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北摂・丹波・兵庫の最近のブログ記事

登頂日
2010年4月17日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー4名

農業公園駐車場⇒Cコース⇒明神山山頂⇒Aコース⇒農業公園駐車場









 姫路市北部夢前町(ゆめさき)の明神山に登ってきた。三角錐の優美な容姿から夢前の播磨富士と呼ばれ、ふるさと兵庫100山(50山)にも選出されている名山である。何故「夢前の播磨富士」なのかというと「播磨富士」が複数存在するからだ。知っている限りでは、今回の明神山と高御位山(たかみくら)、笠形山の三山が「播磨富士」と呼ばれている。

 明神山の南に位置する夢さき夢のさと農業公園の駐車場を起点にする。ネットで調べてみると明神山には、A・B・C・D・E・Au・大明神とコースがあるようだ。今回はCコースで登りAコースで下るルートを取る。

 駐車場を出発し舗装道を少し進んだ分岐点に「兵庫五十山 夢前の播磨富士 明神山登山口」と掘られた石標が立っている。この分岐を右にとりCコース入口に向かう。Cコースの入口は獣よけの電流柵で塞がれているが、開けて通るように説明書がしてある。

 登山道はよく整備されている。いたるところに黄色のペンキで進行方向の矢印や○などが岩に書かれている。登山者のことを思って書いているつもりだろうが、いかなる理由があろうが自然の岩に『落書き』をするのはやめていただきたいものだ。

 低山ではあるが、岩場あり、馬の背あり、急坂ありと変化に富んだコースである。また所々にある巨岩の上からの眺望も最高だ。頂上直下には『明神山・最大の難所 明神の鎖場』と書かれた貧素な札が木にぶら下がっている。この鎖の無い鎖場(ロープ場?)を登りきるとすぐに頂上だ。

 三等三角点の置かれた山頂には、カラフルでおしゃれな山名標識が立っている。展望も最高。絶景が広がっている。バンダナショットを撮ってから昼食タイム。Rさんが用意してきてくれた温泉卵入りぶっかけうどんとコンビニで買ってきたお寿司にPさん持参のオイルサーデン。デーザートは、Yちゃんが持ってきてくれたオレンジ(デコポン?)と美味しくいただいた。

 下山はAコース。こちらのコースも夢展望台やマンモスの背など楽しみながら下ることができた。下山地近くの岩屋池に映る逆さ明神が見れるとのことで立ち寄ってみたが、残念ながら奇麗な逆さ明神を見ることはできなかった。

 明神山の近くにあるヤマサ蒲鉾の夢鮮館に立ち寄ってから帰路についた。
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登頂日
2010年4月10日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー10名

JR生瀬駅⇒武庫川渓谷(旧福知山線)廃線跡⇒JR武田尾駅









 武庫川渓谷(旧福知山線)廃線ハイクを楽しんだ後に神戸キリンビアパーク工場見学&ビール試飲か花見宴会をしたいなと思い立ち、山仲間にメールをしたのが6日。急な話なので参加してくれる人はいないかなと思っていたら10人の仲間が参加してくれることになった。

 神戸キリンビアパークか花見宴会どちらにするかだったのだが、神戸キリンビアパークはいつでも行けるが花見宴会はこの季節じゃないとできないということで花見宴会をすることになった。

 JR生瀬駅に集合し武庫川渓谷配線跡に入る。絶好の花見日和の好天とあり、多くのハイカーが歩いている。コースの入口には、JR西日本設置の警告看板(ハイキングコースではないので、関係者以外の立ち入りは認めてないという内容。立入禁止ではなく、認めてないと書いてあるところが心にくい)が立っているのだが、絶好の花見日和の好天とあり、多くのハイカーで賑わっている。

 廃線跡に入り最初のトンネルである北山第一トンネルに到着。トンネル前には、兵庫登山会のゴミ看板が今も立っていた。景観を損ねるゴミ看板は早々に撤去してもらいたいものだ。前回来た時までは、トンネルを通らなくても川沿いの道を歩くことができたのだが、フェンスが設置されトンネル脇の道には入れなくしてある。また、川沿いの錆だらけだった柵も真新しいフェンスに付け替えられている箇所が数箇所あり、ハイキングコースとして認めていないのに、お金を掛けているJR西日本に脱帽である。

 溝滝尾トンネルを抜けると第二武庫川橋梁が架かっている。このトラス橋の前でバンダナショットを撮影。第二武庫川橋梁は本線部のフェンスも真新しくなっている。川沿いにもフェンスが付けられ、何故か保線通路へ出るところだけ空けてある。これってここを通ることを認めてるってことですか?JR西日本の考えが良くわからない。

