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2010年3月アーカイブ

登頂日
2010年3月28日(日)
天 候
曇り時々晴れ
同行者
単独行
地 図
地形図 1/25,000 福住

春日神社登山口⇒高城山山頂(八上城本丸跡)⇒藤之木坂登山口⇒春日神社登山口








 以前から気になっていた八上城跡(高城山)に行ってきた。何がどう気になっていたかというと、同じ丹波の金山城本丸跡(金山山頂)に「黒井城を望む」「八上城を望む」と書かれた杭が立っている。黒井城は過去に2度登っているが、八上城は登ったことがない。気にはなっていたもののついつい忘れていたのだが、つい先日のオフ会で金山に登った時に思い出したのだ。

 ネットで調べてみると国の史跡に指定されており、登山道も整備されてるようなので行ってみることにした。

 春日神社登山口から登ることにした。整備されているのは良いのだが登りは階段。行けども行けども階段である。途中「下の茶屋丸」「中の壇」「上の茶屋丸」などの遺構がある。中でも「三の丸跡」は石垣もわずかであるが残っていた。

 結局「二の丸跡」まで登りは階段であった。「二の丸跡」すぐ先の一段高い丘状ところが「八上城本丸跡」すなわち高城山の山頂である。登山口からわずか30分弱で登ってきたが、ずっと階段道だったのでかなり疲れた。

 山頂には波多野秀治の顕彰碑が建っている。顕彰碑の前の広場にはベンチが設置されており、裏には案内板がある。何故案内板が裏にあるのだろうか?ベンチの横あたりにでも設置すれば良いのに何故か裏である。

 山頂でランチタイム。カップラーメンと食後のコーヒーで約30分の山頂滞在となった。下山は藤之木坂登山口へ下ることにした。こちらのルートも「蔵屋敷」「はりつけ松跡」「馬駆」「芥丸跡」などが残っている。下山ルートも平坦な箇所以外は階段ずくめであった。整備されているのはありがたいが、傾斜部をほとんど全部といっていいほど階段にする必要性はないのではないかと思う。藤之木坂登山口から7分ほどで春日神社登山口まで戻った。

■八上城
 八上城(やかみじょう)は、兵庫県篠山市にあった中世山城。国の史跡に指定されている。別名は八上高城。

 石見の人ともされる波多野稙通が戦功をあげて永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡多冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まる。弘治3年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたが、永禄9年(1566年)に波多野晴通、秀治が奪還した。
 天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され、毛利氏や赤井氏の支援があったものの天正7年(1579年)に落城。波多野氏は滅亡した。この合戦で、明智光秀の母(伯母とも)が磔になった城としても知られる(後世の創作という説もある)。また、井上靖の『戦国無頼』の後半はこの落城時を舞台としている。
 慶長7年(1602年)、前田茂勝(五奉行の前田玄以の子)が八上五万石を領して入城する。 慶長13年(1608年)に茂勝が改易され、入封した松平康重が篠山城を築城したため八上城は廃城となった。

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登頂日
2010年3月27日(土)
天 候
晴れ
同行者
久々の単独行
地 図
地形図 1/25,000 比延

三草登山口⇒(三草コース:55分)⇒三草山山頂⇒(鹿野コース:70分)⇒三草登山口








 今週末は山の会のオフや仲間との山行が入っていない。朝早く起きれたら、六甲山の魚屋道(阪神深江から有馬)でも久しぶりに歩いてみようと思っていたのだが、目覚めたのが午前6時前「こりゃダメだと魚屋道はあきらめることにした。6時だったら早いと思われる方も多いと思うが、単独で行動する場合は超早朝派なのだ。

 魚屋道はあきらめたが、散歩程度に登れる山にでも行きたいと思うのだが、手ごろな山が思いつかない。有馬富士・羽束山など地元の登り慣れた山に行く気分ではない。そこでふと思いついたのが、山仲間が数週間前に登ってた三草山。『ふるさと兵庫50山』が100山に増えた時に新たにに『ふるさと兵庫100山』に選定された山である。北摂に同名の三草山があるのだが、こちらも同時期に『ふるさと兵庫100山』に選定された。どちらの三草山も源平合戦にまつわる話が伝わっている。

 三草山に行くことに決めたが、三草登山口と鹿野登山口どちらから登るかだ。鹿野登山口の方が我が家からは近いのだが三草登山口を起点に三草コースで登り、鹿野コースで下山するルートを選択した。

