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登頂日
2008年5月18日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 黒井
ルートmap by GARMIN etrex VISTA HCX

登山口駐車場⇒(25分)⇒山頂〔黒井城本丸跡〕⇒(25分)⇒登山口駐車場






 戦国時代の山城で、国の史跡に指定されている丹波市春日の猪ノ口山に築かれた黒井城跡に登ってきました。麓にある下館(現興禅寺)は、徳川三代将軍家光の乳母である春日局の生誕地としても有名です。
 黒井城は、駅からはじまるハイキング黒井コースを歩いたときに一度登っていますが、三尾山から近いので再度登ることにしました。麓の登山口にある無料駐車場にバイクを停め出発です。駐車場からの登山道は、車が入ってきた道をそのまま登るルート駐車場奥の階段を上るルートの2本あります。この2本は中腹の石踏みの段跡で合流します。前回は車道に沿った登山道を登ったので、今回は駐車場奥の階段から登ることにしました。階段を登りきったところ(山頂まで800m)を左に折れしばらく行くと獣よけのフェンスとゲートがあります。ゲートを通り抜け、やや急な登りを進むと展望の開けた石踏みの段跡に着きます。ここからひと登りで山頂に着きます。山頂部は二の丸跡三の丸跡と一段高いところに本丸跡があり「保月城跡」の石碑が建っており、360度の展望に目をみはります。本丸の石垣が残っており戦国期を偲ばせます。しばらくの休憩の後、ピストンで下山しました。
黒井城解説(パンフレットより抜粋)
 黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城跡は、猪ノロに(標高356メートル)にある山城で、南北朝時代の建武2年(1335)春日部荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まります。
 その後約200年間数代にわたって城主の変遷がありましたが、戦国動乱のさ中の天文23年(1554)荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、その勢力の拡大とともに文改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。
 一番高い山頂の本城部分には、複数の曲輪を並ベ、これを囲んで中腹に6つの曲輪を配置し、さらに枢要な尾根には、砦を築いています。  また、山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切り・切り岸などの防御施設が埋もれていて、約120ヘクタールにも及ぶ広大な猪ノロ山系全体が城域であり国の史跡となっています。
 天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。
 その後、一部本城部分に改修が加えられましたが、400余年の風雪に耐え、今でも我国時代から織豊時代へかけての城の様子をそのまま残している城跡として高い評価を受け、平成元年国の史跡に指定されました。
登頂日
2008年5月18日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 宮田
ルートmap by GARMIN etrex VISTA HCX

