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登頂日
2009年4月26日(日)
天 候
晴れ/強風
同行者
囲炉裏村メンバー22名

JR曽根駅⇒百間岩⇒鷹ノ巣山⇒高御位山⇒北池⇒JR曽根駅








 今回のオフは、播磨アルプス(高御位山系)縦走である。播磨アルプスの最高峰の高御位山(たかみくらやま)は、兵庫県加古川市と高砂市の市境にそびえる標高304.2mで播磨富士と呼ばれる郷土富士。

 集合場所のJR曽根駅に降り立つと晴れてはいるのだが、風が強く肌寒さを感じる。スタートし、しばらく行くと登山口である。登山口は民家のすぐ横の細い登り道で、ぱっと見には、民家の裏山に入る道のようにしか見えない。うかうかしていると見落として通り過ぎてしまいそうである。その細い道を少し登ると距離は短いが急な岩登りとなる。

 数度のアップダウンを繰り返し進んでいくと前方に本日のコースの核心部である百間岩が見えてくる。強風が吹きつける中。百間岩麓の展望台でしばし休憩を取り、百間岩に取り付く。百間岩は傾斜角約30度の急な岩尾根であるが、岩自体は靴底にしっかりとグリップし滑ることはない。ただ今日は強風が吹き荒れている。強風にあおられバランスを崩さないように注意して登る。突風が吹くと女性人からは黄色い声もあがっていた。百間岩で背後を振り返ると眼下に播磨平野が拡がり、その先に瀬戸内海に浮かぶ島々を見渡すことができる。

 百間岩を登りきると前方に、これから登る鷹ノ巣山、その右手の稜線の先に高御位山を望める。岩場のアップダウンを繰り返すと鷹ノ巣山山頂。山名表示の写真を撮りそのまま通過。鷹ノ巣山から数度のアップダウンを繰り返し進んでいくと高御位山の山頂に到着。

 山頂には断崖の岩場がせり出し、播磨平野や瀬戸内海を一望できる。岩場の下には高御位神社が鎮座しており、そこでランチタイムである。小生は東端の『飛翔の碑』(志方町出身の空の先覚者「渡辺信二飛行士」が大空への夢断ちがたく、大正10年(1921年)に手造りのグライダーで滑空。その快挙を讃えて建てられた碑。)の前で昼食を食べた。本日もフルーツ等、沢山の差し入れを頂く。感謝!感謝!

 昼食後、北山(北池)方面に下山。岩場のアップダウンを繰り返しながら高度を下げていくと、小さな祠とお地蔵さんが祭られている神社(?)に下り立った。

 国道沿いを途中のコンビニで買ったビールを飲みながらJR曽根駅へと戻った。

 JR曽根駅周辺にアワアワに適したお店がなかったので、三宮まで戻り、珉珉でアワアワタイムに参加。山行後の楽しい一時を過ごした。

 300mの低山縦走ではあるが、アップダウンの多い変化に富んだ満足度の高いコースであった。帰宅後GPSデータを確認すると累積標高816m、それだけあれば歩き応えもあるわけである。今回のコースの他にも沢山の道があるようなので、機会があれば又登ってみたい
◆参加メンバー:順不同◆
いわなさん(リーダー)・ぐーちゃん・一休さん・空っ風さん・あやさん・なかじーさん・つばめさん・YASSAN・りょうさん・高やん・Keyさん・キャットさん・まこらさん・ようちゃん・さぶろうさん・みのさん・しろさん・yuriさん・りっこさん(途中合流)・濱やん(途中合流)・きたおかさん(途中合流)・hidetyan(途中合流)・大将 (以上23名)  白髭さん他1名(昼食のみご一緒)
登頂日
2009年4月18日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー14名

JR石生駅⇒観音堂登山口⇒三の山⇒四の山⇒向山三角点⇒五の山(最高峰)⇒蛙子峰⇒水分れ公園⇒JR石生駅








 丹波市氷上の向山連山ということなので、集合場所のJR石生駅までバイクで向かい、皆さんが乗ってくる列車到着15分前に駅前に到着。列車が到着すると降りてくる人の大半が山歩きの人達だ。我々の他にも数グループが集合している。向山のヒカゲツツジは大人気のようだ。