 登山口から三草コース方面に歩き出す。しばらく林道を歩き山道に入る。見晴らしの良い道がほぼ一直線に続いている。岩場の箇所が多く傾斜のきつい岩場には鎖の手すりが設置されている。後ろを振り返ると昭和池がコバルトブルーに輝いている。

 三草コースは山頂までに4つのピークを越える。この三草山は背の高い樹林がなく陽射しを浴びながら登っていく。気温も高めで無風状態でもって晴天の陽射しの中の登りは暑い!一つ目のピークに登り、先を見ると山肌にくっきりと一直線に登山道が見えている。ということは次のピークまでも樹林で日陰になるところはないのか。2つ目、3つ目とピークを過ぎ、そして最後のピークを通過し山頂に到着。結局山頂に到着するまで日陰はなかった。真夏のピーカンの日には絶対に登りたくない山だ。

 二等三角点の置かれた360度のパノラマが広がる山頂は三草山城址となっている。三草山城は、一ノ谷の戦いの前哨戦とも言える三草山の古戦場跡でもあり、南北朝時代には赤松氏が城を築き、嘉吉の乱で赤松氏が山名氏とこの地を巡って戦ったそうだ。

 山頂で景色を見ながら、遅めのお昼と食後のコーヒーをいただく。単独山行としては珍しく45分とゆっくりのランチタイムであった。

 下山は鹿野コースである。下り始めてすぐに畑コースとの分岐点となる。鹿野コースは雑木に囲まれた箇所が多く見晴らしはイマイチ。しかし雑木といってもちょっと高めの垣根のようなもので、やはり日よけにはなっていない。こちらのコースもいくつかのアップダウンを繰り返しながら下っていく。

 突如登山道に石の鳥居が現れる。くぐり抜けて前方から見ると『三草山神社』の額が掛かっていた。この鳥居を越えてしばらく行ったところに標識がある。この標識を見落とすと鹿野登山口に下ってしまうので注意が必要。ほぼUターンに近い状態で道がついているのでそちらに向かう。やがて昭和池のほとりに下り立ち。昭和池沿いの道を登ってきた三草山や稜線を眺めながら歩く。

 昭和池のほとりを堰堤まで戻れば三草登山口駐車場である。ランチタイムもあわせて2時間45分の行程。アップダウンに岩場、池沿いの道と楽しめる山でした。逆コースで登ってみるのも楽しそうである。ただし夏場は遠慮しておこう
■三草山の戦い
 三草山の戦い(みくさやまのたたかい)は、治承8年/寿永3年2月5日(1184年3月18日)播磨国の三草山における源義経軍と平資盛軍による戦い。平安時代末期の内乱である治承・寿永の乱の合戦の一つで、一ノ谷の戦いの前哨戦である。

 寿永3年(1184年)正月末、平氏追討の宣旨を受けた源範頼・源義経率いる源氏軍は平氏が拠点とする福原を目指して出陣した。2月5日に摂津国に入ると、東西から挟み撃ちにするために軍勢を二手に分け、大手(福原の東方)を攻める範頼は西国街道を、搦手(福原の西方)を攻める義経は丹波路を進み、2月7日が矢合わせ(攻撃決行)となった。
 一ノ谷を目指して丹波路を進軍する義経を迎え撃つため、平氏方の平資盛・平有盛・平師盛らが播磨国三草山の西に布陣する。義経は東方に陣をとり、源平両軍が三里ほどの至近距離で対峙する事となる。
 丹波との国境に近い三草山は、交通の要所であると同時に険阻な山と深い谷に囲まれた軍事的要衡の地であった。平氏の荘園の地であったと見られ、平氏に地の利があるこの場所が防衛拠点として選ばれたと見られる。
  『平家物語』「三草合戦」の段によると、義経は土肥実平を呼び、今晩夜討ちをかけるか、明日の合戦とすべきかを問う。田代冠者信綱が進み出て「明日の合戦となれば、平家の軍勢は増すので、数の上で有利な今、夜討ちをかけるべきです」と進言。義経はそれを受け入れ、夜討ちを決行するべく民家に火を放って進撃した。
 夜討ちを予想していなかった平氏軍は武具を解いて休息しており、源氏軍の夜討ちにあわてふためいて敗走し、あっけなく源氏軍の勝利となった。
 資盛・有盛は高砂より海路で屋島に渡り、師盛はかろうじて福原の平氏本隊へ戻っている。

