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参拝日:2011年6月25日(土)
番外札所 華頂山 元慶寺
御 詠 歌
待てといわば いともかしこし 花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな
御本尊
薬師如来
宗 派
天台宗
開 基
遍照僧正
開創年
元慶元年(877年)
所在地
京都府京都市山科区北花山河原町13 075-571-0002
拝観料
境内自由





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

元慶寺(がんけいじ)は京都府京都市山科区にある天台宗の寺院。藤原高子の発願により建立。僧正遍昭を開基とし、元慶元年(877年)に建立された。西国三十三箇所霊場の番外札所である。本尊は薬師如来。 寛和2年(986年)、花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた(寛和の変)。花山寺とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されている。
参拝日:2011年6月25日(土)
第十一番札所 深雪山 上醍醐寺
御 詠 歌
逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな
御本尊
准胝観世音菩薩
宗 派
真言宗醍醐派(総本山)
開 基
聖宝理源大師
開創年
貞観16(874)年
所在地
京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1 075-571-0002
拝観料
600円
 URL




西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

醍醐寺は聖宝理源大師が貞観16年(874)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立され、ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。

醍醐寺はその後、真言宗小野流の中心寺院として仏教史において重要な地位を占めている。そればかりでなく、政治の中心にあった人達との交渉も深く、例えば藤原一族に代わって大きい権力を持っていた権門源俊房の系統(醍醐源氏)の人が座主として幾代も続いた。そして座主勝覚(俊房の息)の時代に山上・山下共に伽藍がことごとく整備され、永久3年(1115)に三宝院が建立され醍醐寺発展の基礎が確立されたのである。

その後、隆盛を極めた醍醐寺も長い年月の間に幾度かの火災と殊に応仁・文明の大乱の余波とによって下伽藍堂宇はことごとく灰燼に帰してしまったが、幸いにも五重塔だけが難を逃れ、天暦盛時の姿を今に留めている。また上醍醐・准胝堂は"西国第十一番札所"として、五大堂は"五大力さん"信仰の中心として、広く信仰を集めて現在に至っている。

藤原末期から鎌倉時代にかけては、政治的変動から遠ざかり小野法流・教学の充実がはかられた時期となった。そして、まず醍醐寺の歴史を明確にするために、「醍醐雑事記」15巻が慶延によって編集された。また教学研究の成果の一部として現在でも多数の密教絵画、聖教類と共に仏像研究のために描かれた図像抄、白描図像が多く残されている。 南北朝時代には醍醐寺内部において、後醍醐天皇と弘真(文観僧正)、足利尊氏と賢俊の交渉などがあって、二派にわかれて対立した状態が続いた。その当時の政治的緊張を示す資料がいくつか残されている。特に政治の中心と交渉を深く保って、伽藍の復興、寺門の整備に大いに力を尽くしたのは、応永・永享年間のころ座主であった満済准后と桃山時代の義演准后である。

この両者は共に詳細な日記を残していて、その対外的活躍の概略を知ることができるが、それにもましてこの人達が文化財の保存に心を尽くしていたことが、裏書や奥書などによって知られる。また義演准后は豊臣秀吉と関係を持って、その力によって伽藍、三宝院殿舎・庭園の復興をなすと共に、一代の英雄の最後をかざる善美を尽くした醍醐の花見を催させたことによって知られた人である。

江戸時代に入り、修験道中興の祖・聖宝により継承されてきた三宝院に属する修験(山伏)を「当山派」と称する許可を幕府より得、座主高賢の大峯入峰により醍醐の教風がひろまっていった。現在もその法流を汲み花供入峰修行が行われている。

江戸末期の混乱と明治維新以後の変革の波は大きく、仏教各宗派全般の傾向にしたがったように、大小幾多の子院は廃亡し伽藍と中心的子院だけが残った。現在ではそれらの建築の主要なものの多くが、国宝や重要文化財に指定されている。

また一山の宝物・十数万点は霊宝館に収蔵保存され、春秋二期に陳列して一般に公開されている。
(醍醐寺WEBサイトより引用)
参拝日:2011年6月25日(土)
第十番札所 明星山 三室戸寺
御 詠 歌
夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波
御本尊
千手観世音菩薩
宗 派
本山修験宗
開 基
行表和尚
開創年
宝亀元(770)年
所在地
京都府宇治市莵道滋賀谷21 0774-21-2067
拝観料
500円
 URL