 GPSのトラックをONにするのを忘れて出発、観音堂登山口手前で気が付きONにした。登山道に入るといきなりの急登。滝山古墳を過ぎ、しばらく登っていくと、本日の目的であるヒカゲツツジが咲いていた。初めて見るヒカゲツツジは、今回のリーダーが言われる『黄色い貴婦人』という名にふさわしい薄黄色の可憐な花である。

 先に進むと日陰ツツジの木が何本も出迎えてくれる。ヒカゲツツジの淡い黄色の花とコバノミツバツツジの鮮やかなピンクの花や新緑の樹々とのコラボや、ヒカゲツツジのトンネル等見所満載であった。

 向山連山の最高峰である五の山でバンダナショットを撮影。この先の蛙子峰から先は激下りである。トラロープの張られた道を滑らないように注意しながら下る。やがて緩やかな道に変わり水分れ公園へと下り立つ。

 水分れ公園では満開の八重桜が迎えてくれた。水分れ公園を流れる高谷川に瀬戸内海(太平洋)側と日本海側への分水点がある。瀬戸内海(太平洋)側、日本海側共に70kmの川が続いている。

 水分れ公園から石生駅まではすぐである。小生のバイクは駅の反対側の駐輪所においてあるので、駅南側の交差点で皆さんと別れて帰路についた。

 ヒカゲツツジをはじめとする花や新緑、急登・激下りの向山連山のコースを囲炉裏村の仲間と楽しく過ごすことができたことを感謝!

◆日陰躑躅(ひかげつつじ)
 ツツジ科の常緑低木。高さ1?2メートル。葉は枝先に集まって互生し、長楕円(ちょうだえん)形または披針(ひしん)形で長さ4から8センチメートル、裏面は淡褐色で密に腺状鱗毛(せんじょうりんもう)がある。4月から5月にかけて、枝先に漏斗(ろうと)状鐘形の淡黄緑色花を2から5個開く。花冠は径3?4センチメートルで5中裂し、外面に腺状鱗毛を散生する。雄しべは10本。子房に腺状鱗毛がある。山地の崖(がけ)などの斜面に生え、関東地方以西の本州から九州に分布。
〔Yahoo!百科事典より抜粋〕

◆ 水分れ公園
水分かれ公園は、日本一低い中央分水界(延長1,250m)のうち最東端にあり、水と親しみ、水に考える公園として整備された親水公園です。 水分かれ公園には分水界を象徴する人工の滝・水分かれの滝や水分かれの池、屋外ステージ、子供広場を設けており、水と親しみながら自然とふれあうコミュニティーの場としています。 ここに降った雨は、高谷川?佐治川?加古川を経て瀬戸内海(太平洋側)と、黒井川?武田川?由良川を経て日本海側へ流れていきます。

◆ 中央分水界(分水嶺)
中央分水界は、日本列島の太平洋側と日本海側の境であり、北から南までまるで背骨のように走っています。この線を境に気候はもちろん、動物・植物の生活も違っています。 ところが、日本一低い中央分水界・水分かれでは、この区別がはっきりしていないため、北海道や東北に多いカタクリが群生するなど、いろいろな面で特色があります。
〔神戸観光壁紙写真集より抜粋〕

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん(リーダー)・ぐーさん・あやさん・くろげんさん・うねさん・チョリオさん・しろさん・ゲキさん・いわなさん・越路さん・濱やん・どんかっちょ!さん・りっこさん・hidetyanさん・大将(以上15名)
登頂日
2009年4月12日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー12名

新三田駅⇒有馬富士⇒武庫川桜づつみ回廊⇒三田駅⇒キリンビアパーク神戸⇒三田駅








 前日の『カタクリ詣で』に続き好天に恵まれた。JR新三田駅を9:30に出発し有馬富士へと向かう。国道を渡りしばらく行くと舗装道から地道に変わり、緩やかに登っていくと兵庫県立有馬富士公園に入り、福島大池の西側に出る。

 公園内の遊歩道を福島大池南岸に沿って進む。福島大池越しに眺める有馬富士は、いつ見ても優雅で素晴らしい姿である。福島大池の東端を回りこみ有馬富士登山道へと入り、芝生広場、頂上広場と過ぎ『わんぱく砦』と名付けられた急な岩場を登りきると山頂である。

