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ふるさと兵庫50山の最近のブログ記事

登頂日
2010年5月2日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー5名

グリーンエコー笠形駐車場⇒登山口⇒笠形山山頂⇒笠の丸展望台⇒滝見台⇒扁妙の滝⇒オウネンの滝⇒子育て地蔵⇒グリーンエコー笠形駐車場









 「播磨富士」と呼ばれる山は三山ある。高御位山(たかみくらやま)、明神山、そして今回登ってきた笠形山である。三山とも「ふるさと兵庫50山(100山)」に選定されている山である。高御位山と明神山は、既に登っているので、今回の笠形山で「播磨富士」完全制覇である。(そんな大袈裟なものではないが・・・)

 グリーンエコー笠形山の駐車場に集合し、グリーンエコー笠形山コースを登る。施設内のホワイトコテージは、ゴールデンウィークということもあり賑わっている。ホワイトコテージにはそれぞれ花の名前が付けられており、マーガレットの横から登山道に入る。

 登山道は急登あり、山肌をトレースしていく道あり。階段あり、沢沿いの道ありと変化に富んでいる。五合目を過ぎてから襲い掛かってくる丸太階段はちょっとばかり疲れる。この階段を登りきると、どこが道やらわからないような植林帯の登りである。上を見上げると標識(六合目)が目に入ったので、標識に向かって直登する。

 登りきると八合目を過ぎるまで緩やかな道が続く。八合目を過ぎて少し登ると稜線に出る。左が山頂で右に行くと笠の丸展望台を経て市川町方面に下るようだ。

 山頂方面に進むとすぐに九合目の標識が現れる。この稜線は、人工的に入れられたであろう石が歩きにくくしている。地面の質から雨天時の泥濘を考慮して石が入れられたのかもしれない。最後の急登を登りきると360度の大パノラマが広がる笠形山山頂に到着。

 山頂にテーブルと椅子が設置された東屋がある。そこで休憩されていた方々が出発されたので、そこを昼食場所とする。荷物を置いて場所をキープ。まずは恒例のバンダナショットを撮影。

 さて、いよいよ昼食タイムである。本日の昼食のメインはバーべキュー。その他にも餃子、サラダ、山菜、たまご豆腐と盛りだくさん。ワイワイと美味しく楽しくいただかせてもらった。腹いっぱい!満腹状態である。

 昼食後、曙躑躅(あけぼのつつじ)の写真を撮ってから下山。稜線の分岐を直進し笠の丸展望台に寄ってみた。展望台と名が付いているが樹木が邪魔をしていて、お世辞にも見事な展望とはいえない。

 分岐まで戻り、往路をピストンで下る。二合目あたりの分岐を滝見台方向へ進む。100m程で滝見台に到着。ここから、落差65mの扁妙(へんみょう)の滝が一望できる。江戸時代に扁妙という僧侶がこの滝で修行をされ、死後村の人々が僧侶をしのび「扁妙の滝」と呼ぶようになったそうだ。冬の厳寒期の氷爆が有名である。

 しばらく上から扁妙の滝を眺めた後、扁妙の滝へと下り、オウネンの滝、子育て地蔵と経由してグリーンエコー笠形の駐車場へ戻った。

 好天にも恵まれ有意義な一日を過ごすことができた。今回も素晴らしい仲間に感謝である。ご同行いただいた皆さんありがとうございました。
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登頂日
2010年4月17日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー4名

農業公園駐車場⇒Cコース⇒明神山山頂⇒Aコース⇒農業公園駐車場









 姫路市北部夢前町(ゆめさき)の明神山に登ってきた。三角錐の優美な容姿から夢前の播磨富士と呼ばれ、ふるさと兵庫100山(50山)にも選出されている名山である。何故「夢前の播磨富士」なのかというと「播磨富士」が複数存在するからだ。知っている限りでは、今回の明神山と高御位山(たかみくら)、笠形山の三山が「播磨富士」と呼ばれている。

