十四年ぶりに長崎に行って来た。もともと先月行く予定であったが、義父が亡くなった為、今月に延期となった。
長崎は私にとって想い出深い街である。学生時代に長崎南方苑ユースホステルでヘルパーをしていた。長崎での総宿泊は100泊を優に越える。
はじめて長崎に行ったのが昭和57年の春。大学のクラブの春合宿で長崎南方苑ユースホステルに泊まったのである。本来、長崎南方苑ユースホステルに宿泊する予定はなかったのだが、ある事情で合宿出発日が一日遅れた。その為、予定変更を余儀なくされ、九州に入る前に岡山だったか広島だったかに立ち寄る予定を一気に九州に入ることにし、長崎の宿泊を一泊から二泊に変更。もともと宿泊予定の長崎県立ユースホステルに前日の予約を追加したつもりが、手配した同級生が間違って長崎南方苑ユースホステルに入れるというポカをしたのが、長崎南方苑ユースホステルとの出会いであった。
どちらにしても合宿で来ているので、翌日は長崎県立ユースホステルに移動、その後も予定に沿った行程で合宿を終え、長崎という街も合宿で訪れた場所のひとつになるはずだったのだが・・・。
長崎南方苑ユースホステルに泊まった夜、宿泊予約を間違えた張本人が、普段はメガネなのに合宿旅行ということでコンタクトレンズにしてきた。慣れないコンタクトレンズが原因だと思われるが、目が痛いと言い出し、夜中に医大病院で診療を受ける。その結果二三日の安静を要するとのことで、翌日以降二泊の予定をキャンセルし長崎南方苑ユースホステルに留まることになった。
滞在期間中にユースホステルの手伝いをしたり、当時のヘルパーさんに長崎の街を案内してもらったりと、とても楽しく有意義な時間を過ごさせてもらい、長崎南方苑ユースホステルをすっかり気に入ってしまった。
その後、合宿に戻る。熊本・別府と回り、博多にて打ち上げ後、現地解散。現地解散後、博多から特急かもめに乗り、長崎に戻り長崎南方苑ユースホステル二泊してから帰阪。
その翌年の春からヘルパーとして入らせてもらい、社会人になってからもお盆・年末年始には顔を出していた。
その長崎南方苑ユースホステルも道路開通に伴う立退き等の関係で平成7年に閉館となってしまった。閉館後は、その長崎で知り合った友人の結婚式で平成13年に長崎へ行ったのを最後に足が遠のいていた。
14年ぶりの長崎は、変わった場所もあれば以前と変わらない場所も。久しぶりにオランダ坂・グラバー園・大浦天主堂・・出島・唐人館孔子廟・平和記念公園・山王神社の一本柱鳥居・西坂公園・亀山社中跡・風頭公園・崇福寺・諏訪神社などなどの観光や長崎南方苑ユースホステルでお世話になったおばちゃんの墓参りと充実した三日間を過ごした。
もちろん長崎南方苑ユースホステルの跡地へも行ってきた。既に当時の面影はなく道路となってしまった姿を見ると淋しいものだ。
長崎市内在住の友は三日間付き合ってくれ、土・日曜日には、福岡・長崎市外在住の友も市内に来てくれて、久しぶりに懐かしい友との再会もでき最高の長崎旅行となった。
長崎・・・また行くさ、俺に取っては青春の想い出の地である第二の故郷、切っても切れない街だから。