地⇒三田英蘭塾跡⇒さんだ歴史資料収蔵センター(金心寺跡)⇒白洲退蔵生誕地⇒心月院(九鬼家菩提寺・白洲次郎墓所)⇒三田天満神社(天神公園)⇒三田城跡(川本幸民顕彰碑・藩校造士館跡)⇒旧九鬼家住宅⇒三田市役所






撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 12月4日に書寫山に登って以来、山に登ってない。こんなことではダメだってことで、山ではないが、地元三田の街の史跡と歴史人物を訪ねてぶらぶらと歩いてきた。

 室町時代に播磨国守護だった赤松則村の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城。その後、赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると、信長の家臣の山崎堅家が近江国から入封し三田藩が成立。

   江戸時代には、志摩国鳥羽藩(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し秀吉の九州攻めや朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名九鬼氏が移封されて三田藩主となる。その後、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。

 文部官僚の九鬼隆一、蘭学者で日本の科学の祖と呼ばれる川本公民、白州退蔵など、多くの偉大な人物を世に送り出している。興味がある方は『歩行詳細データ(ルートMAP・断面図 他)』を見ていただきたい。

 約5.5kmと短い距離ではあるが、のんびりと歴史を感じながらの散策を楽しんだ。
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参拝日:2010年12月4日(土) 
第二十七番札所 書寫山 圓教寺
御 詠 歌
はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
御本尊
六臂如意輪観世音菩薩
宗 派
天台宗
開 基
性空上人
開創年
康保3(966)年
所在地
兵庫県姫路市書写2968   TEL:079-266-3327
拝観料
拝観志納金 500円
 URL







西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

 山仲間の西国三十三所巡礼隊で第二十七番札所の書寫山圓教寺にお参りしてきた。圓教寺は、兵庫県姫路市にある寺院で天台宗の別格本山で、「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹とのこと。また、2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』・2003年NHK大河ドラマ『武蔵』のロケ地になったことでも有名。

 書寫山圓教寺には、六つの参道があるそうだが、今回は西から谷沿いを登る「刀出坂参道」からのお参り。ここから登ると拝観志納金五百円也を納めなくてもよいという利点がある。

 刀出天神古墳の駐車場に車を停め出発。東海自然歩道にも選定されている刀出坂を登る。樹林に覆われた刀出坂は、展望こそ全くないが、沢の流れる音を聞きながらのんびりと登っていく。1時間弱で圓教寺の奥の院横に到着。大講堂・食堂・常行堂とコの字型に立ち並んでいる「三之堂」の脇から「白山権現」への標識に従い、書寫山の山頂へ登る。白山権現のすぐ横っちょの寺院内を通る道端の一段高くなった場所が山頂。いくつかの登頂記念プレートがぶら下がっている。このプレートがなければ見逃してしまうであろう。

 山頂で、お定まりのバンダナショットを撮影。摩尼殿へ下る道は結構荒れていた。摩尼殿で御朱印を頂く。これで十四寺納めたことになる。番外札所を二寺納めているので、合計一六寺。西国三十三所は、番外三寺を含め三十六寺なので、まだ半分にも達していない。まして、近場から納めているので残っているところは遠方が多い。いつになったら満願できることやら。

 お参りをすませ、展望所まで戻ってランチタイム。昼食後ピストンで下山。途中、左に行かなければならないところを直進で下ってしまったが問題なく下山。元々は、この道が参道だったのではないだろうか。竹薮の中を通ってたどり着く住宅地の細道の状況から見ても、あまり多くのハイカーに歩いてもらいたくない感じである。東海自然歩道に指定される際に地主や住民からの要望で迂回路が設けられたのではと考えられる。(あくまでも小生の所感であって真意の程は定かではない。)

