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囲炉裏村の最近のブログ記事

登頂日
2009年4月11日(土)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー12名

善峯寺バス停⇒善峯寺⇒三鈷寺⇒金蔵寺⇒小塩山⇒南春日バス停








 以前は花には興味がなかったのだが、山に登り始めて興味を持つようになったが、多くの花の名前は、未だにわからない。図鑑やネットで調べるのだが、似たような花が多く特定できないことも度々である。そのうち覚えるだろうということにしておこう。ということで、今回は囲炉裏村のオフ会でカタクリの花を見に出かけた。

 JR京都線の向日町駅から阪急バスに乗り、終点の善峯寺へ移動。善峯寺では、桜や枝垂桜が見ごろであった。「けいしょう殿」付近からの眺めは、青空の下にパステルカラーに染まった樹木とお堂等の建造物、その先に見下ろす街並のコラボが最高の眺望を生み出していた。

 善峯寺から三鈷寺に立ち寄った後、近畿自然歩道で金蔵寺へ。山門を抜け、石段を登りきると、見事な枝垂桜が眼に飛び込んできた。枝垂桜の下でバンダナショットを撮影後、金蔵寺展望台でランチタイム。本日の昼食は、味噌煮込うどんとおにぎりである。

 昼食後、いよいよ本日のメインイベントである『カタクリ』を見に小塩山へと向かう。近年カタクリは、乱獲や野生動物の食害により数が減ってきているとのこと。小塩山でも例に漏れず、鹿の食害等深刻な問題を抱えているようだ。小塩山では『西山自然保護ネットワーク』のみなさんが、カタクリとギフチョウの保護活動を行っておられる。

 最初に訪れたカタクリの群生地は周囲に鹿避けのネットが設置してある。何箇所かある群生地の中で唯一ネットが設置されている場所である。4箇所ほど群生地を回ったが、ネットの設置されている群生地と設置されていない群生地では、植生しているカタクリの数に大きな差がある。ネットの設置にかかる費用も『西山自然保護ネットワーク』のみなさんとカタクリを見に来られた方々の寄付でまかなっているとのこと。私も少額だが寄付をさせていただいた。

 幻(?)の白いカタクリの花も見れて大満足。可憐なカタクリの花を満喫した後、小塩山の山頂にある淳和天皇稜(大原野西嶺上陵)をぐるっと一周した後、大原野神社方面の南春日バス停へと下山。バスで阪急東向日駅へ戻った。

 ビールを1杯だけ飲んで帰ろうということになり、駅前の「餃子の王将」に入る。生ビールと餃子1人前づつで乾杯!4月上旬とは思えない暑い一日だったので、冷たいビールが最高にうまかった!会計を済ませ、店を出ようとしたところで、Tちゃん氏に「大将、これだけで帰らへんやろ」と魔のささやき。翌日が私主催のオフ会なので帰ろうと思ってたのだが・・・ 誘惑に弱い小生は迷わず二軒目へと流れていったのである。

◆ 善峯寺
 善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区にある寺院。山号は西山。西国三十三箇所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。
起源と歴史
 長元2年(1029年)、源算が創建した。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの門跡が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院(徳川5代将軍綱吉の生母)の寄進によって再興された。
重要文化財
・多宝塔 (元和7年(1621年)に賢弘により再建されたもの。)
・絹本著色大元帥明王像
天然記念物
・遊龍の松(樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられた。 全長54mあったが、松食い虫の被害により平成6年(1994年)15mあまり切断された。)
〔Wikipediaより転載〕

