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西国三十三所 第三十番札所 厳金山 宝厳寺(近江国)

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参拝日:2011年7月30日(土)
第三十番札所 厳金山 宝厳寺
御 詠 歌
月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして
御本尊
千手千眼観世音菩薩
宗 派
真言宗豊山派
開 基
行基
開創年
神亀元(724)年
所在地
滋賀県長浜市早崎1664 0749-63-4410
拝観料
無料 ※びわ町主催「竹生島奉賛会」が400円を徴収
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西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ
すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。

行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。

それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。

当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。

全国数多くのご信者様の強い要望により廃寺は免れる
明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により大津県庁より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。

しかしながら、全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。

本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和17年、現在の本堂が再建されました。
(宝厳寺WEBサイトより引用)

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