西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

西国十番の観音霊場、明星山三室戸寺は、観音応現の霊地であり、光仁天皇勅願の精舎である。

今から約千二百年前、宝亀元年(西暦七七〇年)のこと、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光がさし込むのを御覧になって、この奇瑞を大変お喜びになり、右少弁犬養に勅して、霊光の源を尋ねさせられた。

犬養は勅をうけ早速、宇治川の支流の志津川の渓流に沿って登って行くと、古樹がうっそうと生い茂る中に、水が青く澄んでいる清淵があり、そこは塵境を離れた幽寂の地で、流水の響きは煩悩の垢を洗う心地を起させたのである。

犬養が清淵に近ずくと、御丈、二丈余り、相好円満、光明赫々とした、千手観世音菩薩が、まぼろしのように、清淵の中から出現されたのを見た。犬養は随喜の涙を押え、掌を合せ厚く頂礼して、清淵に飛び入り、この御仏を抱き上げてみると、さきほどの尊容ではなく、御丈、一尺二寸の二臂の尊像と化していられた。

犬養は都に立ち帰り事の始終を天皇に奏上申し上げると、天皇の叡感殊の外深く、早速宮中に尊像をおむかえになつたが、その後、行表禅師を招き、御室をこの地に移して、この尊像を本尊として安置して御室戸寺と称するよう勅されたのである。

光仁天皇が御室戸寺を御建立以来、本尊の観世音菩薩は無比の尊像として勅封にされていたが、御子桓武天皇は延暦廿四年に尊像を開扉して大供養を営なまれ、白壇木をもって、御自ら最初出現の千手観世音菩薩像を二丈一尺に彫刻され、彼の正身の尊像を胎内に納めて、大悲閣を造立し帝都鎮護の御寺とされた。

これより以来、三十三年毎に勅許、院宣によって開扉大供養を営む慣例となったものである。その後、寛平年間に、三井寺の開祖、智証大師が、当寺に留錫して大いに法幢をかかげ、寺門を中興し、又、花山法皇は離宮を当山に設けられ、観音霊場を巡拝された時には、当寺を第十番の札所に定められたのである。

長和年間には三条天皇が法華三昧堂を、又、白河天皇は常行三昧堂建立され又荘園をも寄進せられた。その後、堀川天皇は、住持、隆明大僧正に深く御帰依になり、伽藍を増修され、又、羅惹院本尊尊星王護摩料所として、武蔵国中茎郷領家職の官符を賜わった。

羅惹院は白河天皇の御願によって三井寺の寺中に建立された一院であった。

隆明大僧正は、初め、三井寺に住して長吏となり、天台宗寺内派を統御された高僧であるが、そこを辞して後、当寺に移りその時共に羅惹院を移転し、伝持の仏像、経典を悉く、ここに納められたのである。隆明大僧正は、御室戸の僧正と称せられてその高徳は普く天下に知られ、法幢は益々盛んになったので、白河法皇の皇子、静証法親王は当寺にお入りになり隆明大僧正を師として修習されたので、御室戸宮と号せられた。

当寺創建以来、光仁、花山、白河三帝の離宮になったため、この頃から、御の字を、三、に替え、三室戸寺と称するようになった。

白河法皇が、熊野参詣の際には、当寺に於て、十七日間の護摩供修行がされたので、これ以来、熊野検校宮の入峰に際しては、十七日間の御修行が佳例となったものである。

以上のように開創以来、歴代天皇の崇敬を集め、寺域も漸次拡張されて、伽藍坊舎が年を追って増加し、輪喚の美を極めたのであるが、後花園天皇の寛正三年十二月十三日、食堂より出火し、貝吹堂、観音堂、彼岸所、西塔院、常行堂、宝蔵と延焼し、大伽藍も悉く烏有に帰してしまつた。その際、桓武天皇御願の白檀木の大像は火災の中に消え失せたが、正身の本尊はじめ常行堂本尊の阿弥陀三尊、隆明大僧正念持の釈迦如来立像等の尊像は猛火を脱したのである。

後土御門天皇の文明十四年、三井寺阿弥陀院の、壱阿、は観音堂再興の勅意を受けて、諸堂の再建にとりかかり、文明十九年七月落慶し本尊開帳の大法会が厳修された。導師は、聖護院宮准三后道興大僧正であり寺門の龍象悉く集り、宮中からは勅使、柳原大納言が参向され、且又、将軍足利義尚も拝賀参列したのであった。