 下り立った住宅地から、駐車地点の刀出天神古墳まではすぐであった。車で次の目的地である加西市の一乗寺へ。こちらも西国三十三霊場の一つ第二十六番札所である。この一乗寺は、今年8月に納めているので、お付き合いでのお参りとなった。
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◆書寫山 圓教寺 
 書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は、康保3年(966年)性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた。 この山に登る者は六根を浄められるという文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のお告げがあり、上人は白山でこの六根清浄のさとりを得られた。その後、御利益を得ようと多くの人々がこの山に登った。

 花山法皇は二度も御来駕にり上人の教えを受けられた。後白河法皇も七日間、御参籠になり、後醍醐天皇は隠岐の島より御還幸の際、一泊された。 以来、多くの信仰を集め、善男善女の参詣や多くの僧侶の修行の道場として栄え、西の比叡山とも呼ばれるようになった。

 現在も、北は北海道、南は九州から、春の訪れとともに、参詣者が絶えない。 国指定重要文化財の建造物八棟、仏像八体、今もなお、昔日のおもかげを林間に輝かせている。




登頂日
2010年11月28日(日)
天 候
曇り
同行者
囲炉裏村メンバー2名

阪急箕面駅⇒箕面公園(大滝)⇒箕面ビジターセンター⇒〔自然研究路4号線〕⇒勝尾寺⇒〔東海自然歩道〕⇒箕面ビジターセンター⇒箕面公園⇒阪急箕面駅







撮影:Canon PowerShot SX200 IS


 今年は紅葉ハイクには行けずじまいになるかなと思ってたが、運良く山仲間のRちゃん・Yちゃんとご一緒させてもらうことになった。お二人も西国三十三所巡礼をしておられ、箕面から勝尾寺へのコースに付いて問い合わせがあったので、ご一緒させてもらった。そういえば、Rちゃん・Yちゃんとはじめて山をご一緒させてもらったのも一昨年11月の箕面であった。その時は六個山から大滝のコース。山頂でおでんと鍋を囲んでの楽しい昼食(宴会)だったことを懐かしく思い出す。

 箕面駅から大滝までの滝道は凄い人。人の流れに逆らわず、でも時には追い抜きをしながら大滝に到着。大滝周辺の紅葉は終わっていて、残念ながらポンプで水を汲み上げている日本の滝百選の一つである箕面大滝と紅葉のコラボは見ることができなかった。

 大滝から車道へ登りあたりではきれいな紅葉が残っており、紅や黄色に山を眼前に楽しむこともできた。箕面ビジターセンターまで車道を歩く。箕面ビジターセンターからは、自然観測路4号を通り勝尾寺へ。

 西国三十三所第二十三番札所の勝尾寺もすごい人で賑わっていた。勝尾寺は昨年も訪れ御朱印はすでに貰っていたので、同行のお二人が御朱印をいただいている間、境内で写真撮影。

 下山はバスで北千里までという案もあったが、怪我から復帰したばかりのRちゃんの足に問題がないということだったので歩いて箕面に戻ることにした。勝尾寺境内から獣避けのフェンスを抜け登り、寺の敷地内から先、東海自然歩道に合流するまでが、細いトラロープが張られた激登りの急登。Rちゃんが心配だったが、何とか登り切る。登り切ったところが最勝ヶ峰(開成皇子の墓)ここでバンダナショット!

 最勝ヶ峰から先は整備された東海自然歩道。往路の自然観測路4号とは、ほぼ平行に付けられた道であるが、東海自然歩道は稜線上を通る道なので自然観測路に比べるとアップダウンが多い。

 箕面ビジターセンターからは、往路と同じコースを箕面駅まで戻ったのだが、相変わらずすごい人ごみであった。箕面駅に近づくと多くの土産物屋が軒を並べ、名物の紅葉の天ぷらをその場で揚げて販売しているが、軒並み売り切れ状態であった。

 居酒屋が開くには時間が早かったので、宝塚に出てミンミンでアワアワをしてから帰路についた。
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登頂日
2010年10月23日(火)
天 候
晴れ
業務内容
徒歩班中半3 菊水山→掬星台