駐輪地〔舞鶴若狭道高架下〕⇒(45分)⇒三尾山山頂⇒(15分)⇒中三尾⇒(10分)⇒前三尾⇒(38分)⇒駐輪地〔舞鶴若狭道高架下〕






 駅から始まるハイキングの福知山・綾部・豊岡の3コースを歩いた時に、JR福知山駅まではバイクで移動し福知山駅の駐輪場にバイクを停めてそれぞれのコースをまわってました。その行き帰りに、丹波市の県道69号線に「三尾山登山口」の標識があるのが目についてました。気にはなっていたのですが、そのうちに忘れてしまってたのをふっと思い出し、ネットで検索してみると兵庫の50山のひとつとのこと、下調べもそこそこにカシミールから地形図をプリントアウトし出発です。県道から登山口の標識に従い左折し進んでいくと舞鶴若狭自動車道の高架下を抜けるところで、道をネットがふさいでいるではないですか。バイクから降りて確認してみると、獣よけのネットでハイカーはネットを開けて通るようにと張り紙がしてあります。ご丁寧にネットの開け方の解説まで記載してあるではないですか。ということで、ネットの手前にバイクを駐輪し、ネットを越えて先に進んでみることに。高架を潜ってすぐ先に階段があり、その先が林道っぽくなっていて、林道沿いの木にテーピングも見受けられたので、ここが登山口かなと思いながらもちょっとおかしいぞって感じです。何故なら兵庫50山であるにもかかわらず、登山口に何の案内も無いのはおかしい。少し中に入ってみましたがテーピングも作業用のものらしく見えてくる。案の定100mばかり入ったところで林道は消えうせてしまいました。しかたないので引き返し、バイクで少し戻ってみることに。戻りながら左カーブの右手の鉄製のゲートに目をやるとゲートに張ってある貼紙に見覚えが・・・ そう先ほどの獣よけのネットのところに貼ってあったものと似ているではないか。近づいて確認するとやはりそうでした。山道に入ってから獣よけのフェンスが張り巡らしてあり、ゲートを開けて入っていくってのは何度かありましたが、道路自体を封鎖した状態の獣よけはお初です。最初にここを通ったときは、正面に鉄製のゲートがあるので、当然どこかの敷地のゲートだと思い込んでいたので気づかなかったわけです。ゲートを開けバイクを乗り入れた後、ゲートを閉めて先に進むと、一人のハイカーが先を歩いています。間違いないってことで。バイクを停め出発です。荒れたコンクリート道をしばらく登ると左手に「三尾山登山道」の標識があり一安心、ここから先が山道となります。登山道には100mごとに山頂までの残り距離の標識が立っており、残り350mまでは急登が続きます。山頂まで350m標識の所で道は左右二手に別れ、左が山頂、右が前三尾展望地となっています。前三尾展望地は帰りによることにして山頂方向へ道を取り進んで行くと「中三尾↑」標識がありますが、ここも後回しにして山頂を目指します。山頂手前の短い急登りを越えると視界が開けた場所に出ます。目の前に三尾城の天守か本丸があったと思われる高台に登れば山頂です。山頂には「三尾城址」の石碑が建ち展望も広がっています。(山城だから当然ですが・・・) 山頂で展望を楽しんだ後、中三尾、前三尾展望地に立ち寄りました。共に分岐から5分ほどで到着。中三尾は樹林に囲まれ展望は皆無。前三尾展望地には、破れた日章旗が掲げられており、風になびいておりました。前三尾への途中「やれやれ地蔵尊」という30cmほどのかわいらしいお地蔵さんが祀られてました。前三尾から分岐地点へ戻りピストンで下山しました。
登頂日
2008年5月17日(土)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 神戸首部・有馬
昭文社 山と高原地図 六甲・摩耶 2008年版
ルートmap by GARMIN etrex VISTA HCX

六甲ケーブル下⇒(45分)⇒油コブシ⇒(25分)⇒六甲ケーブル山上⇒(12分)⇒記念碑台⇒(95分)⇒神鉄大池駅







 JR六甲道駅から神戸市バスで今日の出発地である六甲ケーブル下に移動。六甲ケーブル下駅東側の老人福祉施設が建ち並ぶ九十九折の舗装道を登ります。登りきった突き当たり左側が急な階段ではじまる登山道の入口です。六甲山系グリーンベルト整備事業の植林地を抜けてしばらく進むと、道が二手に分かれ、道標があります。どちらの道も油コブシへいけるようだが、道標には左側がゆるやかな道と消えかけの文字で書かれていたので、軟弱な私は迷わず左へ。ゆるやかな道の道端に高羽道の石の道標が2箇所設けられていました。先に進むと再び道標のある分岐があり、先の道標と同じく、どちらに進んでも行き先が同じになっていたので、見た目にゆるやかな左の道に進みます。途中、道標に従い高羽道から分かれ油コブシへと左に道を取り登っていくと岩場の間に三等三角点が鎮座する油コブシ山頂に到着。展望は全くありません。しばらく休憩した後、山上に向け出発。油コブシから先は、ゆるやかな道が山上まで続きます。山上からは車道で記念碑台を経て前ケ辻からシュラインロードで下山予定だったのですが、記念碑台のベンチに腰をおろし休憩がてら地図を眺めていると、記念碑台駐車場の奥からノースロードを経てシュラインロードに出るルートがあるのを発見。そちらの道を取ることにしました。シュラインロードは北六甲の唐櫃(からと)と山上を結ぶ道で、昔は「行者道」と呼ばれていたそうです。道沿いに、西国三十三カ所にちなみ三十三体の観音石像が並んでいます。明治時代に別荘を建て六甲山中で遊んだ外人さんたちが、石像が並ぶこの道をシュライン(神社)ロードと名付けたとのことです。
登頂日
2008年5月11日(日)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 武田尾

JR道場駅⇒(15分)⇒千苅貯水場正門⇒(5分)⇒千苅橋(千苅ダム)⇒(60分)⇒大岩岳⇒(55分)⇒千苅橋(千苅ダム)⇒(30分)⇒光明寺⇒(30分)⇒鏑射山展望台⇒(15分)⇒鏑射寺⇒(25分)⇒JR道場駅