寛正元年炎上以来廃墟の内にあること二十八年に及んだが、ここに再び法幢が高くひるがえることとなったのである。

このようにして、再び寺運隆盛に向ったが、天正元年、織田信長が足利義昭と宇治槇島で兵火を交えた際、当寺の衆徒が将軍義昭に味方したのを恨み、その後、信長が天下の権を掌握した時に、寺領を悉く没収したので、これより寺運衰退に向ったが、寛永十六年、道晃法親王によって復興せられた。

明和年間頃、堂宇が再び廃頽し、忍興和尚の時、改築を計画したが果すことができず、文化十一年になって、法如和尚の力によって漸く本堂の改築が成就したのである。

これが現在の本堂で発願してから落成までに、三十有余年の歳月を費したものである。

以上のように幾多の興亡盛衰を繰返したが、光仁天皇の開創以来千有余年の間、上は皇室より下は広く庶民にいたるまで、私達の悩みの一切を必ずお救い下さる、大慈大悲の観世音菩薩の信仰の中心として、三室戸寺への尊崇は厚く続けられたのである。
(三室戸寺WEBサイトより引用)
参拝日:2011年6月19日(日)
第九番札所 興福寺 南円堂
御 詠 歌
春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲
御本尊
不空羂索観世音菩薩
宗 派
法相宗大本山
開 基
藤原冬嗣
開創年
弘仁4(813)年
所在地
奈良市登大路町48 0742-24-4920(南円堂納経所)
拝観料
境内自由
 URL





西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆興福寺 南円堂 
 西国三十三所観音霊場の第九番札所です。
 弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願ってお建てになった八角円堂です。基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎(わどうかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)をまきながら築き上げたことが発掘調査であきらかになりました。この儀式には弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が深く係わったことが伝えられます。

 興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めます。そのうえ本尊不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像が身にまとう鹿皮は、氏神春日社(かすがしゃ)との関係から、特に藤原氏の信仰を集めました。
 創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建されました。八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、本瓦(ほんがわら)葺きの建物ですが、その手法はきわめて古様です
。  堂内には本尊不空羂索観音菩薩像、四天王(してんのう)像(いずれも国宝)が安置されます。
(興福寺WEBサイトより引用)
登頂日
2011年5月21日(土)
天 候
曇り
同行者
囲炉裏メンバー21名

京阪宇治駅⇒宇治上神社⇒大吉山(仏徳山)⇒朝日山⇒天ヶ瀬ダム⇒天ヶ瀬森林公園⇒天ヶ瀬橋⇒源氏橋








 オフ会で宇治へ行ってきた。宇治といえば、お茶や十円玉に描かれている世界遺産平等院鳳凰堂や宇治上神社、源氏物語などで知られる京都府南部の街である。

 今回は、Rさんの骨折復帰オフということで、のんびり散策である。

 午前9時半に京阪宇治駅集合。まずは宇治上神社(うじがみ)へ。広大な敷地を持っているわけでもなく、ごく普通の神社にしか見えないのだが、この宇治上神社は、世界文化遺産に登録されている。菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇が祀られており、本殿は日本最古の神社建築らしい。

 宇治上神社からしばらく進むと山道に入る。緩やかな傾斜をのんびりと登っていくと展望所があり、ここで小休止。その先、三角点を有する仏徳山(大吉山)131.8mと朝日山124mの二座を越えて天ヶ瀬ダムへ。

 高さ73.0メートルのアーチ式コンクリートダムの3門ある常用洪水吐のうち2門から轟々と放水されている様は圧巻だ。ダムの貯水湖は鳳凰湖、いかにも平等院鳳凰堂からとって命名したって感じだ。

 ダム通路を対岸に渡り湖岸から登ったところにある天ヶ瀬森林公園で昼食。女性陣から沢山の差し入れをいただき感謝。久しぶりに食べるRさんの具沢山巻寿司は最高。もちろん他の皆さんのケーキやフルーツも美味しかったっす。

 昼食後は天ヶ瀬橋から宇治川沿いを源氏橋まで戻り午後2時前に解散。大阪方面組は京橋まで戻りアワアワということになったが、時間が早いので、自由行動とし、3時半に京阪宇治駅集合することになったので、源氏物語ミュージアムへ足を向ける。入館料500円も出して見る気になれず、男性陣4名で無料ゾーンで休憩。

 入館組より、一足早く駅方面へ戻ることに。他のメンバーに連絡をとると宇治川の海岸でプチ宴会してるとのことだったので、我々4名もビールとつまみを調達して合流。

 その後、源氏物語ミュージアム入館組も合流、コンビニでビール・焼酎・日本酒とお寿司などおつまみ類を調達し、5時半過ぎまで河原での宴会を楽しみお開きとなった。


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