 明神山の南に位置する夢さき夢のさと農業公園の駐車場を起点にする。ネットで調べてみると明神山には、A・B・C・D・E・Au・大明神とコースがあるようだ。今回はCコースで登りAコースで下るルートを取る。

 駐車場を出発し舗装道を少し進んだ分岐点に「兵庫五十山 夢前の播磨富士 明神山登山口」と掘られた石標が立っている。この分岐を右にとりCコース入口に向かう。Cコースの入口は獣よけの電流柵で塞がれているが、開けて通るように説明書がしてある。

 登山道はよく整備されている。いたるところに黄色のペンキで進行方向の矢印や○などが岩に書かれている。登山者のことを思って書いているつもりだろうが、いかなる理由があろうが自然の岩に『落書き』をするのはやめていただきたいものだ。

 低山ではあるが、岩場あり、馬の背あり、急坂ありと変化に富んだコースである。また所々にある巨岩の上からの眺望も最高だ。頂上直下には『明神山・最大の難所 明神の鎖場』と書かれた貧素な札が木にぶら下がっている。この鎖の無い鎖場(ロープ場?)を登りきるとすぐに頂上だ。

 三等三角点の置かれた山頂には、カラフルでおしゃれな山名標識が立っている。展望も最高。絶景が広がっている。バンダナショットを撮ってから昼食タイム。Rさんが用意してきてくれた温泉卵入りぶっかけうどんとコンビニで買ってきたお寿司にPさん持参のオイルサーデン。デーザートは、Yちゃんが持ってきてくれたオレンジ(デコポン?)と美味しくいただいた。

 下山はAコース。こちらのコースも夢展望台やマンモスの背など楽しみながら下ることができた。下山地近くの岩屋池に映る逆さ明神が見れるとのことで立ち寄ってみたが、残念ながら奇麗な逆さ明神を見ることはできなかった。

 明神山の近くにあるヤマサ蒲鉾の夢鮮館に立ち寄ってから帰路についた。
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登頂日
2010年3月21日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー11名+2名

住山⇒ワン谷林道⇒白髪岳⇒松尾山⇒高仙寺山本堂跡⇒住山








 ダッチオーブン料理は美味しいのだが、ダッチオーブンのメンテナンスが面倒。だからこういう機会にしか登場しなダッチオーブン君なのであった。そんなことは置いといて、朝食&片づけを終え山に行くことにする。

 今日登るのは、ふるさと兵庫50山のひとつ白髪岳。住山地区から白髪岳・松尾山と縦走して出発地点に戻ってくるというコース。

 住山地区の二叉路を左に行くと白髪岳、右が松尾山。この二叉路を起点に右回り左回りお好きなコースでどうぞってことになっている。二叉路の手前にある案内板で本日のルートを再確認して出発。ちなみに前回来た時には、こんな立派な案内板はなかった。分岐のところにも立派な標識が立っている。

 最初は緩やかな林道をダラダラと進む。やがて東屋が見えてくる。ここから山道に入るのだが稜線に出るまでは急登が続く。稜線に出ると眺望も開ける。ここまでの登りの疲れが吹っ飛んでしまう・・・などと書いている本などがあるが、しんどいもんはしんどいんじゃい!稜線に出て道が緩やかになるから、しんどさが軽減して疲れが吹っ飛んだ気になっとるんとちゃいますかなどと愚痴ってても仕方が無いので先に進もう。

 稜線に出てから山頂の手前まではルンルン気分のお散歩である。山頂に近づくと岩場となる。鎖場などもあり楽しませてくれる。この楽しい岩場を過ぎると山頂は間近。

 白髪岳からの眺めは最高!のはずであるが遠く中国から偏西風に乗ってやってきた黄色い砂の影響で霞んでいて残念。山頂の標識も新しいのが建てられていた。住山自治会が昨年10月に新設したようだ。地元の山への登山に理解を示してくれる自治会に感謝である。