 桜の園前の親水公園でしばし休憩。みんな思い思いに桜を眺めたり、写真を撮ったりしている。

 休憩後、最後のトンネルである長尾第三トンネルを抜けた先の長尾淵の広場で約2時間のハイキングを終え花見宴会をすることにした。メニューは、鍋・BBQ・焼きそば・女性陣お手製のサラダやいかなごのくぎ煮などなど。お酒は、ビール・日本酒・焼酎・ワイン・ウイスキーと何でもありである。仲間で楽しむ花見宴会はあっと言う間に時間が過ぎ、気が付けば夕方5時前になっていた。5時間に及ぶ宴会を終え、JR武田尾駅に戻る。駅前で軽く二次会をしてお開きとなった。

 今回も急なお誘いにもかかわらず参加いただきありがとうございました。時間も忘れてしまう楽しい一時でした。また野外宴会しましょう!
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登頂日
2010年4月4日(日)
天 候
晴れ/曇り
同行者
囲炉裏村メンバー2名

JR道場駅⇒神戸市水道局千苅貯水場⇒千苅貯水池周遊⇒千苅ダム⇒神戸市水道局千苅貯水場⇒JR道場駅








 hidetyan主催の低山オフにドタ参させてもらった。今回の低山オフは神戸市の水源である千苅貯水池を周遊するコース。集合場所がJR道場と我が家からはとっても近い。また、千苅貯水池のほとりを歩いたことは何度かあるが、ぐるっと一周したことはないので是非参加したい企画だった。

 しかし前日が山仲間との串かつがメインの大阪アルプス縦走。多分串かつの後にもどこかに飲みに行くだろうと思ってたので、参加表明したはよいが、朝起きれなかったら洒落にならないので、朝起きれたらドタ参させてもらおうと思っていた。

 何とか起きることはできたが。前日の酒が残っているのが自分でもわかる。ただ頭痛や胸焼けなどの二日酔いの症状がなかったので参加させてもらうことにした。

 JR道場駅を出発し、波豆川の沿道を神戸市水道局千苅貯水場へ向かって歩いていく。通常は神戸市水道局千苅貯水場の中には入れず、水道局の敷地横の細い道を川沿いに千苅ダムまで歩いていくのだが、今日は水道局の敷地内で「千苅さくら祭り」が開催されており、中を通り抜けることができる。敷地内には数種類の桜が奇麗な花を咲かせていた。

 水道局を通り抜けると前方に雄大な千苅ダムの石積みの堰堤が見えてくる。凄い勢いで放水している千苅ダムをしばし眺めた後、対岸に渡り大岩岳への山道に入る。途中で大岩岳への道と別れ、貯水池沿いの道を進む。倒木が多く、障害物レースの様相を呈している箇所もあり、淡々と歩くよりは楽しい。

 途中、マウンテンバイクのグループとすれ違う。こんな細く、倒木もあるし、ひとつ間違えば貯水池にドボンという危険なコースをよく走るものだと関心してたのだが、千苅ダムまで戻った時に再開したグループの人に聞いたら、一人貯水池に落ちたそうだ。

 波豆地区の車道に到着。ここで前半が終了。車道を少し歩いたところにある八幡神社脇の桜の木の下で昼食。桜と貯水池を眺めながらの昼食は最高であった。

 後半は近畿自然歩道になっている。竹薮やゴルフ場の脇を抜けていく。途中ぬかるんでいる箇所を滑らないように注意深く歩く。何度か通って見慣れた砂防堰堤が見えてきた。ここまでくれば千苅ダムはもう間近である。貯水池沿いから堰堤脇の階段を下ると水道局の裏門である。帰りも水道局の敷地内を桜見物しながら通り抜け道場駅へと戻った。

 駅前の店でビールとつまみを買って小打ち上げをしていると囲炉裏のHさんとIやんが登山教室を終えて駅まで戻ってきたのにバッタリ遭遇。今回のオフは山がなかったので撮っていなかったバンダナショットを5人で撮影して解散となった。

 今回も楽しい一日を過ごすことができました。ご同行いただいたお二人に感謝!ありがとうございました。
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■千苅貯水池
 千苅貯水池は、武庫川水系の羽束川(はつかがわ)および波豆川(はずがわ)を水源とする神戸市で一番大きな水道専用の貯水池です。ダム(えん堤)周辺は神戸市(北区道場町)ですが、貯水池の北側部分は三田市や宝塚市にまたがります。 千苅貯水池のえん堤は、平成10年に国の登録有形文化財にも登録され、近代土木遺産にも位置づけられています。えん堤下の千苅広場は、毎年さくらの季節には一般開放し、地元の道場町観光協会主催で千苅桜まつりが開催されます(通常は入ることができません)。また貯水池周辺には、JR道場駅から宝塚方面へ抜けるハイキング道「太陽と緑の道」が通っています。