 午前中の用事を済ませ、午後から近場ではあるが一度も行った事が無い道場から千苅水源地方面に行ってみようと思い立ち、そそくさと準備をして出発。JR新三田から電車に乗り道場まで二駅。電車の中でふとデジカメにメモリカード入れたっけ?と不安になり取り出して確認したところ入っていない。私のデジカメは内蔵メモリが11.4MBしかありません。仕方ないので画素数・画質共落し何とか20枚ほど撮れるように設定。その後ポケナビの電源を入れておこうと思ったらポケナビが入ってない。いきなりテンションが下がってしまい、今日は歩くのをやめて帰ろうかとも思ったのですが、せっかくここまで来たのだからとりあえず歩くことにしました。
 JR道場駅の宝塚方面側の踏切を渡り、羽束川沿いに舗装路を進むと、千苅貯水場の正門に出ます。駐車場の脇から貯水場のフェンスと羽束川の間を進むと正面に高さ約42mの千苅ダムの堰堤が見えてきます。この堰堤は他のダムのようなコンクリートではなく石積みの堰堤で歴史を感じさせられます。堰堤手前の千苅橋を渡り150m程戻った所左側をフェンス沿いに登って行きます。ここから山道となります。しばらく登ると眼下に干苅水源地が見えてきます。急登の混じるアップダウンを何度か繰り返し進んでいくと眺望の開けたピークに出ます。前方には目的地の大岩岳が目に飛び込んできます。ここから約10分で大岩岳に到着。360度に広がる眺望を楽しんだ後、ピストンで千苅ダムの堰堤まで戻り、千苅橋を渡り堰堤横の階段を登り千苅水源地湖岸を進んでいきます。湖岸から離れゴルフ場のトンネルを潜り進んでいくと視界が開け、光明寺墓園に出ます。墓園の舗装路を少し入ると左手に鏑射寺(かぶらいじ)への道標があるので、道標にに従い再び山道に入ります。ゴルフ場沿いにアップダウンを繰り返しながら進んでいくと道標があります。左が鏑射寺、右が展望台となっているので、展望台方面に道をとるとすぐに展望台です。展望台から分岐まで戻り、道標に従い鏑射寺方面に道をとり進んでいくと目の前に急登りが現れ、ここを登りきると舗装道路に出るので、左に行くとすぐに鏑射寺です。鏑射寺は近畿36不動尊第11番の札所で朱塗りの三重塔が見所です。鏑射寺からは舗装道路を下ってJR道場駅に戻りました。
登頂日
2008年5月6日(火)
天 候
晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 三田・藍本
ルートmap by GARMIN etrex VISTA HCX

新三田⇒(22分)⇒福島大池西側⇒(18分)⇒有馬富士登山口⇒(7分)⇒有馬富士山頂⇒(28分)⇒福島大池東側⇒(15分)⇒有馬富士公園パークセンター⇒(17分)⇒新三田







 今日は連休の最終日です。どこに行こうか色々と考えていたのですが、連休中に自宅の庭の手入れをしようと思っていたのを忘れてました。ということで今日は庭をいじらなければならないので、朝の散歩に有馬富士に登ってまいりました。
 自宅から新三田駅までバイクで移動。新三田から有馬富士公園までは、有馬富士公園のホームページで公開されている「てくてくマップ」のルートで登っていきます。このルートは有馬富士公園内の福島大池の西側に出ますので、そのまま福島大池の西岸の遊歩道を進みます。福島大池から離れ遊歩道に沿って北上していくと、右手に山頂への道標があり、道標に従い道を右にとり急な丸太階段を登ります。しばらく登ると、丸太階段から岩場混じりの急登となり、登りきった所が山頂です。登山道に入って山頂までわずか10分弱という距離ですので、普段山に登ったことがない方や家族連れの方でも難なく登れる山だと思います。新三田を出発した時点では、霧がかかり山の姿さえ見えない状態でしたが、山頂に着いた時点では、霧もすっかりと晴れており、しばらく眺望を楽しみました。
 南西のわんぱく砦から下山です。わんぱく砦は、「ロッククライミングのような場所」と有馬富士公園のホームページでは紹介されている岩場です。とはいっても「わんぱく」とネーミングされていることを考えていただければ、そんなに難所でないことがわかるかと思います。写真を撮ろうと思ったのですが、おもいっきりの逆光だったのであきらめました。下りも山道といえる様な道はわずかで、すぐに遊歩道に下り立ちます。後は、園内の遊歩道をぶらぶらして公園南側の車道沿いを新三田駅まで戻りました。
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