◆ カタクリ
 ユリ科カタクリ属に属する多年草。比較的日光の差す落葉広葉樹林の林床に群生し、早春に下を向いた薄紫から桃色の花を咲かせる。春を告げる「スプリング・エフェメラル」の一つ。葉には帯紫色の模様がある。
 早春の3?4月のみ地上部を展開し、5月上旬頃には葉や茎は枯れてしまう。種子にはアリが好むエライオソームという物質が付いており、アリに拾われることによって生育地を広げている(同様の例はスミレなどにも見られる)。発芽1年目の個体は細い糸状の葉を、2年目から7?8年程度までは卵状楕円形の一枚の葉だけで過ごし、鱗茎が大きくなり、二枚目の葉が出てから花をつける。なお、鱗茎は毎年更新し、なおかつ旧鱗茎の下に鱗茎が作られるため鱗茎は深くなる。原則として鱗茎は分球することはない。
 昔は日本では落葉広葉樹林のある各地で広く見られたが、近年では乱獲や盗掘、土地開発などによる生育地の減少によって減少している。最近では人工的に増殖した上で野山に植える試みが行われ、観光名所になっている。
 万葉集に残る、「もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」(巻18)に詠まれている「堅香子(カタカゴ)」は、カタクリではないかと考えられている。また、日本の富山県高岡市は「カタカゴ」の名でカタクリを市の花に指定している。
 昔はこの鱗茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に用いていたが、近年は片栗粉というとほぼジャガイモから抽出したデンプン粉のことを指すようになってしまった。
〔Wikipediaより転載〕

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん(リーダー)・Keyさん・mayumiさん・たけちゃん・あやさん・越路さん・SAMさん・ふーさん・O型さん・みかりんさん・春風さん・まささん・大将(以上13名)
登頂日
2009年3月20日(金)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー14名

阪急池田駅⇒池田城公園跡⇒五月平高原コース入口⇒日の丸展望台⇒望海亭跡⇒五月山動物園⇒松楓台(野外宴会)⇒阪急池田駅








 45リットルのバックパックが一杯になる程の荷物を持って自宅を出発。「どこに行かれるのですか?」と近所の人に聞かれたら嫌だなーと思いながらバス停に向かったが、幸いなことに近所の人と出会わずにすんだ。さすがに「五月山」とは答えにくい。

 五月山は標高315mほどで、阪急池田駅から1時間も歩けば山頂という低山である。しかもハイキングコースが整備され、幼稚園や小学校の遠足で登る山である。 何でそんなに荷物が多いかと言うと、五月山に登った後に、下山地近くの公園で野外宴会をするのだ。

 バックパックの中身を紹介してみよう。日本酒3リットルパック、500mlペットボトル3本(麦焼酎・そば焼酎・烏龍茶)、ビール350ml缶2本、餃子60個、牛味付焼肉1kg、鍋、フライパン、コンロ、ガス2本、食器、マグカップ・・・。要するに宴会グッズが満載されているのである。

 午前9時半過ぎに阪急池田駅を出発。まず向かったのは、五月山山麓の池田城跡公園である。天守風の建造物があるが、これは天守閣を復元したものではなく、城跡としてイメージを演出させる模擬施設の魯風展望休憩舎である。展望休憩舎で本日の参加者の簡単な自己紹介を行い、しばらく公園内自由散策時間とした。展望所に登ったり、庭園を散策したりと思い思いに楽しむ。

 池田城跡公園を後にし、五月平高原コースの入口へ。ここからハイキングコースとなる。このコースは、他のコースに比べ山頂の日の丸展望台までの距離は短いが、その分一気に登るコースである。五月平展望所経由で、約40分で山頂に到着。日の丸展望台をバックにバンダナショットを撮影。日の丸展望台後方にある三角点にタッチした後、日の丸展望台に登り、眺望を楽しむ。

 山頂からは、自然とのふれあいコース・望海亭コースで、野外宴会場所である松楓台へ下る。途中に吊橋がある。そんなに長い吊橋ではなく、また渡らなくても横に道がある吊橋だ。せっかくだからという事で、大半の参加者が吊橋を渡る。この吊橋は、高さも長さもないが、足元の丸太が不安定なのと、朝まで降っていた雨ですべりやすくなっているのに加え、数名が渡ることによる揺れで、それなりにスリリングだったのではないだろうか。私は写真を撮る為に渡らなかったが、以前、雨で濡れた状態の時に渡った時に滑ると感じた経験がある。

 松楓台でブルーシートを敷き、場所を確保してから五月山動物園を見学に行く。池田市がオーストラリアのタスマニア州ローンセストン市と姉妹都市ということがあり、ウォンバットをはじめとした有袋動物が多い。入場無料の動物園としては、まずまずではないだろうか。