 低山であり、登っている時間も短いのだが、昨日同様の暑さの為、参加のみなさんも少し疲れぎみ。少し長めに休憩を取り、登りとは別の福島大池西側へ下るルートで下山。

 福島大池沿いの『かやぶき民家』で、熱いお茶をいただき小休憩。福島大池西岸からは、往路で歩いて来たルートを戻る。

 JRの高架を抜け武庫川堤防へとあがると『ふるさと桜づつみ回廊』だ。桜回廊を三田駅方面へ歩いていく。途中の「ふるさと桜づつみ回廊」の石碑があるところで昼食をとった。

 昼食後は、少し風も出てきたので気持ちよく歩くことができ、時々吹く強い風に舞う桜吹雪がとても綺麗。ここ1週間、暖かいっていうより暑い日が続いた関係で、見ごろは少し過ぎたかなってのが残念だったが、十分に桜回廊を満喫できた。

 三田駅からは、ラガーバス(キリンラガー缶ビール型の無料送迎バス)でキリンビアパーク神戸へ移動し、ビール・発泡酒の原料をはじめ、仕込工程、パッケージング工程など、ビール・発泡酒ができるまでの工程を、ツアーガイドのお嬢さんに説明をしていただく。あいにく日曜日なので生産ラインは動いておらず一部映像での案内であった。

 約40分の工場見学の後、いよいよ待ちに待ったできたてビール試飲である。一番搾りとラガービールを美味しくいただいた。試飲後ガイドツアーのお嬢さんと一緒にバンダナショットを撮り、お土産コーナーを見てから、ラガーバスで三田駅へ戻りひとまず解散だが、宝塚の珉珉でアワアワをすることになり、参加者全員JRで大阪方面へ。

 アワアワ参加者10名は宝塚で下車し珉珉へと向かったが、珉珉前のエスカレーターの壁際に置かれているザックの数が半端ではない。案の定、店内は満席で待っている人もいる。これはダメだということで、居酒屋の魚民に場所を変更。楽しいアワアワの一時を過ごしお開きとなりました。


◆参加メンバー:順不同◆
空っ風さん・どんかっちょ!さん・ようちゃん・むかごさん・マユさん・.ヒデさん・プライムさん・.近江住宅さん・船橋 太郎さん・ようこちゃん・りっこさん・smochさん・大将(リーダー)(以上13名)
登頂日
2009年4月11日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー12名

善峯寺バス停⇒善峯寺⇒三鈷寺⇒金蔵寺⇒小塩山⇒南春日バス停








 以前は花には興味がなかったのだが、山に登り始めて興味を持つようになったが、多くの花の名前は、未だにわからない。図鑑やネットで調べるのだが、似たような花が多く特定できないことも度々である。そのうち覚えるだろうということにしておこう。ということで、今回は囲炉裏村のオフ会でカタクリの花を見に出かけた。

 JR京都線の向日町駅から阪急バスに乗り、終点の善峯寺へ移動。善峯寺では、桜や枝垂桜が見ごろであった。「けいしょう殿」付近からの眺めは、青空の下にパステルカラーに染まった樹木とお堂等の建造物、その先に見下ろす街並のコラボが最高の眺望を生み出していた。

 善峯寺から三鈷寺に立ち寄った後、近畿自然歩道で金蔵寺へ。山門を抜け、石段を登りきると、見事な枝垂桜が眼に飛び込んできた。枝垂桜の下でバンダナショットを撮影後、金蔵寺展望台でランチタイム。本日の昼食は、味噌煮込うどんとおにぎりである。

 昼食後、いよいよ本日のメインイベントである『カタクリ』を見に小塩山へと向かう。近年カタクリは、乱獲や野生動物の食害により数が減ってきているとのこと。小塩山でも例に漏れず、鹿の食害等深刻な問題を抱えているようだ。小塩山では『西山自然保護ネットワーク』のみなさんが、カタクリとギフチョウの保護活動を行っておられる。

 最初に訪れたカタクリの群生地は周囲に鹿避けのネットが設置してある。何箇所かある群生地の中で唯一ネットが設置されている場所である。4箇所ほど群生地を回ったが、ネットの設置されている群生地と設置されていない群生地では、植生しているカタクリの数に大きな差がある。ネットの設置にかかる費用も『西山自然保護ネットワーク』のみなさんとカタクリを見に来られた方々の寄付でまかなっているとのこと。私も少額だが寄付をさせていただいた。