・ダムの大きさ
高さ42メートル/長さ106メートル
・面積
112万平方メートル
・貯水量
1160万立方メートル
・池の周囲
23キロメートル
・建設
第1回工事 大正3年?8年
第2回工事 昭和4年?6年(ダムを6メートル高くしました)
・場所
神戸市北区道場町 宝塚市 三田市

■参加メンバー
hidetyan・maruさん・大将 以上3名
登頂日
2010年3月28日(日)
天 候
曇り時々晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 福住

春日神社登山口⇒高城山山頂(八上城本丸跡)⇒藤之木坂登山口⇒春日神社登山口








 以前から気になっていた八上城跡(高城山)に行ってきた。何がどう気になっていたかというと、同じ丹波の金山城本丸跡(金山山頂)に「黒井城を望む」「八上城を望む」と書かれた杭が立っている。黒井城は過去に2度登っているが、八上城は登ったことがない。気にはなっていたもののついつい忘れていたのだが、つい先日のオフ会で金山に登った時に思い出したのだ。

 ネットで調べてみると国の史跡に指定されており、登山道も整備されてるようなので行ってみることにした。

 春日神社登山口から登ることにした。整備されているのは良いのだが登りは階段。行けども行けども階段である。途中「下の茶屋丸」「中の壇」「上の茶屋丸」などの遺構がある。中でも「三の丸跡」は石垣もわずかであるが残っていた。

 結局「二の丸跡」まで登りは階段であった。「二の丸跡」すぐ先の一段高い丘状ところが「八上城本丸跡」すなわち高城山の山頂である。登山口からわずか30分弱で登ってきたが、ずっと階段道だったのでかなり疲れた。

 山頂には波多野秀治の顕彰碑が建っている。顕彰碑の前の広場にはベンチが設置されており、裏には案内板がある。何故案内板が裏にあるのだろうか?ベンチの横あたりにでも設置すれば良いのに何故か裏である。

 山頂でランチタイム。カップラーメンと食後のコーヒーで約30分の山頂滞在となった。下山は藤之木坂登山口へ下ることにした。こちらのルートも「蔵屋敷」「はりつけ松跡」「馬駆」「芥丸跡」などが残っている。下山ルートも平坦な箇所以外は階段ずくめであった。整備されているのはありがたいが、傾斜部をほとんど全部といっていいほど階段にする必要性はないのではないかと思う。藤之木坂登山口から7分ほどで春日神社登山口まで戻った。

■八上城
 八上城(やかみじょう)は、兵庫県篠山市にあった中世山城。国の史跡に指定されている。別名は八上高城。

 石見の人ともされる波多野稙通が戦功をあげて永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡多冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まる。弘治3年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたが、永禄9年(1566年)に波多野晴通、秀治が奪還した。
 天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され、毛利氏や赤井氏の支援があったものの天正7年(1579年)に落城。波多野氏は滅亡した。この合戦で、明智光秀の母(伯母とも)が磔になった城としても知られる(後世の創作という説もある)。また、井上靖の『戦国無頼』の後半はこの落城時を舞台としている。
 慶長7年(1602年)、前田茂勝(五奉行の前田玄以の子)が八上五万石を領して入城する。 慶長13年(1608年)に茂勝が改易され、入封した松平康重が篠山城を築城したため八上城は廃城となった。

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登頂日
2010年3月27日(土)
天 候
晴れ
同行者
久々の単独行
地 図
地形図 1/25,000 比延

三草登山口⇒(三草コース:55分)⇒三草山山頂⇒(鹿野コース:70分)⇒三草登山口








 今週末は山の会のオフや仲間との山行が入っていない。朝早く起きれたら、六甲山の魚屋道(阪神深江から有馬)でも久しぶりに歩いてみようと思っていたのだが、目覚めたのが午前6時前「こりゃダメだと魚屋道はあきらめることにした。6時だったら早いと思われる方も多いと思うが、単独で行動する場合は超早朝派なのだ。

 魚屋道はあきらめたが、散歩程度に登れる山にでも行きたいと思うのだが、手ごろな山が思いつかない。有馬富士・羽束山など地元の登り慣れた山に行く気分ではない。そこでふと思いついたのが、山仲間が数週間前に登ってた三草山。『ふるさと兵庫50山』が100山に増えた時に新たにに『ふるさと兵庫100山』に選定された山である。北摂に同名の三草山があるのだが、こちらも同時期に『ふるさと兵庫100山』に選定された。どちらの三草山も源平合戦にまつわる話が伝わっている。