 白髪岳山頂で昼食を取ったあと松尾山へ向かう。白髪岳山頂からいきなりの激下りである。昨日の雨の影響でぬかるんでいるので滑らないように注意しながら下る。急勾配を下りきると松尾山山頂の手前までは緩やかな道が続く。「松尾山山頂→」の標識からひと踏ん張りの急登で松尾山(高仙寺山)の高仙寺城(酒井城・松尾城)の本丸跡だった山頂に到着する。

 高仙寺城は、矢代酒井党の惣領主水介氏治が築いたと伝えられている。氏治は南矢代城を本拠としていたが、明智光秀の丹波攻めが始まると、さらに酒井党が割拠する諸城の要城として、標高もあり峻険な松尾山上に新たに城を築いたということだ。丹波の山には織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めが絡んだ山城跡が多く残る。それだけ壮絶きわまる戦乱だったのだろう。

 松尾山からの下りにも千年杉、高仙寺の僧侶の墓である卵塔群、愛宕堂(朽ち果てかけているのが残念)や高仙寺本堂跡、阿弥陀堂跡等歴史を感じながら下山することができる。

 下山道も終わりに近づいてくると土砂崩れや倒木でかなり道が荒れていた。新しい標識類の整備もありがたいが荒れた登山道は危険である。こちらの方も何とかしてもらいたいものだが自治会レベルでは無理だろう。篠山市や兵庫県で整備にあたって欲しいものだ。

 山道が終わり林道に出ると今日の山行もゴール間近。ゆっくりと林道を下り駐車地点へと戻った。今回も同行の仲間たちと楽しい山歩きを楽しませてもらった。皆さんありがとうございました。また第3回のダッチオーブンパーティーでお会いしましょう!って、その前に他の山で会うだろうけど・・・。既に数名とは、このブログ記事を書く前に囲炉裏の月例会で会いましたが (^o^;)
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登頂日
2009年10月12日(月)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 谷川・中村町

JR本黒田駅⇒(25分)⇒大歳神社⇒(26分)⇒喜多・秋谷コース出合い⇒(33分)⇒門柳コース出合い⇒(9分)⇒白山〔510m〕⇒(33分)⇒十字路⇒(8分)⇒妙見山頂上〔三角点:622m〕⇒(6分)⇒妙見山最高点〔634m〕⇒(33分)⇒妙見堂⇒(8分)⇒十字路⇒(40分)⇒笛路〔林道起点獣よけフェンス〕⇒(36分)⇒JR谷川駅








 白山に登って来た。といっても日本百名山ではなく、同じ100山でも『ふるさと兵庫100山』の白山である。

 『ふるさと兵庫50山』がいつの間にやら『ふるさと兵庫100山』になっていた。平成20年に創立60周年を迎えた兵庫県山岳連盟が県や神戸新聞社と協力して100山を選定し、今年の3月10日に神戸新聞紙面にて発表された。10年前に兵庫県山岳連盟の創立50周年を記念して選定された『ふるさと兵庫50山』は全て含まれている。要するに新たに50山が選定され『ふるさと兵庫100山』になったのである。このブログのカテゴリに『ふるさと兵庫100山』を追加。『ふるさと兵庫50山』に選定されていた山は、今後も『ふるさと兵庫50山』のカテゴリに分類。新たに選定された50山を『ふるさと兵庫100山』に分類することにする。

 今回登ってきたのは『ふるさと兵庫50山』に選定されていた白山。主峰の妙見山から南西に向かって高度を下げる稜線上にある標高510mの山である。『ふるさと兵庫50山』選定時に、主峰の妙見山の方がふさわしくないかとの意見があったそうだが、同名の妙見山が他に二山選定されていることと展望が利かないのに対し、日本百名山の白山と同名であること、展望の良さで白山が『ふるさと兵庫50山』に選定されたそうだ。

 バイクでJR福知山線谷川駅へ。駅前の駐輪場にバイクを停め、谷川駅から加古川線に乗り本黒田駅で下車。前坂コース登山口の大歳神社へ向かう。大歳神社前でGPSをチェックしたら電源が切れている。・・・なぜ?・・・ 本黒田駅前でトラック記録をONにし、トリップ情報もリセットしたのに??? チェックしたところスタートから100m程進んだところで電源が落ちたようだ。大歳神社前で電源再投入後は下山まで問題なく動作していた。原因不明である。ということで今回のルート図のスタート地点はJR本黒田駅ではなく大歳神社になっている。