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登頂日
2010年3月21日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー11名+2名

住山⇒ワン谷林道⇒白髪岳⇒松尾山⇒高仙寺山本堂跡⇒住山








 ダッチオーブン料理は美味しいのだが、ダッチオーブンのメンテナンスが面倒。だからこういう機会にしか登場しなダッチオーブン君なのであった。そんなことは置いといて、朝食&片づけを終え山に行くことにする。

 今日登るのは、ふるさと兵庫50山のひとつ白髪岳。住山地区から白髪岳・松尾山と縦走して出発地点に戻ってくるというコース。

 住山地区の二叉路を左に行くと白髪岳、右が松尾山。この二叉路を起点に右回り左回りお好きなコースでどうぞってことになっている。二叉路の手前にある案内板で本日のルートを再確認して出発。ちなみに前回来た時には、こんな立派な案内板はなかった。分岐のところにも立派な標識が立っている。

 最初は緩やかな林道をダラダラと進む。やがて東屋が見えてくる。ここから山道に入るのだが稜線に出るまでは急登が続く。稜線に出ると眺望も開ける。ここまでの登りの疲れが吹っ飛んでしまう・・・などと書いている本などがあるが、しんどいもんはしんどいんじゃい!稜線に出て道が緩やかになるから、しんどさが軽減して疲れが吹っ飛んだ気になっとるんとちゃいますかなどと愚痴ってても仕方が無いので先に進もう。

 稜線に出てから山頂の手前まではルンルン気分のお散歩である。山頂に近づくと岩場となる。鎖場などもあり楽しませてくれる。この楽しい岩場を過ぎると山頂は間近。

 白髪岳からの眺めは最高!のはずであるが遠く中国から偏西風に乗ってやってきた黄色い砂の影響で霞んでいて残念。山頂の標識も新しいのが建てられていた。住山自治会が昨年10月に新設したようだ。地元の山への登山に理解を示してくれる自治会に感謝である。

 白髪岳山頂で昼食を取ったあと松尾山へ向かう。白髪岳山頂からいきなりの激下りである。昨日の雨の影響でぬかるんでいるので滑らないように注意しながら下る。急勾配を下りきると松尾山山頂の手前までは緩やかな道が続く。「松尾山山頂→」の標識からひと踏ん張りの急登で松尾山(高仙寺山)の高仙寺城(酒井城・松尾城)の本丸跡だった山頂に到着する。

 高仙寺城は、矢代酒井党の惣領主水介氏治が築いたと伝えられている。氏治は南矢代城を本拠としていたが、明智光秀の丹波攻めが始まると、さらに酒井党が割拠する諸城の要城として、標高もあり峻険な松尾山上に新たに城を築いたということだ。丹波の山には織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めが絡んだ山城跡が多く残る。それだけ壮絶きわまる戦乱だったのだろう。

 松尾山からの下りにも千年杉、高仙寺の僧侶の墓である卵塔群、愛宕堂(朽ち果てかけているのが残念)や高仙寺本堂跡、阿弥陀堂跡等歴史を感じながら下山することができる。

 下山道も終わりに近づいてくると土砂崩れや倒木でかなり道が荒れていた。新しい標識類の整備もありがたいが荒れた登山道は危険である。こちらの方も何とかしてもらいたいものだが自治会レベルでは無理だろう。篠山市や兵庫県で整備にあたって欲しいものだ。

 山道が終わり林道に出ると今日の山行もゴール間近。ゆっくりと林道を下り駐車地点へと戻った。今回も同行の仲間たちと楽しい山歩きを楽しませてもらった。皆さんありがとうございました。また第3回のダッチオーブンパーティーでお会いしましょう!って、その前に他の山で会うだろうけど・・・。既に数名とは、このブログ記事を書く前に囲炉裏の月例会で会いましたが (^o^;)
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開催日
2010年3月20日(土)
同行者
囲炉裏村メンバー12名+2名






 昨年12月に開催し評判が良かったダッチーオーブンパーティー。その第2回を開催。その第2回を開催。前回参加者の気が合う皆さんと前回都合でこれなかった人達に声を掛けた結果15名という大人数となった。場所は前回と同じく三田にある野外活動センター。今回は午前中の山の引率をRさんとPさんのお二人にお願いし、小生はRさんとPさんと三人で食材などの買出しに行くことにした。ここまでの文を読んでおかしいぞと思った方の為に解説しておこう。前出のRさん・Pさんと後出のRさん・Pさんは別人である。偶然それぞれをお願いしたお二人の頭文字が同じだっただけである。