 三草山に行くことに決めたが、三草登山口と鹿野登山口どちらから登るかだ。鹿野登山口の方が我が家からは近いのだが三草登山口を起点に三草コースで登り、鹿野コースで下山するルートを選択した。

 登山口から三草コース方面に歩き出す。しばらく林道を歩き山道に入る。見晴らしの良い道がほぼ一直線に続いている。岩場の箇所が多く傾斜のきつい岩場には鎖の手すりが設置されている。後ろを振り返ると昭和池がコバルトブルーに輝いている。

 三草コースは山頂までに4つのピークを越える。この三草山は背の高い樹林がなく陽射しを浴びながら登っていく。気温も高めで無風状態でもって晴天の陽射しの中の登りは暑い!一つ目のピークに登り、先を見ると山肌にくっきりと一直線に登山道が見えている。ということは次のピークまでも樹林で日陰になるところはないのか。2つ目、3つ目とピークを過ぎ、そして最後のピークを通過し山頂に到着。結局山頂に到着するまで日陰はなかった。真夏のピーカンの日には絶対に登りたくない山だ。

 二等三角点の置かれた360度のパノラマが広がる山頂は三草山城址となっている。三草山城は、一ノ谷の戦いの前哨戦とも言える三草山の古戦場跡でもあり、南北朝時代には赤松氏が城を築き、嘉吉の乱で赤松氏が山名氏とこの地を巡って戦ったそうだ。

 山頂で景色を見ながら、遅めのお昼と食後のコーヒーをいただく。単独山行としては珍しく45分とゆっくりのランチタイムであった。

 下山は鹿野コースである。下り始めてすぐに畑コースとの分岐点となる。鹿野コースは雑木に囲まれた箇所が多く見晴らしはイマイチ。しかし雑木といってもちょっと高めの垣根のようなもので、やはり日よけにはなっていない。こちらのコースもいくつかのアップダウンを繰り返しながら下っていく。

 突如登山道に石の鳥居が現れる。くぐり抜けて前方から見ると『三草山神社』の額が掛かっていた。この鳥居を越えてしばらく行ったところに標識がある。この標識を見落とすと鹿野登山口に下ってしまうので注意が必要。ほぼUターンに近い状態で道がついているのでそちらに向かう。やがて昭和池のほとりに下り立ち。昭和池沿いの道を登ってきた三草山や稜線を眺めながら歩く。

 昭和池のほとりを堰堤まで戻れば三草登山口駐車場である。ランチタイムもあわせて2時間45分の行程。アップダウンに岩場、池沿いの道と楽しめる山でした。逆コースで登ってみるのも楽しそうである。ただし夏場は遠慮しておこう
■三草山の戦い
 三草山の戦い(みくさやまのたたかい)は、治承8年/寿永3年2月5日(1184年3月18日)播磨国の三草山における源義経軍と平資盛軍による戦い。平安時代末期の内乱である治承・寿永の乱の合戦の一つで、一ノ谷の戦いの前哨戦である。

 寿永3年(1184年)正月末、平氏追討の宣旨を受けた源範頼・源義経率いる源氏軍は平氏が拠点とする福原を目指して出陣した。2月5日に摂津国に入ると、東西から挟み撃ちにするために軍勢を二手に分け、大手(福原の東方)を攻める範頼は西国街道を、搦手(福原の西方)を攻める義経は丹波路を進み、2月7日が矢合わせ(攻撃決行)となった。
 一ノ谷を目指して丹波路を進軍する義経を迎え撃つため、平氏方の平資盛・平有盛・平師盛らが播磨国三草山の西に布陣する。義経は東方に陣をとり、源平両軍が三里ほどの至近距離で対峙する事となる。
 丹波との国境に近い三草山は、交通の要所であると同時に険阻な山と深い谷に囲まれた軍事的要衡の地であった。平氏の荘園の地であったと見られ、平氏に地の利があるこの場所が防衛拠点として選ばれたと見られる。
  『平家物語』「三草合戦」の段によると、義経は土肥実平を呼び、今晩夜討ちをかけるか、明日の合戦とすべきかを問う。田代冠者信綱が進み出て「明日の合戦となれば、平家の軍勢は増すので、数の上で有利な今、夜討ちをかけるべきです」と進言。義経はそれを受け入れ、夜討ちを決行するべく民家に火を放って進撃した。
 夜討ちを予想していなかった平氏軍は武具を解いて休息しており、源氏軍の夜討ちにあわてふためいて敗走し、あっけなく源氏軍の勝利となった。
 資盛・有盛は高砂より海路で屋島に渡り、師盛はかろうじて福原の平氏本隊へ戻っている。

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