 幻(?)の白いカタクリの花も見れて大満足。可憐なカタクリの花を満喫した後、小塩山の山頂にある淳和天皇稜(大原野西嶺上陵)をぐるっと一周した後、大原野神社方面の南春日バス停へと下山。バスで阪急東向日駅へ戻った。

 ビールを1杯だけ飲んで帰ろうということになり、駅前の「餃子の王将」に入る。生ビールと餃子1人前づつで乾杯!4月上旬とは思えない暑い一日だったので、冷たいビールが最高にうまかった!会計を済ませ、店を出ようとしたところで、Tちゃん氏に「大将、これだけで帰らへんやろ」と魔のささやき。翌日が私主催のオフ会なので帰ろうと思ってたのだが・・・ 誘惑に弱い小生は迷わず二軒目へと流れていったのである。

◆ 善峯寺
 善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区にある寺院。山号は西山。西国三十三箇所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。
起源と歴史
 長元2年(1029年)、源算が創建した。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの門跡が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院(徳川5代将軍綱吉の生母)の寄進によって再興された。
重要文化財
・多宝塔 (元和7年(1621年)に賢弘により再建されたもの。)
・絹本著色大元帥明王像
天然記念物
・遊龍の松(樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられた。 全長54mあったが、松食い虫の被害により平成6年(1994年)15mあまり切断された。)
〔Wikipediaより転載〕

◆ カタクリ
 ユリ科カタクリ属に属する多年草。比較的日光の差す落葉広葉樹林の林床に群生し、早春に下を向いた薄紫から桃色の花を咲かせる。春を告げる「スプリング・エフェメラル」の一つ。葉には帯紫色の模様がある。
 早春の3?4月のみ地上部を展開し、5月上旬頃には葉や茎は枯れてしまう。種子にはアリが好むエライオソームという物質が付いており、アリに拾われることによって生育地を広げている(同様の例はスミレなどにも見られる)。発芽1年目の個体は細い糸状の葉を、2年目から7?8年程度までは卵状楕円形の一枚の葉だけで過ごし、鱗茎が大きくなり、二枚目の葉が出てから花をつける。なお、鱗茎は毎年更新し、なおかつ旧鱗茎の下に鱗茎が作られるため鱗茎は深くなる。原則として鱗茎は分球することはない。
 昔は日本では落葉広葉樹林のある各地で広く見られたが、近年では乱獲や盗掘、土地開発などによる生育地の減少によって減少している。最近では人工的に増殖した上で野山に植える試みが行われ、観光名所になっている。
 万葉集に残る、「もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」(巻18)に詠まれている「堅香子(カタカゴ)」は、カタクリではないかと考えられている。また、日本の富山県高岡市は「カタカゴ」の名でカタクリを市の花に指定している。
 昔はこの鱗茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に用いていたが、近年は片栗粉というとほぼジャガイモから抽出したデンプン粉のことを指すようになってしまった。
〔Wikipediaより転載〕

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん(リーダー)・Keyさん・mayumiさん・たけちゃん・あやさん・越路さん・SAMさん・ふーさん・O型さん・みかりんさん・春風さん・まささん・大将(以上13名)
登頂日
2009年3月28日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 西宮・宝塚
昭文社 山と高原地図 六甲・摩耶 2008年版

阪急芦屋川駅⇒(58分)⇒鷹尾山⇒(39分)⇒雨ヶ峠⇒(12分)⇒本庄橋跡⇒(39分)⇒一軒茶屋⇒(6分)⇒六甲山最高峰⇒(14分)⇒東六甲縦走路分岐⇒(38分)⇒船坂峠⇒(22分)⇒大平山〔昼食〕⇒(59分)⇒塩尾寺⇒(30分)⇒湯本台⇒(7分)⇒JR宝塚駅








 AM6:07に阪急芦屋川駅をスタート。久しぶりに早朝スタートの山登りである。早朝からスタートし昼過ぎには自宅に帰るパターンが多かったのだが、囲炉裏村オフ会参加が多くなってきたので、最近は早朝から登ることが少なくなっている。

 芦屋川沿いの桜がちらほらと開き始めている。木にもよるのだが、中には六部程度咲いている木もある。花を眺めたり、写真を撮ったりしながら春の余韻を楽しむ。

 芦屋の住宅地を高座の滝へ向かい、途中で右へ折れ鷹尾山方面へ道を取る。やがて住宅地が途切れ山道へと入る。鷹尾山は地元では城山として親しまれてきた山城跡であり、展望も良いので毎日登山で登っておられる市民の方も多いようだ。