 午前10時前に山組みの集合場所である「三田もち処 つくしの里」に到着。参加の皆さんと挨拶を交わす。ちなみに今回みんなが登るのは行者山と烏ケ岳である。高平ナナマツの森として整備された三田の里山である。みんなを山に送り出した後、買出し場所の三田ウッディタウンSATYへ向かう。

 三田ウッディタウンSATYでRさん・Pさんの二人と合流し食材の買出しを行う。イオングループ5%OFFと特売品の関係でSATY自体がすごく混んでいる。カートを押して見て回るだけでも大変。当然のことながらレジは大行列。思った以上に時間が掛かってしまった。

 野外活動センターに向かう途中のコンビニで軽く昼食をとることにした。最近のコンビニは店内にテーブルが用意されており、その場で食べれるので便利である。野外活動センターに着いたらすぐにDOパーティーを始めるので、食べ過ぎるとDO料理が食べれなくなる。迷った挙句「割り子そば」にした。おにぎりが欲しいところだがDO料理のことを考えて我慢することにしたのだが・・・ Rさんがネギトロ巻きを買ってきて3人で食べようとのこと。Rさん・Pさんがそれぞれ2ケづつ食べて「あとの4つは大将さんの分」ときた。「おいおい!」である。そばと寿司でお腹を満たし・・・というか食べすぎ。後が食べれるか心配である。

 山組には2時ごろ野外活動センターに来てもらうようにお願いしてあったのだが、我々が到着した1時半過ぎにはすでみんなも着いていた。早速受付を済ませ手分けをしてDO料理の準備に取り掛かる。今回の予定メニューは、丸鳥鍋、パエリア、おでん、スペアリブのコーラ煮、たまねぎのワイン煮、焼き芋である。

 一通りの準備ができ、DOが火に掛かったので、ビールで乾杯! 二人遅れて参加予定であるが、始めて顔を合わす方々もおられるので、まずは簡単に自己紹介。料理が出来上がるまでの間に小生がリクエストして作ってきてもらったTさんお手製の「さば寿司」をいただく。いつもありがとう。美味しかったです!

 もう後は、ワイワイガヤガヤ美味しく食べて、美味しく飲んで、楽しくしゃべってである。4時半過ぎにOさん、8時過ぎにHさんが到着。4時半過ぎに到着したOさんは、まだこれからだろうと思ってたら、みんな既に出来上がってハイテンションだったのにびっくりしたとのこと。

 気が合う仲間が揃うと楽しい時間はどんどん過ぎていく。途中一人減り、二人減りとバンガローに戻っていく。気がつけばすでに日付が変わっていた。翌日の山行のことを考え、お開きにして寝ることにした。

 第1回参加で今回都合で参加できなかった方、2回とも都合で参加できなかった方、第3回も企画します。基本的には前回と今回参加のみなさんにはお声がけしますので、よかったら懲りずに参加してやってください。
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登頂日
2010年3月14日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー16名

JR柏原駅⇒太鼓やぐら⇒木の根橋⇒柏原八幡神社⇒柏原藩陣屋跡・歴史民族資料館⇒JR柏原駅⇒(バス移動)⇒追入バス停⇒追手神社及び周辺でスプリング・エフェメラル鑑賞⇒金山登山口⇒鬼のかけ橋⇒金山城本丸跡(山頂)⇒JR柏原駅








 昨年に続き。今年も丹波金山にスプリング・エフェメラル春の妖精に会いに行ってきた。今年はJR柏原駅に集合し丹波柏原の城下町を散策してからバスで追入まで移動して金山に登り柏原に下山するルートである。

 柏原までバイクを走らせた。八幡神社下の観光者用駐車場にバイクを停め集合場所のJR柏原駅へと向かった。柏原は織田家の城下町として栄えた街である。駅から太鼓やぐら、推定樹齢千年のケヤキの大木の根が川をまたいで橋の様になっている木の根橋、織田神社、八幡神社、柏原藩陣屋跡、歴史民族資料館(田ステ女記念館)と柏原の城下町を散策。