 大歳神社境内の右側から山道に入っていく。枝尾根の急登が続くが30分弱で稜線に出ると喜多・秋谷方面からの道が合流してくる。稜線に出るとうって変わって緩やかな道となる。尾根上や尾根の腹を進んでいく。門柳方面からの合流地点を過ぎると白山山頂まで急登となり10分程で山頂に達する。露岩に「白山頂上 510M」の標柱が立っている。南方向に展望が開け、空気が澄んでいる日には明石大橋まで見渡せるそうだが、今日はそこまでは見えない。

 白山山頂を後にし妙見山へ向かう。稜線上をアップダウンを繰り返しながら進んでいくのだが、両サイドとも樹林に覆われ展望はない。鬱蒼とした樹林に囲まれた尾根を黙々と歩いて行く。

   前方に案内板が見えてくる。この案内板の場所が十字路である。十字路から妙見山まで激登りとなる。樹林で覆われた薄暗い山頂には「白山頂上 622M」の標柱と三頭三角点がひっそりと立っている。展望も無いので写真だけ撮って先へ進む。この先妙見山の最高地点634mから妙見堂を周遊して十字路に戻る。

 十字路から本黒田方面に下山。杉の植林地帯の分岐を谷川方面に向かうが、先日の台風18号の影響か杉の小枝が一面を覆っており踏み跡が全く判別できない。一定間隔で植林されているので、植林から道を判断することも出来ない。傾斜の具合や所々にあるテープを頼りに下っていくとやがて荒れた林道に合流。林道を下っていくと林道沿い左手に獣よけのフェンスが現れ、やがて集落が見えてくる。林道起点の獣よけフェンスを出ると笛路の集落に入り下山完了。ここからJR谷川駅まで35分程である。

 駅に向かう途中にコンビニか自動販売機があれば炭酸飲料でも買って喉を潤そうと思っていたのだが、結局駅に辿り着くまでコンビニはもちろんのこと自動販売機すら1台も無かった。丹波竜の化石発見で一躍名前が知れ渡った丹波市。「恐竜うどんあります」などと怪しい張り紙をした店はあっても自販機は無いのであった。。。


兵庫百山選定(神戸新聞) PDFファイル

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登頂日
2009年8月29日(土)
天 候
曇り
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 谷川

西光寺池(本荘地区)⇒(15分)⇒東屋⇒(43分)⇒西光寺山山頂⇒(18分)⇒金鶏山西光寺跡⇒(32分)⇒東屋⇒(3分)⇒サギソウ自生地⇒(6分)⇒西光寺池(本荘地区)








 サギソウを求めて西光寺山に行ってきた。自宅を早朝6時に出発。三田方面から県道141号線を北上、本荘交差点を越えて400m程で左手にある公民館の手前の道を左折。道なりに進むと墓地がある。ここから地道の林道になる。林道を少し入ったところにある西光寺池手前にある駐車スペースにバイクを停め準備をしていると、地元の老人が通りかかる。「釣り?」と問いかけられ、「いえ、西光寺山に登ります。」と答えると「そりゃ、たいへんやなー。三田から来はったんかいな。三田はどちら?」などと会話を交わす。この周辺の地主の方で、朝食後に登山口手前の東屋まで散歩するのが日課になっているそうだ。

 東屋まで老人と一緒に行くことにして歩いていると「サギソウ見たことある?せっかく来たんやからサギソウ見て行き。」とサギソウ自生地に入る。このサギソウ自生地も老人の所有地だそうだ。サギソウ観賞が目的だったのが、老人と一緒だったので写真は下山後に撮影することにして先に進む。