 動物園見物の後、いよいよ野外宴会である。参加者が持ち寄った食材で、カレー鍋・寄せ鍋・焼き餃子・焼肉に加え、めざしやスナック菓子、お汁粉、羊羹、各種フルーツと盛り沢山である。アルコールもビール、ワイン、ウイスキー、日本酒、焼酎、梅酒と種類豊富。お酒の合間にいただいた、薫り高い珈琲も最高。

 ワイワイ、ガヤガヤの宴会を盛り上げてくれたのが、気分最高潮に達したプライムさんの考えてきてくれたゲームと歌。美味しく食べ、飲み。楽しく話し、遊び、笑った、あっという間の4時間の宴会であった。

 参加者の皆さんも楽しんでいただけたようなので、主催者の私としては、ほっと一安心。参加者の数名からは、宴会オフの定期開催の要望もあがっていた。要望に答え、また開催したいとは思うが開催場所を探さなければならない。野外宴会オフに適したところがあれば教えていただければ幸いである。

◆池田城の歴史 (池田市観光協会HPより転載)
 池田城は室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯を支配していた地方豪族・池田氏の居城です。池田氏の祖先は明らかではありませんが、鎌倉時代の13世紀末頃から文書に見られるようになります。池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大、当時の権力者であった摂津守護・細川氏の家臣として、摂津の豪族の中で有力な位置を占めていました。
 当時の池田は、京都・能勢地方・西宮とを結ぶ交通の要衝地で、街道沿いに家が建ち、「市」が立ち始めるようになったのが町の始まりと考えられ、また、これに伴い池田城が築城されたと推定されます。  15世紀末から16世紀初め頃、池田氏の招きで、当代きっての連歌師・牡丹花肖柏をはじめ、多くの文人達が池田を訪れ、池田の文化形成に大きな影響を与えました。
 しかし、栄華を誇った池田氏も、戦国時代末期の永禄11年(1568)、織田信長の摂津入国で降伏、城主・池田勝正をはじめ池田氏は、信長の家臣に組み込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて、旧家臣の荒木村重が池田城を支配。村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。
  
◆五月山動物園 (池田市観光協会HPより転載)
 1957年(昭和32)4月に開園した五月山動物園ですが、今ではオーストラリアからやってきた有袋動物ウォンバットが、その代名詞とも言える存在となりました。
 ウォンバットは、友好姉妹都市提携を結ぶオーストラリア・タスマニア州ローンセストン市から、提携25周年を記念して1990年5月1日に3頭やってきました。'92・'93と相次いで2世が誕生しましたが、ウォンバットの繁殖は大変難しいとされていましたので、その誕生は注目(繁殖賞受賞)されました。
 五月山動物園には、そんなかわいい動物達を見ようと、年間20万人余りの入場者で賑わっています。また、動物達に触ることのできる「ふれあい動物園」も大好評です。

◆参加メンバー:順不同◆
たろうさん・りっこさん・ようこちゃん・サンペイさん・ノンさん・むかごさん・papaさん・YASSAN・きょろちゃん・O型さん・単独行さん・プライムさん・山雀さん・大将(以上14名)
登頂日
2009年3月7日(土)
天 候
曇り/晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー25名









 こまくささんの花旅で、スプリング・エフェメラルを求め丹波の金山へ行ってきた。 今回は10時にJR篠山口駅集合。JR組は9:42篠山口着の列車に乗ってくる。その列車に新三田から乗車した。

 篠山口で数台の車に分乗し登山口のある追手地区へ移動。金山に登る前にスプリング・エフェメラルを見に行く。節分草・セリバオウレン・キクザキイチゲ・アズマイチゲとかわいい花を見物。イチゲ類の花が開ききってなかったのがちょっと残念。追手神社に移動すると沢山のユキワリイチゲが咲いていた。追手神社には、千年モミ・夫婦イチョウと大木もある。千年モミは胸高幹周が7.8mもあるそうだ。

 登山口横の空地に戻り、軽くストレッチを行い金山に登る。金山の山頂手前に「鬼の架橋」がある。二つの巨岩の間に大きな岩がかかっていて、鬼がかけたという伝説がある一大奇観である。ここで休憩、鬼の架橋の上に登ったり、下の断崖を覗いた、写真を撮ったりて過ごす。

