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2011年12月 4日アーカイブ

登頂日
2011年12月4日(日)
天 候
晴れ/曇り
同行者
囲炉裏メンバー3名

総持寺/阪急大山崎駅⇒宝積寺⇒天王山⇒大沢⇒釈迦岳⇒ポンポン山⇒善峯寺












 西国三十三所二十番札所の善峯寺は、囲炉裏村のオフ会で2009年4月に訪れているが、それは西国巡礼をはじめる2ヶ月ちょっと前ということで、当然ながらご朱印は頂いていない。また、善峯寺からほど近いポンポン山に登ったことがなかいので合わせて行こうと考えていた。そこで、高槻市在住のHやんに案内をお願いしたところ、天王山もあわせてのコースで案内いただけることになった。

 同じく西国巡礼をされているRちゃんとYちゃんもお誘いしての山行となった。このお二人は、二十二番札所総持寺がまだということだったので、せっかく山崎方面に出てくるのであれば、総持寺もお参りしてはということになり、先に総持寺をお参りしてから、集合場所に向かうことにした。その旨をHやんに連絡したところ、同じ電車に途中駅から乗ってこられることになった。

 阪急大山崎駅に8:59に到着。天王山に向かう。JRの踏切を越えたところに「天王山登り口」の石柱が立っている。ここから少し進むと大黒天が祀られている宝積寺である。紅葉がまだ残っており写真を撮りながらゆっくりと進む。宝積寺の境内を抜けると登山道に入る。

 天王山はご存知のように豊臣秀吉の天下取りで「天下分け目」の決戦場として広く知られており、ハイキングコースが整備されている。このハイキングコースを「秀吉の道」と名づけ、秀吉の天下取りの物語を解説する大きな陶板が所々に設置されている。

 酒解神社の鳥居横の展望台からの眺望を楽しみながら小休止を挟み、酒解神社を抜けて天王山の山頂に立つ。

 天王山から大沢に抜けるが、この道もよく整備されたハイキングコースということもあり多くのハイカーとすれ違う。途中大佛乗願寺ふもとの紅葉と樹齢800年といわれる大沢の杉を見学して進む。

 釈迦岳手前のベンチがある場所で昼食。釈迦岳を経てポンポン山に到着。山頂からは比叡山や琵琶湖を望むこともできるパノラマが眼下に広がる。到着時は多くのハイカーで賑わっていたが、バンダナショットを撮って、しばらく休憩しているうちに我々だけになったので、我々も善峯寺へ向け下山。

 1時間程で善峯寺に着く。本堂(観音堂)にお参りし、ご朱印をいただいた後、境内の紅葉や樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることから遊龍の松(天然記念物)を見学。この松の全長は50数メートルにも及んだそうだが、松食い虫の被害で10メートルほど切断されたそうである。悪名高い「生類憐れみの令」で知られる徳川5代将軍綱吉の生母で桂昌院が植えたと伝えられる「桂昌院お手植えのしだれ桜」もみごとなのだが、残念というか当然なのだが、今の季節は垂れ下がる枝だけの姿である。

 善峯寺からは、バスで阪急東向日に戻り、駅前の居酒屋でアワアワを楽しみ解散となった。案内いただいたHやんありがとうございました。また、近辺の山を案内していただければ幸いです。

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参拝日:2011年12月4日(日)
第二十番札所 西山 善峯寺
御 詠 歌
野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立
御本尊
千手観世音菩薩
宗 派
天台宗単立
開 基
源算上人
開創年
長元2(1029)年
所在地
京都市西京区大原野小塩町1372   TEL:075-331-0020
拝観料
500円
 URL


西国三十三霊場 御朱印・本尊御影・梵字本尊

◆札所データ 
当山は、長元2年(1029)源算上人の開山である。源算上人は、恵心僧都の高弟で、因幡(鳥取)に生まれ、横川(比叡山)の恵心僧都に従い、顕蜜の蘊奥を極め47歳の時、当山に入られ小堂を結び、十一面千手観音の像を刻み本尊となし、仏法を興隆された。長元7年9月、後一条天皇より、鎮護国家の勅願所と定められ良峯寺の寺号及び聖詠を賜わった。

"野をもすぎ 山路に向う、 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立"

以来歴朝の御崇敬篤く、長久3年、後朱雀天皇、洛東鷲尾寺より本尊仁弘法師作、十一面千手観音像を当山に遷して本尊とし、先の十一面千手観音像を脇立とされた。 白河天皇、諸堂を建立し給い、その後慈鎮和尚善恵上人、その高徳を相嗣がれ、また青蓮院の宮が代々当山に住まわれた。即ち覚快、道覚、慈道、尊円、尊道、尊祐、尊真、尊寳、尊證、各法親王である。そして西山の宮(門跡)と称された。

後花園天皇(102代)が伽藍を改築せられ、僧坊52の多きに及んだが、応仁の乱に兵火を免れず焦土と化した。

その後徳川五代将軍の母堂桂昌院が当山を復旧され、二百石及び山林42万5千坪を寺領とし明治に至った。

重要文化財として、多宝塔・大元師明王軸 その他文化財多数あり。
(西国三十三所巡礼の旅より引用)

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