 散策後、柏原駅前からバスで金山登山口まで移動。登山口にザックをデポし春の妖精たちに会いに行く。雪ワリイチゲやアズマイチゲなど、沢山の妖精たちが出迎えてくれた。

 登山口まで戻り、金山の山頂を目指す。山頂はかつて明智光秀によって築かれた比高約300mの金山城本丸跡である。織田信長の命によって明智光秀の丹波攻略が開始され、八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するために、両城の中間点に楔を打ち込む為に築城されたといわれている。

 登山口から30分ほどで園林寺跡の広場に出る。形の良い石垣が残っているが、石垣の上には、瓦や廃材、食器のかけらなどが散乱している。何とも哀れな光景だ。石垣からしばらく登ると馬場跡にでる。馬場跡なのでしばらく平坦な道が続く。馬場跡の先で直接山頂へ登る道と鬼のかけ橋経由で登るルートの分岐である。我々は鬼のかけ橋経由の道を進む。

 鬼のかけ橋は大江山の鬼がかけたといわれる大きな岩の架け橋である。架け橋の上や横の巨岩に登って眺望を楽しんだり、写真を撮ったりと、みんな思い思いに楽しんだ後、バンダナショットを撮って山頂へ。

 山頂で少し遅めの昼食。これも今回のメインのひつつ春呼鍋。みんなが持ち寄った食材での寄せ鍋である。誰が何を持ってくるとかの分担はなく、皆が思い思いの食材を持ち寄るのだが、野菜ばっかりとか豆腐ばっかりとかうどんばっかりとかにならず、バランスよく色々な食材が揃うから不思議だ。

 青空の下、美味しいお鍋と春の食材での天ぷらを満喫。みんなから食材が集まった時は、こんなに沢山食べれるのかと言っていたのだがほぼ完食。満足の昼食であった。

 下山は鬼のかけ橋方面から鐘ケ坂公園へ下りそこから柏原へと歩いた。鐘ケ坂公園から鬼のかけ橋を見上げることができる。橋の隙間もしっかり確認できる。上からのぞいた場所を下から眺めるってのもおつなものである。

 大阪方面への列車出発時間間際に柏原駅に到着。JR組は切符を買うのより先に我先にとKIOSKでビールを買い込んでいる。車・バイク組4人でみんなを見送ったあと帰路についた。
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■参加メンバー
こまくささん・mayumiさん・はやぽんさん・越路さん・ワルツさん・やっほーさん・よしみさん・モリボウさん・濱やん・じゅんさん・だっちゃん・hidetyan・りっこさんpekoちゃん・Leoさん・SUMIEさん(山頂合流)・大将 以上17名
登頂日
2010年3月7日(日)
天 候
小雨
同行者
囲炉裏村メンバー21名と灰形山で合流

神戸電鉄有馬温泉駅⇒太閤通⇒妙見寺⇒落葉山⇒灰形山⇒落葉山⇒妙見寺⇒太閤通





 自治会の役員とは面倒なものだ!山を犠牲にしてまで集会に参加しなければならない。「自治会の役員集会と山とどっちが大事ですか?」と聞かれたら、ためらうことなく「山」よ答えるだろう。しかし現実には集会をほったらかして山に行けないのである。

 今日も11:00から新旧役員の引継ぎがあった。そして囲炉裏村のはんなりオフが裏六甲で開催されている。近場なのに行けなのに・・・。

 自治会の集会が終わると速攻で自宅に帰りザックを引っさげ有馬温泉へ向かう。今回のはんなりオフは有馬三山+二山で有馬口⇒東山橋⇒逢ヶ山⇒高雄山⇒有馬三山(湯槽谷山⇒灰形山⇒落葉山)⇒有馬温泉のルートである。これを有馬温泉から逆行しみんなと合流しようというわけだ。

 思ったより早く集会が終わったので、湯槽谷山までは行けるかなと思ったのだが、二山目の灰形山に着いて休憩しようかなと思ったところに、はんなりメンバーが逆方向から向かってくるのが見えた。早くも合流だ。

 合流後は、皆と一緒に歩いてきた道を有馬温泉に下った。有馬三山の落葉山と灰形山の二山+合流後に落葉山に戻ったので一応「三山」縦走ってことにしておこう。下山後は有馬温泉銀の湯で汗を流し、バスで宝塚に出てアワアワ(飲み会)に参加し帰宅。山に登ったというより、温泉に入って一杯って感じの山行であった。
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