 バンダナショットを撮った後、山頂へ向け出発。といっても、鬼の架橋は山頂直下なのですぐに山頂である。山頂は金山城本丸跡で広場になっている。山頂でお待ちかねのランチタイム。大きなブルーシートを広げて鍋の準備開始。みんなのザックからいろんな食材が山のように出てくる。26人と人数も多いので、3つの鍋で満杯の鍋である。鍋のほかに天ぷらもご馳走していただいた。アルコールもビール、日本酒、焼酎と盛りだくさん。私が持参した2リットルの日本酒パックも皆さんに飲んでいただき無事完飲。楽しく、美味しいランチタイムを過ごすことができた。食事後は一気に片付け、山頂でのバンダナショットを撮影してから下山した。

 下山後こまくささんから今後の花旅の予定を聞いて解散。それぞれ行きに乗ってきた車でJR篠山口まで送っていただいた。篠山口同じ三田在住のSUMIEさんに新三田まで送っていただいた。

◆スプリング・エフェメラル
 スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

◆金山城
 天正3年(1575)頃より丹波侵攻をはじめた明智光秀は、連合した丹波勢の抵抗にてこずる。八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するため、天正7年(1779)両城の中間点である金山山頂に城を築く。金山城は本曲輪(本丸)・腰曲輪・二の曲輪・出曲輪・馬場・帯曲輪を構えた堅固な城郭で、光秀の丹波攻略最大の拠点であった。

◆参加メンバー:順不同◆
こまくささん・だっちゃん・SUMIEさん・たけちゃん・モリボウ・濱やん・越路さん・チョリオさん・くろげんさん・うねさん・シャラさん・禿羊さん・おまわりさん・夢子さん・はちどりさん・りっこさん・SAMさん・ハリさん・磯やん・ようこちゃん・はやぽん・ゲキさん・K太くん・たかちゃん・まこらさん・大将 (以上26名)
登頂日
2009年3月1日(日)
天 候
晴れ
同行者
囲炉裏村メンバー35名

箕面森町地区センターバス停⇒青貝山(391m)⇒天台山(640m)⇒光明山(639m)⇒能勢妙見山(660m)⇒[大堂越]⇒妙見ケーブル黒川駅前⇒能勢電鉄妙見口駅








 集合場所の千里中央駅からバスで箕面グリーンロードを通り箕面森町(みのおしんまち)地区センターへ移動。箕面グリーンロードのトンネル建設の影響で明治の森箕面国定公園の大滝への水脈が切断され、現在はポンプで水を送っているとされる道路である。

 箕面森町地区センター前で簡単に自己紹介を行い出発。しばらく箕面森町内を歩くと、里山への登山口である。「里山周回の道」の案内板と里山の地図が設置されている。山道に入り、しばらく登っていると、前方から神出鬼没の濱やんが登場し合流。能勢電鉄のときわ台から登ってきたそうだ。里山と侮ることなかれ、結構急な登りもあるアップダウンを繰り返す変化に富んだ道である。

 山道に入って30分ほどで三等三角点の置かれている青貝山に到着。ここで、別方向から登ってくるsmochさん&jennyさんのお二人と合流予定であったが、少し遅れているとのことで、ゆっくりと先に進むことになった。途中、鉄塔下で休憩。高やんお手製のケーキをいただく。そうこうしているうちに、smochさん&jennyさんが追いついてこられた。今回の参加者全員が揃ったところで出発。

 縦走路から100mほど脇道を入った雑木林の中が天台山である。天台山にも三等三角点が置かれている。雑木に覆われているため薄暗く、展望もない。三角点や山名プレートの写真を撮るのに、デジカメのAUTOモードだとストロボ発光になるほどだ。

 天台山から縦走路に戻り、しばらく下ると車道に出る。通行量が少ない車道ということで、この車道の陽のあたっている場所でランチタイム。私の昼食は味噌煮込みうどん。前日の夕食が鍋だったので、白菜・白ねぎ・椎茸・しめじ・つみれ・うすあげ・豚肉を残しておき、鍋のつゆの残りに味噌を溶かしてテルモスに容れて持参。うどんは冷凍食品で、ビールの保冷材代わりにもなり便利である。蓮さんのたまご焼き、高やんから妙見名物で冬季限定販売のでっちようかん、山雀さん&舟橋太郎さんの香り高い珈琲、YASSANのおしること沢山の差し入れをいただく。車道脇に30数人が並んで食事をしている状況は圧巻である。通り過ぎる車の人たちも驚いたことだろう。