 鷹尾山からはいくつかのアップダウンを繰り返し進んでいくと荒地山の岩場に出る。岩場をしばらくいくと、今回の核心部である「岩梯子」と「七右衛門くら(山かんむりに品)」である。荒地山には六甲の神が住んでおられ、六甲山で悪事を働くと荒地山に迷い込み神罰が下るとの言い伝えがあるので、見に覚えがある方は、荒地山には近寄らないことをお勧めする。

 岩梯子上部にある七右衛門くらの穴くぐりは人一人がやっと通れる岩のトンネルである。ここはザックをおろさなければ通過できない。ザックを先に前方に押しやり、無事通過。私の体型で通れなかったらとか、途中で挟まりぬけなくなったらどうしようと考えていたが問題なかった。メタボ体型が激しい方は、このコースは避けられたほうが無難かも・・・。

 穴をくぐって、岩場の上に立ち振り返ると、眼下に大阪湾を一望できる最高の景色が広がっている。

 岩場を過ぎて平坦な道をしばらく進むと荒地山の山頂である。山頂は雑木林に囲まれた木陰の小広場となっているので休憩や食事を取るのに適している。が、次の休憩場所は雨ヶ峠と決めてあったので、写真だけ撮ってそのまま通過。

 荒地山通過後は風吹岩方面から登ってくる魚屋道に合流。芦屋カントリークラブを抜け、雨ヶ峠へ。雨ヶ峠からは本庄橋跡を経て七曲りの急登を六甲山最高峰へと登った。最高峰からは東六甲縦走路で宝塚に戻った。この辺りは何度も通っている道なので詳細は割愛させていただく。

 いつものように、ブログ記事を記載してきたが、最後に今日は無茶苦茶しんどかった。特に体調が思わしくなかったわけではないのだが・・・。歩き始めた頃は、いつもと変わりなかったのだが。荒地山あたりから、体が重く足も上がらない。最高峰への七曲りの急登はバテバテのヘロヘロ状態。最高峰での休憩で少し落ち着いたのだが、東六甲に入り船坂峠手前あたりから足が思うように進まなくなる。もしかして、シャリバテかなと思ったりもする。大平山に着いたら昼食だ。飯食ったら回復するかもと考えていたのですが、昼食後も、さほど変わらず何とか宝塚に帰り着いた。何が原因なのだろうか・・・。荒地山に近づいた為に神罰がくだったのだろうか。そういえば、見に覚えが・・・(ウソです)

◆荒地山 七右衛門くら
 芦屋と神戸の境にある荒地山は、石宝殿にまつられている六甲山の山の神のすまいだといわれていた。だから六甲の山中で悪事をはたらくと、この荒地山にまよいこんで神罰をうけるのだといわれてきたのである。
 むかし、ふもとの芦屋村に七右衛門という若者がいた。彼には身よりがなかったが、正直な働き者なので、村人に愛されて成長した。そのうち七右衛門には、一人の兄のように慕う友人ができた。ところが、あるとき、その友は七右衛門をうらぎった後、姿を消してしまったのである。絶望した七右衛門は、それからすさんだ生活を送るようになった。仕事もしなくなり、遊びほうける七右衛門を村人もしだいにかえりみなくなった。
 ある日、六甲の山をこえる旅人が、命からがらふもとの村へ逃げ下りてきた。息せき切った旅人は「山中で、追いはぎに会った」と語ったのである。村人は旅人のいうその賊の姿の話をきいて、
「それは七右衛門だ」と思った。その時にはすでに七右衛門の姿も村から消えてしまっていた。
「山中で悪事を働いたために、神かくしに会ったに違いない。きっと荒地山だ」
 いい伝えを信じて荒地山へ登った村人は山中でも、とりわけ、るいるいとけわしい岩場の下で、頭をくだかれて死んいる七右衛門をみいだしたのである。


◆本日の昼食◆
中華そば(生そばとヒガシマルラーメンスープ)
もやしと焼いた鶏肉(昨日の夕食の残り)を一緒に煮込み、ショルダーベーコンとゆでたまごをトッピング。ねぎがあったら色合い的にもよかったのにな・・・。
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