神鉄鈴蘭台⇒水山⇒鍋蓋山⇒大竜寺⇒市が原⇒稲妻坂⇒天狗道⇒摩耶山掬星台








 昨年に続き2回目のボランティア。昨年は記念碑台での誘導係であったが、今年は徒歩班中半3が割り当てられた業務だ。徒歩班中半は、菊水山から掬星台までを歩く。10:25から30分おきに一人づつ歩く。その3番目で11:25に菊水山を出発し掬星台に14:55に着くように歩くのだ。

 菊水山までのアクセスは、神戸電鉄鈴蘭台駅から徒歩。鵯越から登るのに比べるとはるかに楽である。11:00に菊水山に到着。受付を済ませ、スタート時間まで一休み。菊水山の山頂は強風が吹き寒い。

 11:25スタート。天王吊橋までの下りは、スムーズに歩いていけたが、天王吊橋を渡り、鍋蓋山への登りに差し掛かると渋滞発生。とろとろと時には停滞しながらの登りとなる。鉄塔を過ぎ、大岩のあたりまで渋滞が続く。大岩を越え登りが緩やかになるとそれなりにスムーズに歩ける。

 それだけゆっくりのペースでも鍋蓋山には、予定通過時間の10分以前に到着。時間調整をしようと思ったが、風が強く身体が冷えそうなので大龍寺まで行くことにする。

 大龍寺着が予定時間の30分以前。囲炉裏のNさんとNちゃんが誘導班のボランティアをしているので、ここで時間調整をすることに。身体が冷えないように上着を着て時間調整。

 大龍寺から市が原を経て摩耶山の上りに入ってしばらくは渋滞なし。しかし、登りがきつくなってくると少しづつ前に人が詰まってくる。稲妻坂にかかると渋滞。参加者の足取りも重く、辛そうである。元気一杯歩いている人は、ほとんどいない。立ち止まってストレッチをしている人やマッサージしている人。極端にゆっくりと歩いている人それぞれだ。14日の自分を思い出してしまう。途中で立ち止まり『大丈夫ですか』『頑張ってください』『ゆっくりマイペースで』等々声を掛けながら、参加者を先に進ませる。

 ゆっくり歩いたつもりだが、山上の電波塔に着いた時点で、掬星台予定到着時間に20分あるので、ここでまた参加者に励ましの言葉を掛けながら時間調整してから掬星台へ。掬星台には予定時間の14時55分に到着。スタッフに報告をして業務終了。

 囲炉裏の仲間のhさんが今日の大会に出ているので、この後宝塚ゴールに出迎えに行くことにしている。歩いて下山したのでは間に合わないので、バスで阪急六甲まで下山することに。バスの時間まで30分程時間があったので、参加者ではないのだが、ホットレモンを頂き、久しぶりに掬星台からの眺望を楽しんでからの下山となった。

 5時頃宝塚ゴールに到着。同じくボランティア参加後に出迎えに来ていたkさんと一緒にhさんのゴールを待つ。17:50にkさんのゴールを見届け帰路についた。

 これで、自分にとっての今年の六甲全山縦走大会は終わった。来年はどうするか決めかねているが、今年の不甲斐ない結果を見据えると『リベンジ』という思いが強くなってきている。すぐに決めなくても来年の9月までに決めればいいかと思っている。
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登頂日
2010年11月21日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー7名+村民外2名

香下寺登山口⇒六丁峠⇒山頂展望所⇒観音堂⇒六丁峠⇒香下寺登山口






撮影:Canon PowerShot SX200 IS

 ダッチオーブン解散後、10名で羽束山に登ることにした。野外活動センターからも登れるのだが、今回は香下寺の登山口からピストンすることに。

 野外活動センターから香下寺に移動。香下寺から観音堂への参道をゆっくりと登った。山頂展望所の露岩に腰掛けのんびりとした時間を過ごす。話をしたり、昼寝をしたりと人それぞれである。

 下りもゆっくりと下山し香下寺の駐車場で解散となった。

 ※なんども登っとる山なんで、羽束山に関して書くことがない・・・。そーゆことで短い記事でごめんやっしゃ。

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