 昼食後、再び山道へ入り10分ほどで光明山に到着。光明山からは車道、山道と進み能勢妙見山へと入っていく。参道の鳥居を過ぎしばらく戻ると能勢妙見山境内だ。山門を潜り、信徒会館星嶺の展望所からの眺めを楽しんだ後、三角点へ向かう。日清・日露戦争での戦没者慰霊塔の彰忠碑右奥の「三角点」と書かれた大きな看板下に四等三角点がある。彰忠碑の前でバンダナショットを撮影。妙見山バス停まで下りトイレ休憩。そこにkeyさんが登場、差し入れのチョコレートをいただく。keyさんは車で登ってこられたそうだ。

 能勢妙見山からは、大堂越で妙見ケーブル黒川駅へと下り、一般道を能勢電鉄妙見口駅へと戻り解散となる。妙見口駅前のおみやげ屋で、高やんから昼食時にご馳走になったでっちようかんを家族への土産として購入。解散後は、能勢電・阪急電車と乗り継ぎ十三へ移動しアワアワに参加した。

 参加者の間で、能勢妙見山は寺院か神社かとの話題が出てたので、能勢妙見山公式ホームページよりの抜粋文章を載せておきます。

 よく尋ねられるのが、「妙見山はお寺ですか?神社ですか?」という質問です。鳥居や狛犬があったり、「妙見宮」とも呼び慣わされているところから出た疑問です。これは、鳥居の左側に『日蓮宗霊場能勢妙見山』と刻まれた石碑があることからもわかるように、日蓮宗のお寺です。お寺には普通、 ○○山○○寺という風にお寺の名称がつきますが、能勢妙見山には寺号がついていません。実はこの能勢妙見山は、ここから北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」と呼ばれています。 ※石碑に「日蓮宗霊場」とありますが、霊場とは、神聖なるところ、すなわち清らかなる聖域ということです。

◆参加メンバー:順不同◆
mayumiさん・蓮さん・高やん・空っ風さん・サンペイさん・セージさん・soulmakeさん・なためさん・ユーエスさん・おまわりさん・SUMIEさん・禿洋さん・O型さん・ひげQさん・しろさん・拓さん・ハリさん・じゅんさん・越路さん・船橋太郎さん・寅さん・YASSAN・SAMさん・山雀さん・たけちゃん・つねぼーさん・磯やん・yukisan・とっしーさん・モリボウさん・ぐーちゃん・smochさん・jennyさん・hidetyan・濱やん・大将 (以上36名)

冬の綿向山(1,110m) 滋賀県蒲生郡日野町

登頂日
2009年2月22日(日)
天 候
晴れ→曇り
同行者
papaさん・りっこさん・ようこちゃん

JR野洲駅⇒御幸橋駐車場⇒綿向山表参道登山口⇒五合目小屋⇒七合目行者堂⇒綿向山頂上⇒ブナの珍変木⇒七合目行者堂⇒五合目小屋⇒綿向山表参道登山口⇒御幸橋駐車場⇒JR野洲駅








 2月7日の囲炉裏村の六甲山オフ会のアワアワ時に、papaさんから滋賀県の綿向山の話があり、是非案内してくださいとお願いしました。登山口までの移動が車になるので定員が制限される関係で今回は非公開オフにし、papaさん、りっこさん、ようこちゃんと私の4人で登ってきた。

