戦国時代の山城で、国の史跡に指定されている丹波市春日の猪ノ口山に築かれた黒井城跡に登ってきました。麓にある
下館(現興禅寺)は、徳川三代将軍家光の乳母である春日局の生誕地としても有名です。
黒井城は、駅からはじまるハイキング黒井コースを歩いたときに一度登っていますが、三尾山から近いので再度登ることにしました。麓の登山口にある無料駐車場にバイクを停め出発です。駐車場からの登山道は、
車が入ってきた道をそのまま登るルートと
駐車場奥の階段を上るルートの2本あります。この2本は中腹の
石踏みの段跡で合流します。前回は車道に沿った登山道を登ったので、今回は駐車場奥の階段から登ることにしました。階段を登りきったところ(山頂まで800m)を左に折れしばらく行くと
獣よけのフェンスとゲートがあります。ゲートを通り抜け、やや急な登りを進むと展望の開けた石踏みの段跡に着きます。ここからひと登りで山頂に着きます。山頂部は
二の丸跡・
三の丸跡と一段高いところに
本丸跡があり
「保月城跡」の石碑が建っており、360度の
展望に目をみはります。
本丸の石垣が残っており戦国期を偲ばせます。しばらくの休憩の後、ピストンで下山しました。
黒井城解説(パンフレットより抜粋)
黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城跡は、猪ノロに(標高356メートル)にある山城で、南北朝時代の建武2年(1335)春日部荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まります。
その後約200年間数代にわたって城主の変遷がありましたが、戦国動乱のさ中の天文23年(1554)荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、その勢力の拡大とともに文改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。
一番高い山頂の本城部分には、複数の曲輪を並ベ、これを囲んで中腹に6つの曲輪を配置し、さらに枢要な尾根には、砦を築いています。 また、山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切り・切り岸などの防御施設が埋もれていて、約120ヘクタールにも及ぶ広大な猪ノロ山系全体が城域であり国の史跡となっています。
天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。
その後、一部本城部分に改修が加えられましたが、400余年の風雪に耐え、今でも我国時代から織豊時代へかけての城の様子をそのまま残している城跡として高い評価を受け、平成元年国の史跡に指定されました。 |
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