 東屋の手前に「寺坂登山道」の標識があり左斜め前方に踏み跡がある。老人が話によると、寺坂登山道を登ると寺跡があり、このあたりで迷いやすく、間違った踏み跡を登ると、とんでもないところに行ってしまうので登りではなく下りに辿ったほうが良いとのこと。ここは地主さんの指示に従ったほうが賢明なのでそのまま林道を進む。

 東屋で老人と別れ林道をしばらく進むと林道は終点を向かえ山道に入る。山道を登りだすとすぐに水場があり、その先左手に立派な炭焼き窯がある。炭焼き釜を通り過ぎると細い急登の連続となる。道の両脇に生い茂る草木を掻き分けながら登って行くのだが、葉っぱの雨滴でシャツもズボンもビショビショだ。蒸し暑いので合羽を着る気にもならず我慢して登る。

 大きな岩がでてくれば山頂は間近。やがて目の前が開け東屋が目に入る。山頂に到着である。東屋の中を通り抜けたところに祠がありその奥に三角点がある。山の眺望図が設置してあるがガスがかかり展望はゼロである。東屋でコーヒータイム後下山する。

 山頂から200m程を戻ると分岐がある。左方向(登ってきた道)には「今田本荘バス停」とあるが直進方向への案内はない。ここを直進方向に進んでいく。緩やかな道を下っていく。分岐から15分ほどで開けた場所に下り立つ。金鶏山西光寺跡である。木に「金鶏山西光寺」「寺屋敷跡」などのブリキ看板が取り付けてある。地主の老人が言ってたように迷いやすそうな地形である。寺跡から沢沿いを下っていくと所々にテープのマーキングを発見。とりあえず道は間違っていないようだ。

 西光寺跡から30分ほどで緩やかな植林帯に入る。草むらに転がっている「本堂跡山頂至る」のボロ標識を通り過ぎるとやがて行きに通ってきた林道に合流。サギソウ自生地に立ち寄り、写真を撮ってから帰路に着いた。

サギソウ(さぎそう)
【鷺草 学名:Habenaria radiata (Thunb.) Spreng.】
 ラン科の多年草。地中に球根をつくって冬を越し、春に発芽する。葉は細く、茎を抱くようにして5-7枚互生する。7-8月、花茎を20-30センチメートルに伸ばし、径約3センチメートルの花を2、3個開く。萼片(がくへん)3枚は緑色で小さいが、花弁3枚は白色で目だつ。ことに唇弁は大形で周辺が細かく裂け、後方には長い距(きょ)がある。この花形がサギの飛び立つ姿にみえるとして、サギソウの名がついた。日当りのよい湿原の草間に生え、群生することもある。東北地方南部から九州に分布する。
西光寺の金の鶏伝説(民話)
 昔、西光寺山の頂上に、修行を積んだ 偉いお上人様が粗末な庵に住み、村人 達に功徳を施していました。
 お上人様が毎朝熱心に、立派な木箱にお祈りしているので、村人達が不思議に思って尋ねると、お上人様は「箱の中には村が飢饉や疫病に襲われた時に救って くれるものが入っている。そんな事が起きないように祈っているのだが、中を見ると悪い心を起こす者が出てくるので、決して見てはならない」と言われた。
 見るなと言われると見たくなるのが人情で、ある日お上人様が不在の時、村の若い者が箱の中を見ると、金無垢の鶏がまばゆい光を放っていた、この事が村人の噂になり、通りがかりの旅人が耳にして、お上人様が寝静まった夜、庵に忍び込んで箱を開けたところ、昼をも欺く稲光と雷鳴が轟き、旅人は深い谷間に転げ落ちた。
 2・3日後、お上人様が山から降り、村人達に 「自分の言いつけに背いた者があった。私はまた修行の旅に出るが、宝物はこの山に残して行く。みんなが力を合わせて働けば、宝物は役立つ時が来るだろう」と言って旅立った。
 その後この山の上に立派なお寺が建立され、「金鶏山西光寺」と名付けられました。 今でも山の別名を「金鶏山」と言い、それ以来地元では、お正月が明けると西光寺の 何処かで金の鶏が金色の光を放っていると言われる。
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