 午前8時過ぎにJR野洲駅に集合、papaさんの車で登山口付近の御幸橋登山者用駐車場に向かう。約1時間で駐車場に到着。各自準備を整え出発。

 駐車場から林道を進んでいくと天然記念物の「綿向山麓接触変質地帯」がある。さらに進むとヒミス谷出合小屋が見えてくる。ここが表参道登山口で、立派な「綿向山」と彫られた石碑もある。登山口から谷川を渡り山道へと入り、杉林の九十九折の登山道を登っていくと林道に出ると三合目である。林道から別れ再び山道へ。このあたりまで登ってくると登山道にも雪があるので足元に気を付けながらしばらく登ると五合目小屋に到着。ここでアイゼンを装着。ちなみに、りっこさんとようこちゃんはアイゼンデビューである。ここ最近の暖かい気候で、アイゼンを使うほどの雪が残っているか心配だったが前週から寒さが戻り綿貫山も再び雪化粧をほどこした。(一週間前にpapaさんが下見に来てくださったときは、山頂直下に雪が若干残っていただけだったとのこと)お二人はアイゼンデビューを楽しみにされてたので雪があってよかったっす!

 七合目のすぐ先に夏道と冬道の分岐があり、夏道側は木で柵がしてある。この先の表参道(夏道)は積雪時は危険とのことで、冬場は直登の尾根道(冬道)を登るそうだ。

 冬道の急登を雪を踏みしめながら登りきると1,110mの綿向山頂上である。頂上には、大嵩神社が祀られており、その横に「青年の塔」というケルンが建っている。この「青年の塔」は、1970年に建てられた石積みの高さ5.3mの塔で、内部はタイムカプセルが納められており、建設から50年後の2020年に開封されるとのことである。

 頂上でバンダナショットを撮影後、眺望を楽しみながらのランチタイム。りっこさんとようこちゃんにキムチ鍋をご馳走になりました。雪景色の中で食べるキムチ鍋は、とても美味しく。身体があったまり最高。デザートはpapaさんが持ってきてくださったチーズケーキと暖かい紅茶。これまた美味しくいただき大満足のランチタイムであった。

 昼食後はピストンで下山だが、その前にザックを置いてちょっと寄り道。下山方向とは違う方向に100m程下ったところの「ブナの珍変木(幸福ブナ)」に案内してもらった。風雪により変形成育したブナの木で、くぐると幸せを呼ぶとのこと。幸薄い(?)自分自身を慰めるためにくぐらせていただいた。

 ザックを置いた地点まで戻り、下山開始。雪が積もったブナ林を先人のトレースを辿りながら下っているうちにルートを取り違えたようで夏道に合流してしまった。登り返すのもなんなので、そのまま夏道を七合目に戻った。七合目の行者堂前で小休憩を取った後、表参道を下山し駐車場へと戻った。

 雪もあったし満足の山行でした。色々とお世話いただいたpapaさん、キムチ鍋の準備をしてきていただいたりっこさん・ようこちゃん、ありがとうございました。またご一緒できることを楽しみにしています。

◆ 綿向き山 ◆
 標高1,110m、鈴鹿山系の一つで、滋賀県側に最も突き出した歴史に古い、神を祀る大衆の山です。四季折々に美しい景色の移り変わりを見せ、登りやすい女性的な感じの山として初心者の登山に喜ばれています。
 山頂の眺めは素晴らしく、東に重厚な雨乞岳を中心に鋭峰鎌ヶ岳につづく鈴鹿連山・伊勢湾をはじめ、秋冬の澄んだ日には遠く、北アルプス穂高岳・木曽おんたけ山・恵那山・南アルプス塩見岳なども望見でき、設置されている展望図盤によってそれらを確認することができます。また、西には近江盆地が眼下にひらけ、琵琶湖の向こうには比叡山から比良連峰が連なり、雄大な気分を味わうことができます。
 日野町ではその標高にちなみ、毎年11月10日を『綿向山の日』に制定しました。
(日野町観光協会ホームページより転載)

◆ 綿向山麓接触変質地帯 ◆
 数億年の地球がつくられていく過程で古生層の石灰岩に超高温の花崗岩が噴出して接触し、極めていちじるしく石灰岩を変質させた岩を接触岩といい、その接触岩がこの地帯に帯状になって見られる。鉱物分布上で大変めずらしいので昭和11年に国の天然記念物に指定された。大理石・珪灰石などを主にヘンデンベルグ輝石・ベスーブ石・柘榴石・秀輝石などの貴石といわれる石も少量ながら含まれ鉱物研究上貴重である。
(登山道設置の説明板より転載)
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